ヌアラの偵察
篭城生活2日目の早朝。
黒パンと具のあまり入っていない塩スープといった質素な食事を済ませた俺は、夜間に城外のアリを見張っていた兵士さんの報告を受けた。
篭城というのは初体験なので緊張してよく眠れなかったからちょっと眠い。
同じ室内には家宰さんやシンシアさんといったメリルの幹部っぽい人が集まっている。みんな赤く充血した目をしているから、俺と同じように良く眠れなかったらしいね。
ここにいないラウルさんは、ルーグの騎士団である青蛇騎士団を指揮してお城の警備に当たっている。
彼は戦闘能力的にはそこいらの兵士にすら負けるぐらい弱いけれど、組織運営的な手腕はなかなかの物を持っているようだ。短時間に兵士達のローテをくみ、城外でアリ達の動静を監視している。ぶっちゃけ家宰さんもいい年だし、彼は次代のメリルを担う逸材といっていいんじゃないかな。
先のルーグ卿がラウルさんを家宰さんと共に姫様に付けて落ち延びさせたのもうなずける話だ。
なにやっているのかわからないけど、畑の農作物を食い散らかしているほかは、城外のアリに動きはないらしい。
まあ、おそらくはカエルさんが言うように、こちらに穴掘って侵入を試みているんだろう。
その報告を聞き。室内の皆で今日一日の行動を確認した後、俺はヌアラをその場に呼びつけた。
女王アリの居場所を空から偵察してもらうためだ。
朝早くにおこされたのが気に入らないのか、不満そうにやってくるヌアラ。
ちょっと腹が立ったが、それでも表情だけはにっこりと微笑みながら、俺はコイツの機嫌を損ねないように丁寧に頼んだ。
「ヌアラ。ちょっと女王アリの居場所をさ、空の上から偵察してきてくれないかな?」
「嫌です」
「……ちょっと言い方を間違えたな。ヌアラ。ちょっと女王アリの居場所をさ、空の上から偵察してこい」
「絶対に嫌です! もしも羽アリとかいたらアタシ死ぬじゃないですか!」
そう言うと、物凄い速度で部屋を飛び出し、以前メリル城奪還のご褒美として姫様からせしめたドールハウスに飛び込む。
カチッ。
後を追いかけていた俺の耳にそんな小さな音が聞こえる。……このやろう鍵をかけくさったな。
そのまましばらく待っても出てこない。プチ篭城しやがったのだ。
仕方がないからこの忙しいさなか、ドールハウスを取り囲み、城内の人が総出でヌアラの説得に取り掛かった。
「そんなに心配しなくても大丈夫だって。見たところ羽のあるアリは居ないみたいだし」
意識して気楽そうな口調の俺の言葉に続いて、シンシアさんもヌアラを説得にかかる。
「そうですよヌアラさん。ジャイアントアントには羽アリは居ないはずだと、カエル人も言ってますから」
普段のキツメの口調ではなく、ちょっと猫なで声でヌアラに声をかけるシンシアさん。
だが返ってきたのはヌアラの不機嫌そうな声。
「居ないはずって……。ヒトゴト……妖精ごとだと思って気楽に言わないでよ」
「いや、もしもだ。万が一居たとしてもお前のスピードなら逃げ切れるだろ? 探知の魔法を使って警戒しながら偵察してさ、もしも居たらすぐに逃げてくればいいさ」
「さようですな。ヌアラ殿の飛ぶ様はまさに風でございますから。なまなかな魔物では追いつくことは出来ますまい」
さすがに万事に慎重で思慮深い家宰さんのこの言葉には、ヌアラもちょっと心を動かされたみたいだ。
「そうかなあ? そりゃアタシってば妖精仲間では一番速いですけど……そういえば東雲も早いよね」
と、満更でもない様子。
……俺のことはほっといて欲しいけどな。つーか俺の早さを何でお前が知ってるんだと。いいんだよ回数重視なんだから俺は。
いやまあ、今はそんなことはどうでもいい。
なんだか態度が軟化してきたヌアラにここぞとばかりに畳み掛ける俺。
「なあ、ヌアラ。考えてもみろ。もしも女王アリを見つけたらさ。お前メリルの英雄だぞ英雄」
「au?」
「……それは携帯会社だ。英雄だ英雄。ヒーロー」
この切羽詰った状況で、糞みたいな冗談を言ったヌアラに一瞬怒りがこみ上げるが、かろうじて我慢した。偵察に行かせるまでは、こいつの機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。
「英雄ねえ。……英雄になるとどんな良い事があるんですか? アタシの毎日の食事に小牛のひれ肉がつくとか? あっ! お風呂のお水にしますからワインもください」
……このやろう。人が下手にでてれば調子に乗りやがって。
「なんだそんなことでいいのか? メリルの英雄なんだから当然、前向きに考えるさ。厨房のつまみ食いだっていくらでもして良いんだぞ?」
「まぢで! ホントに?」
「まじまじ。俺のほうから厨房の人には言っておくからさ。たぶんOKしてもらえるさ。偵察で女王アリを見つけ出せたら、メリルの町の大広場にヌアラの像を立てることも検討するしな」
「おっ、おお! 像は金製でお願いしますね」
本気で俗物だなコイツ。
まっ、その後も説得を続け、単純なコイツは最後にはしっかりと自分でもその気になって、張り切って偵察に出かけたわけである。
もちろん、ヌアラが偵察に成功したあかつきには、あいつの要求を日本の政治家のように前向きに検討してやろうと思う。
☆★☆★☆★☆★
「シノノメ様。ヌアラ殿が戻ってきたようですぞ」
城外の中庭で空を見上げていた家宰さんがほっとしたようにそう言った。
お城の外でアリの動きを監視しながらヌアラの帰還を待っていた俺たちは、その言葉にいっせいに空を見上げる。確かに遠くの空から、ヌアラが凄いスピードでこちらに帰ってくる。
「ご苦労様ヌアラ。で、首尾はどうかな?」
「バッチリに決まってるじゃないですか。女王アリの位置を確認してきましたよ」
そう言いながら、よりにもよってシュタッと家宰さんの頭の上に着地するヌアラ。
うぉい! その人だけには失礼なことをするんじゃない!
