第一次親娘大戦
貴族様だけが使える馬車だという、豪華な装飾の施された2頭立ての馬車に乗り、俺は5日ぶりにおっちゃんの工房に戻った。
謁見の後、すぐにでも結婚かと心配したのだが、貴族様ともなれば色々と準備があるらしい。
そもそも、平民から貴族になるには、まず王様から騎士に任命されないといけないという話しだ。
事情が事情なので、出来る限り早くその騎士叙任だけは行うらしいが……。
そんなわけでひとまず自宅待機するようにと言われたのだ。後日、改めて調整のうえ連絡をもらえるとのことだ。
自宅なんてないのだが……。
さすがにそれをそのまま言うわけにもいかず、とりあえずおっちゃんの工房に住んでいるといったのだ。
別に嘘ではないし、多少お金を払えば泊めてくれるだろう。
ミューズちゃんがいるのでアレだが。
だめなら近くの宿屋に泊まるしかないが……なに、いざとなれば貴族の威光でなんとかしようと思う。
突然工房に貴族の馬車が止まったので驚きながらお店から出てくるおっちゃん。
ポカーンとしているその顔にふんぞり返って馬車をおりながら俺は言葉をかけた。
「出世しちゃいました」
☆★☆★☆★☆★
「兄ちゃんが貴族様なあ」
工房の居間でしみじみとそう言うおっちゃん。
興味津々と言う感じで奥さんとミューズちゃんがテーブルから身を乗り出している。
ミューズちゃんの肩に乗っているヌアラが、なぜかニヤニヤしているのが気になるところではあるのだが。
「ええ。なんでも大迷宮討伐の褒美だそうです。でも俺はそんなの気にしないですからね。これまでのように東雲様って気楽に呼んで下さいよ。敬語もお願いします」
「けっ」
神託のことは内密にしろといわれたのだ。
冒険者ギルドのギルドマスターも知っていたので無駄のような気がしないでもないが。
「兄ちゃんが貴族なあ。しかもあの美男美女のオシドリ夫婦で名高かったルーグ辺境伯様のご息女となあ。……どうだ、やはりご息女の方も美人か?」
おっ。両親も美形なのか。
やはり美人の子は美人ということか。
「ええ! それはもう。こちらも美男と美女の夫婦になりそうです」
俺の言葉に鼻で笑うおっちゃん。
奥さんは苦笑している。
ミューズちゃんですら顔を背けて噴き出していた。
ヌアラは俺の視線に気がつくと「ナイスジョーク」と親指を立てた。
半ば冗談で言ったんだけどちょっと傷つく俺。失礼な人たちだ。
「んで、あれか。ルーグ様のご息女が綺麗だったからエルナを裏切って転んだと」
ピタ。
俺の時間が止まった。
お茶を飲もうとカップに手を伸ばしたままの姿勢で固まる。
嫌な汗が滝のように背中を流れた。
「……」
「……」
「……」
「……」
「し、仕方がなかったんです。断る暇もなく話が進んでしまって! 俺は別にエルナを裏切るとかそんな……」
「あー、わかったわかった。冗談だよ。冗談。んでも、こんだけ焦って言い訳してるところをみると、あながち的外れでもなかったみてーだけどな」
軽い言葉とは裏腹にジトーっと俺を睨む。
「でもエルナちゃんはどうするの? あの子……」
「おい!」
何か言いかけた奥さんの言葉を遮るおっちゃん。
「それは2人の問題だろ。おせっかいも過ぎれば迷惑だ。だいいち、エルナとの約束を破るんじゃねーよ」
「でもさ。アンタ」
「なに、兄ちゃんならなんとかするだろ。な! 反対はあるだろうがよ。まあ側室ぐらいには当然するよな!」
「そうさね。妾じゃあエルナちゃんがかわいそうだものね」
なんだこのコンビ。つーか約束ってなんだよ。
おっちゃんは一見、俺を擁護してくれているようだけど、実のところプレッシャをかけてきてないか?
