泉の女神
アリ遠征軍がメリルの郊外に駐屯して5日が経った。
連日、猛訓練をしているようで、今もメリルの町を巡回している俺の耳に、遠征軍の兵士達の掛け声がかすかに聞こえてくる。
訓練が過酷ですぐに眠ってしまうのか、それとも規律が整っているのか、心配していた兵士と住民のトラブルもないようだ。
念のため、青蛇騎士団の兵士数名とメリルを毎日巡回していたんだけど、どうやら杞憂だったらしい。
そもそも、本気で町の中には兵士が入ってこない。
1000人もいれば中には不心得なものもいるだろうけど、それを抑えきっている幹部連中はたいしたもんだわ。
ただまあ、色々不満もたまっているだろうし、出発の前夜には酒宴を設けて送り出そうと思っている。
アリは手ごわい魔物だ。騎士団の中には帰ってくることが出来ないヤツもいるだろう。
最後ぐらいは美味しい料理で英気を養って欲しいと思うのだ。
こっそりとお城に来て、ただ飯を食べていく色男が騎士団の食事がマズイマズイと嘆いているしね。
シンシアさんの氷のような態度にもめげないで、何度もきているから本気で不味いんだろう。
正直なところ、あらぬ誤解を受けそうだから色男にはきて欲しくねーんだけど……。
ただ、いろいろ騎士団の情報を教えてくれるからムゲにもできない。あのヤロウ頭がいいから情報を小出しにしやがるしさ。
その色男を通じて、酒宴を開きたいのですが? と打診したところワカメは受けてくれるそうだ。ただ、クドイほど女性のお世話はいらないからと念押しをされた。
嫉妬深いという婚約者の話を聞いていなければ特殊な趣味だと思っていただろう。
つーか、色男が笑いながら教えてくれたんだけど、あのワカメには婚約者から派遣された護衛の騎士が何名かついているんだと。
護衛の騎士とは言うものの当然ながら実態は監視役だ。不義をはたらかないようにと四六時中見張られているらしい。
なんというか、大貴族も大変だよな……。
本当にザマ-……じゃなくて同情するね。
まっ、そんな訳でシンシアさんはその宴会料理の準備にかかりっきりだ。なんせ1000人だからな。それこそ寝る間も惜しんでやってくれているようだ。
ラウルさんとエルナは騎士団の駐屯地に滞在している。
色々と学ぶことも多いだろうと、筋肉ジーさんに頼んでこっそりと駐屯中の騎士の中に置いてもらったのだ。
というのもさ、この世界には士官学校とかないからな。
軍隊の戦術といったものは、それぞれの騎士団なり貴族が代々相伝する感じなんだけど……。
メリルは5年前の魔物の侵攻で幹部騎士が全滅しちゃってる。
ぶっちゃけ、そういった技術が喪失しているのだ。ラウルさんも家宰さんも文官だったから、騎士団のことについてはあまり詳しくない。
だから、たかが10日とはいえ、貴重な学びの機会なのだ。
落ち着いたらケイ君をどこかに見習いに行かせないといけないかもな。
それか、技術を持ってる騎士を雇い入れるかだな。
「じゃあ私はお城に戻ります。後は任せますが、何かあればすぐに知らせてください」
ぐるっとメリルの町を周回したところで、俺は下士官をしている兵士にそういってお城に戻った。
別に仕事を押し付けているわけではない。
カエルさん達がメリルに住むことになったので、その場所を族長さんと協議するのだ。
巡回で汗をかいたので、族長さんに失礼のないように、とりあえず下着だけは替えよう。
そう考えて自分の部屋に戻るとなぜか姫様がいた。
ヌアラに魔法について教えてもらっている最中らしく、どこからか持ち込んだ小さな机と椅子を二つ並べている。その椅子に仲良く並んで腰掛けながら、シルクと一緒に真剣にヌアラの講義を聞いているようだ。
先生役のヌアラはイッチョ前に白衣を着こみ、小さな棒を手に黒板みたいな小さなボードに何かを書いては「ここはテストに出すから明日までに暗記しておくように」
などと偉そうな事を言っている。
うんうんと頷きながら、真剣な表情で机に向かってメモを取っていた姫様が、俺に気がついて顔を上げた。
「あっ! シノノメ様。お帰りになったんですね」
「ええ、先ほど。というか、なぜ私の部屋で座学を?」
「はい。王都にいる爺から手紙が届きましたので。すぐにお渡ししようとこの部屋でお待ちしていました。あっ! ヌアラ師匠の書類はあとすこしで写し終わりますから、申し訳ありませんがもうしばらくお待ちください」
「……そちらは暇な時にゆっくりでいいですからね。それで家宰殿の手紙は……?」
「はいマスター」
シルクが懐から取り出して渡してくれた。
というかなんでシルクも講義を受けてんだろう?