事実上メリルの地を切り盛りしているのはその人なんだから。
「おい! お前、家宰さんの頭から降りろ。失礼だろ」
「えへへ。以前からちょっとのってみたかったんですよね。ツルツルしてて面白そうだし」
お前……家宰さんのナイーブなところを……。
ラウルさんとか必至に笑いをこらえているじゃないか。
「……いえいえ、シノノメ様かまいませんよ。それよりもヌアラ殿。女王はどこに?」
「んとね。あっちのね丘の上に居たよ」
そういって、以前俺がラウルさんに案内されて登ったちょっと小高い丘を指差すヌアラ。
「間違いないんだな? 見間違いじゃないよな?」
「大丈夫ですって。英雄の私がちゃんと確認したんですから」
いや、お前だから心配なわけなんだよヌアラ君。
てゆーか不満そうに家宰さんの頭をペチペチ叩くのはやめろと。見ているこちらが気が気じゃないぞ。
「だいたい、女王アリってば白くて上半身が女性でしょ? 見間違え様がないってば」
「ルーグ卿。この妖精殿の言葉に間違いはないと思います。襲撃の折、我らが目撃したアリの女王は、確かにそんな姿でございました」
実際に見たことがあるカエルさんの指揮官タゴガさんがそう言うところを見ると間違いじゃないっぽいな。
女王アリさん良い所にいてくれる。
あの丘の付近には以前使った隠し通路がある。急襲しやすい場所だ。
「間違いないか。あの丘にいるということなら、例の通路が使えるな」
「女王アリは防御に適した小高い丘に陣を構えたつもりでしょうが、所詮は虫の浅知恵といったところですかな。しかしあの丘近くにおるということは、逆に、やつらに隠し通路が発見されれば面倒ですな。いつでも通路を破壊できるように手配いたします」
ぼつりと呟いた俺の言葉に家宰さんが応じた。
だがヌアラはちょっと小首を傾げる。
「あーでもねー女王アリの周りにはちょっと大きめのアリが囲んでいたからさ、奇襲とか難しいと思うよ?」
「なに、もともと俺達だけで奇襲は無理っぽいからな。援軍が来たら情報を渡してみるさ。あの隠し通路も公開する事になりますけど……かまいませんよね?」
「まあ事情が事情ですからな。致し方ないところでしょう。後で通路は埋め立ててしまえばよいでしょうし」
たしかに、お城へと続く隠し通路が他の人間にバレたら危険だしな。
勿体無い気はするけど、埋め立てるべきだろう。
「ああ、そうですね。じゃあ、お城に戻ってそのあたりことを話し合いましょうか?」
「分かりました。それではラウル」
「はっ」
「当座の騎士団の指揮はお前がとりなさい。異変があれば即座に報告をするように」
「分かりました家宰様」
「ではシノノメ様。まいりましょうか」
「あっ、はい」
やっぱり家宰さんは頼りになるなー。などと考えながら俺たちはお城へと引き上げた。
まあ、頭の上にヌアラがのっているから少しユーモラスだけれども。
☆★☆★☆★☆★
ヌアラから詳細な情報を聞き取った後で、俺達は城内の一室で作戦会議を開き今後の行動方針を決めた。
まず、援軍がくるまではこちらから出撃しない。
これは戦力差がありすぎるから当然だ。
次に、アリの掘削地点を調べるために、お城の壁に領内の人を一定間隔で置いて音を調べてもらうことにした。
アリがどういった手段で穴を掘るのかは知らないけど、無音で掘るということはないだろう。
壁に耳をあておかしな音がしたらすぐに報告してもらって対処する。
最悪の場合はその区画を放棄する必要があるからだ。
そして援軍の到着を待って隠し通路から出撃する。
小高い丘に陣取ったアリの女王を急襲。撃破。勝利。シノノメは美人の嫁さんと、獣人の愛人と一緒に末永く幸せにくらしましたとさ。めでたしめでたし。
とまあ、こんなことを決めた。
もっとも、援軍の指揮権は俺にはないだろうから、指揮官の人に提案という形になるだろうけど。
どう考えてもこの方法がこちらの犠牲者が少ないだろうから否とは言わないだろう。
「それじゃあ、シンシアは城内で警戒してもらう人の選別をお願いします」