「え、ええ。エルナのヤツが望むんであれば、側室でも何でも良いんですが……なんでも貴族になると一人、自分の直属の部下を持つのが慣わしなんだそうなんです。実は、エルナにはそれになってくれないかと思ってるんですけど」
「ほう。一の騎士か」
感心するような声をおっちゃんがあげた。
謁見の後。俺は何とかという長ったらしい名前の貴族さんから、騎士叙任の際の手順や貴族の心得、習慣といったことの講習を受けたのだ。
新しく騎士に叙任される際には必ずこの人にそういったことを習うんだそうだ。
もっとも、騎士になる人は貴族だからほとんど儀礼的なものらしいが、俺が熱心に聞くのではりきって色々と教えてくれた。
なんでも騎士になると自分の家臣や侍従とは別に、一人だけ陪臣の騎士を選ぶのが慣わしなんだそうだ。それが通称、一の騎士。
色々としがらみや制約の多い貴族だけど、これだけはどんな人でも自分の意思で選ぶことが出来るらしい。
一の騎士に選ばれたものは陪臣ではあるんだけど、貴族に準じる地位になり、終生その騎士の側近として仕えるんだそうだ。いわばその騎士の片腕といったところ。
貴族に準じる地位ってのはよく分からないけど、NTTとかガス会社の社員さんをみなし公務員とかいうからそれに似たようなことなんだろう。
平民が貴族の仲間入りをするほとんど唯一の方法だとのことだ。
実際、お金持ちの商人がお金を貸す代わりに自分の息子を……なんて話もザラだとか。
そんなことを憤慨しながら教師役の貴族の人が教えてくれた。
俺の一の騎士はエルナにこそふさわしい。というより、エルナしか考えられない。
……断られなければだけど。
いまさらな話だけど、この状況はどう考えてもエルナへの裏切りのような気がするし……。
「まあ良いんじゃねーのかな。エルナは腕も立つしな」
「そうさねえ。エルナちゃんも側室よりもそっちの方が喜ぶかもしれないねえ」
「で、ですよね」
なんだかひどく微妙な空気の中で一口お茶を飲む。
ひたすらお茶をすする音だけが居間に響く。
そんな空気に耐え切れなくなったのか、それとも話題を変えようとしてくれたのか、おっちゃんが世間話をはじめた。
「しかしメリルってあれだろ。何年か前によ。魔物に襲われて落とされたとこだろ? 騎士もほとんど討ち死にしてるって話を聞いたことがあるんだけどよ。兄ちゃん、うまくやれんのか?」
「さあ? 内政官ぐらいは付けてくれるんじゃないですかね? ウルドだかなんだかって貴族に保護されているみたいですし」
「ウルドって……ウルド宮廷伯様か!」
なぜか驚いたように俺に顔を寄せるおっちゃん。
「ご存知ですか?」
「いやいや、知らないやつがいねーだろ。なにせこの国でも屈指の大貴族様だしな」
「へー」
「へーってお前……」
あきれたように、ため息を一つつく。
「以前、冒険者に人形の所有を認めた賢王リシャール様の話をしたの覚えてるか? そもそもアレを言い出したのが当時のウルドの当主様だったって話だぜ。その縁でよ。民間の人形師の元締めをやってるのもウルドのご当主様だ。まあ、元締めつっても毎月金とるばかりでなんもしねーんだけど」
「それなら心強いですかね」
「でもよー。そんだけ大貴族様だと下手に借り作るとのっとられちまうんじゃねーのか?」
「あーそれはあるかもしれないですね」
正直このあたりのことはよく分からない。
まあ、俺が気を回さなくても、あちらにもそういったことを考えてる側近がいるだろうしね。
一族が多く死んだって言ってたけど、そういった人は戦闘員ではないのだし、生きている人が多いだろう。
おっちゃんとそんな世間話に花を咲かせていると、それまでヌアラを肩にとめ、なんか言いたそーにモジモジとしていたミューズちゃんが意を決したように俺を見た。
「あのシノノメさん! あっ! いえ、シノノメ様!」
まじめな子だな。
東雲様とかくすぐったくてダメだ。
メリルに行ったらそんなことは言ってられないだろうけど。
「東雲さんでいいですって。なんでしょうか」
「メリルには人形師はいるんでしょうか? 貴族様は、それも辺境伯様なら人形も多く抱えますよね? もしも、もしもよければ私を使っていただけませんか?」
そう言って祈るように俺を見つめる。
なぜかヌアラのヤツも真似して俺を見つめてくる。
だが、俺がなにか言うより早くおっちゃんが怒鳴った。
「馬鹿やろう。おめーみてーな半端な未熟者が阿呆なこと言うんじゃねーよ」
「なんでよ! 私だって一通りの修繕も出来るし、カスタムだってもうお父さんの助け無しで出来るじゃない!」
「ダメだ! 許さん! まだまだ覚えなくちゃならねーことは山のようにある! 第一お前みてーな美人がそんな田舎に行くなんぞ危ないだろ! しかも領主はコイツなんだぞ!」
俺をクイッと指差す。
「お父さんはいつもそればっかり。アレもするな、コレもするな。私には店番ばっかりさせて仕事させてくれないじゃない! それにシノノメ様が領主だってかまわないわ。だいたい、いつもお父さん『シノノメ様ほどオイシイお客はいなかった』って口癖のように言ってたじゃない」
突然始まる親子喧嘩。
あれ? なんか俺酷いこといわれてないか?
まあ、ミューズちゃんは常日頃、色々と溜め込んでいたらしい。なにせおっちゃんは過保護だからなあ。子供としては息苦しさがあったのだろう。
おばさんは「あらあら洗濯物」とかなんとかいいながら逃げた。
ヌアラもミューズちゃんの肩から飛び出して俺の頭の上に着地した。
いつもながら蝙蝠みたいに要領のいいヤツだ。
「まあ、ご家族で話し合ってください。もしかすると人形師の人いるかもしれませんし、まずはランドさんを説得してから、改めてこの話はするということで」
2人とも聞いちゃいねーけど、とりあえずそれだけ言う。
第一身内をほいほいと雇うのはあまり組織にとっては良いことではないだろう。
まあ何事にも例外はあるけど。もし先方がいいと言うのであれば、ミューズちゃん可愛いから雇うことに依存は無いな。
まあ、過保護なおっちゃんを説得するなんてまず無理だろうけどね。
そんなことを思いながら、俺は冷め切ったお茶を一口すすった。