「ありがとなシルク」
とりあえずお礼を言って手紙を受け取る。
魔封がしてあるので、俺と家宰さんだけで決めた秘密の合言葉をこっそり唱え、ざっと手紙に目通す。
手紙はカエルさんの住居に関する意見と今後のメリルの人事に関することだ。
特に人事については詳細に書かれている。
お城奪還からこっち、急ぎの仕事がありすぎて分掌とか滅茶苦茶なんだよな。
出来る人が出来る仕事を目いっぱいやっていたからさ。仕方がないことではあるんだけど……。
ただ、組織としてはこれはマズイ。
というか、いまだ騎士団長すらちゃんと決まってはいないのだ。
「なんだかシノノメ様悪い顔していますね? どんなお手紙なんですか?」
おおう。
騎士団長にラウルさんを推薦した家宰さんの推薦理由が面白かったので、思わず顔に出してしまっていたようだ。不思議そうに姫様が俺の顔を覗き込んできた。
「いや、カエルさんたちの住むところをね。家宰殿に相談していたんですよ」
「住むところですか? ではメリルの住民になるのでしょうか?」
「いえ。彼らは大湿地が住みやすい環境のようで、あくまで当座の処置です」
姫様はかわいらしくちょっと首をひねって思案顔だ。
「でも、討伐軍がもうすぐ遠征しますよね? アリさえいなくなれば大湿地に戻ることができると思うんですけど」
「いえ、そういうわけにもいかないんですよ。アリが討伐されても、大湿地に生息してた動物がほとんど食われちゃってるみたいですし。彼らは狩猟で生計を立てていたようですから、生態系が回復するまでは戻っても生活ができないでしょう」
生態系の回復は時間がかかる。
おそらく10年、20年といった時間が必要になるのではないだろうか。
「まあ、そうでしたか。お気の毒です。でも住む場所といっても……。あの方たちはジメジメしたところがお好きなのですよね? 城内だと乾くからと、よく温泉に入っているのをお見かけするのですけど」
「うん。それで色々と家宰殿と相談をしていたんです。メリルの南外れに綺麗な泉がありますよね? そこなら周りは湿地になってますしメリルの人もあまり住んでいませんからね。これからカエル人の族長殿を連れて聞いてみようかなと」
そこなら近くにキサラ山脈に属する山があるから狩猟も出来るだろう。
それに、熟練の戦士である彼らにそこに住んでもらえれば、南からの魔物の侵攻をいち早く察知できる。
最悪でも時間稼ぎにはなるだろう。
というのが手紙に書かれた鬼畜な家宰さんの意見だった。
「ラフランの泉ですか。たしかに、あの地でしたらあの方達も気に入るでしょう。綺麗な泉ですし。昔は私もよくあそこで遊んだものなんですよね。……では私もご一緒して案内いたしましょう」
「あれ? 座学はいいんですか?」
「中止に決まってるじゃん」
なぜかヌアラが白衣を脱ぎながら答えた。
どうやらコイツもついてくる気らしい。
「……お前もくんの? 忙しいなら無理しなくていいからな」
「大丈夫。最近面白いことないから暇してたの。ピクニックとか超楽しそう」
言外に「お前は来るなよ」と言ったのだがヌアラには当然通じなかったようだ。
つーかピクニックじゃねーし。
「じゃあ、カエルさん誘いにいきましょうか」
「はい」
気を取り直して姫さまに声をかけると、嬉しそうに返事をして俺の右手を握る。
それを見てシルクが俺の左手を握った。
文字通り両手に花というヤツだ。しかもまだつぼみの花だ。
……俺この世界に来て本当によかった。
そんなことを考える俺の頭の上にヌアラが「パイルダーオーン!」などといいながら、ドシンと乗っかった。
……こいつって案外トシいってねえか?