「分かりました。今日中に町の人と話し合ってみます。……それと、姫様とも少し話してみます」
そういや姫様もまだこのお城にいたな。
まあ、どうしても嫌だというんであれば無理やりにでもゲートに放り込むしかない。
「お願いします。それで、家宰さんは申し訳ないけどワールに跳んでいただいて、戦えないカエル人さんの避難の打診。それと避難しているメリルの人たちの現状視察。この二つをお願いしたい。できたら姫様も一緒に連れて行っていただけると嬉しいのですが……」
「かしこまりましたシノノメ様。ただ、ひい様は……まあシンシアの後で私も話してはみます。それとランディ殿のところで食料をはじめとする物資の購入についても打診しておきたいのですが? 特に、城内の兵糧はこの人数ではもって10日ですからな。援軍が来ることも考えますと足りないでしょうから」
ああそうか。兵糧の手当てもしないといけないな。やることが多すぎて嫌になる。
お城にゲートがあるから俺たちの世界の篭城とは違って多少余裕があるけど。
最初見たときにお城の側にゲートなんぞがあると、奇襲とかありそうだから危険だなーと思ったんだけど、こういうときには確かにお城の近くにあったほうが都合がいい。さすがによく考えられてんだな。
「ちょっと仕事の量が多いですが、ぜひ、そちらもお願いします。んで、ラウルさんは……ああそういやいまは城外で警備の指揮を取ってもらっているか」
「ルーグ卿。我らはいかが致しましょうか?」
と、カエルさん。
どうしたもんかな。現状にらみ合いだけならうちの青蛇騎士団で事足りる。
下手にカエルさんにも参加してもらっていざこざが起きてもなあ。まあ、今のところは待機していてもらおうか。
「あなた達は傷薬で怪我は治っているでしょうが、いまだ疲労はあるでしょ? 今日一日は休養していて……」
そういいかけた俺に城外からかすかに爆発音のような音が聞こえてきた。
続いて虫のあげる甲高い金切り声と兵士達のざわめき。
(アリが何か仕掛けてきた!?)
うちの兵士ではアリ相手の戦闘は荷が重い。素人に産毛が生えたような兵士なのだ。
慌てて俺は部屋を飛び出し城外へと走った。
へやの入り口で警備をしていた高級人形のノクウェルが慌てて俺を追いかけてくる。
「シノノメ様!」
城外に出ると騎士団の指揮をとり、アリを見張っていたラウルさんが焦った様子で俺の元に駆け寄ってきた。
「何事ですか?」
「いえ、状況が良くつかめませんが……アリどもに何者かが城外で戦闘を仕掛けたようなのです」
「戦闘を?」
だれだ?
考えられるのはワールの町の筋肉ジーさんだが……。
メリルがアリに襲われて1日足らず。距離的にはここぐらいしかこの時間で援軍にこられる町はないはずだ。
だが、いくら筋肉ジーさんが脳筋だとはいえ、ワールの騎士団単独であれほどの大群に仕掛けるだろうか?
そもそも、ワールに送った使者からは出撃には2日かかると聞いている。
首をひねる俺の目に赤い光が飛び込んでくる。さほど間をおかずに聞こえる爆発音。
どうやら女王アリが居るという丘の辺りを攻撃しているようだ。
というか、あの赤い光なんか見覚えがあるような……。
「おっ! 丘に向かって誰か単騎で攻め入っておりますぞ!」
ラウルさんの指差す方向には確かに人影が見えた。
黄金の鎧に身を包んだ人影が、長柄の武器を振り回しながら一直線に丘の頂上目指して走っていく。
「すごい! アリが蹴散らされておりますな」
感心するような声をあげるラウルさん。高揚しているのか頬が赤く染まっている。
だが、俺は逆に青くなった。攻撃を仕掛けている奴の正体がわかったのだ。
エルナとシルクだ。
相変わらず無茶するよなあいつら。
だけど、今回ばかりはいくらなんでも二人だけじゃあ無理だ。
……
……
数瞬、めまぐるしく俺の頭の中をいろいろなことが駆け巡る。
メリルに住む人のこと。姫様やシンシアさんのこと。
それでも俺は、高級人形ノクウェルにむかって大きな声をかけた。
「ノクウェル! 人形に召集をかけろ! 俺達も打って出る!」