☆★☆★☆★☆★
メリルの町の南外れ。みすぼらしい南の城門近くのその泉はなかなか綺麗な場所だった。
泉というよりも湖に近い大きさだ。少し青みがかった綺麗な水が満ち、大きな魚がスイスイと気持ちよさそうに水面を泳いでいる。
泉の中央には小さな島があり、苔むした女神像がポツンとおかれていた。
「なかなか良い場所でございますね。これでしたら十分我らも住めるでしょう」
ラフランの泉の周りをぐるっと一回りすると、カエル人の族長さんは嬉しそうにそういった。
「それは良かった。では早速手配をいたしましょう」
「ありがとうございます。ルーグ卿をはじめとしてメリルの方たちにはお世話になるばかりです。なんとお礼を申し上げてよいやら」
そういって深々と頭を下げる族長さん。
「いえ、お気になさらず。カエル人殿には今回の遠征にも案内役をしていただきますし、アリの侵攻を防げたのもあなた方のお力添えがあったればこそ。ただ、申し訳ありませんが、この地に住まう以上はルーグの法に従っていただきます」
「それは承知しております。家宰殿からは自治を認める代わりに、ルーグに税を納めるようにといわれておりますので」
「ええ、メリルの住民と関係しないことであればそちらに干渉はしません。ただ、軍務は負って頂きたい。十人、メリルの騎士団に参加願いたいのですが? 代わりに当座の食料等はこちらで支給いたしますし、何名かはお城で雇い入れましょう」
「はいそちらも聞いております。後ほど詳細をシンシア殿、ラウル殿と話し合う予定でございます」
家宰さんが事前に調整していたのか、ほとんど確認だけで済む。
どうやら王都に滞在しているうちに話をつけてくれていたらしいね。
「お話は終わりましたか? この泉は凄くいいところですから、きっと皆様お気に入りになると思います。しかもこの泉には伝説があるんですよ」
「ほう。伝説でございますか」
お国自慢が嬉しいのかニコニコとした表情の姫様。
意外にもカエルさんは興味深々といった感じだ。
「はい。このラフランの泉には女神様が住むと言う話です。あの中央にある女神像はその女神様の像なのです」
「ほう女神がすむ泉でございますか。なんぞ逸話などがあるのですかな?」
「ええ、昔きこりが斧を落としたときに現れたんだとか。大切な斧を泉に落としてしまい途方にくれるきこりの前に女神が現れてこう聞いたのです。
『あなたが落した斧はこの金の斧ですか? それともこの銀の斧ですか?』
そこできこりは答えます。
『私が落としたのは金の斧です!』
すると天空から雷が落ち、欲深いきこりは死んでしまいました……という話です。正直でないと結局は罰が当たるという戒めですね」
ど、何処かで聞いたことがあるような、ないような……。
またパクッたな。
というか、そこは正直に答えろよ。
などと俺が内心突っ込みを入れていると、背後から大きな声が聞こえてきた。
「あーーーごめーーーーーーーんーーーーー! 体が滑ったーーーー!」
声と共に俺に体当たりして泉に落とそうとするヌアラ。
だが、これでも俺は元深層冒険者。黒衣の冒険者の異名まで持つ手練の戦士なのだ。
考える前に体が勝手に動いていた。
間一髪。身をよじってかわすと、俺を掠めるようにヌアラが飛んでいき、その勢いのままチャポンと落ちた。
……愚かなヤツだ。
「あの、どうしましょうか? なかなか浮かんできませんけど……」
「なに自業自得です。しばらくすれば……」
そう俺が言い終わらないうちにいきなり泉全体が眩いばかりの光に包まれた。
何事かとちょっと身構える俺たち。
そんな中で、泉の水が盛り上がり、ゆっくりと一人の羽の生えた女性が現れる。
泉の中央にある女神像そっくりだ。
おい、まさか……。こんなベタなイベントまであるのか。
耳に水が入ったのか、トントンと傾けた頭を手で叩きながら、ニコニコと俺たちに笑いかけるその泉の女神。
「あなたが落としたのは、このちょっとましな性格をした妖精ですか?」
そういって持ち上げた手には額に【善】とマジックでかかれた妖精。
「それともこちらのチョイ悪妖精でしょうか?」
今度は【悪】と書かれている。
どう答えたもんかと迷う。嘘つくと雷が落ちるんだろ?
かといって本当のことを言えば……。
「いいえ、私の師匠は額に何も書かれていないヌアラ様です」
ちょっとおお。
姫様、その返事はまずいぞきっと。
案の定。「感動した!」ってな表情を浮かべる女神。
「ああ、なんと正直な方なのでしょう。分かりました。あなたには3匹の妖精を差し上げましょう」
そう言って、懐をゴソゴソあさってぐったりとしたヌアラを取り出す。
いらん。いらんぞーーーー!
3匹に増えたら俺がストレスで死ぬ。
「いえ、お気持ちは嬉しいのですが、ヌアラは1匹で十分でございますので」
「えーシノノメ様。ちゃんと私がお世話もしますし、餌もあげますから」
犬やネコじゃないんだからさ……。
俺たちがそんな感じでもめていると、背後から申し訳なさそうなカエルさんの声がした。
「あのー非常にどうでもいいことかもしれませんが……私達この泉に住めるんでしょうか?」




