<続>デスマーチ
姉さん事件です。
いや、俺には妹しかいないけど。
メリル城奪還から20日。
家宰さんとシンシアさんが相次いで倒れた。
連日連夜の過労で心身が衰弱していたのか、タチの悪い風邪を引いたのだ。
なにせ空気穴があるので風通しは悪くはないとはいえ洞窟という環境。一人でも風邪を引いたりすると感染が早い。思わぬメリル城の弱点だ。
老体に鞭打って激務をこなしていた家宰さんがまず倒れ、シンシアさんが続いた。
二人とも本気で仕事中毒じゃないかと思うぐらい働き通しだったからなあ、無理もないだろう。
本来ならもう少し復興作業をゆっくりとやってもいいのだが、なにせ俺の叙任の理由が理由だ。
いずれ来るという神託の災厄がなんであるか分からない以上、少しでも国内を整備してコトに当たるために随分と無理をしていたらしい。
幸い命にかかわるといったものではなく、医師の見立てでは2,3日静養を取れば治るとのこと。
特にジーさんは年も年だし、そのままぽっくりいかれたらどうしようと思っていたので、ホッと胸をなでおろした。
今は二人ともベットですやすやと眠っている。まあ二人にとってはいい休養になるんじゃないだろうか?
とりあえずは一安心といったところだけど……それからが本当の地獄だった。
二人の抱えていた仕事のうち、急を要するものが全部俺のところに回ってきたのだ。
憎い、無駄に丈夫な俺の体が憎い。
幸い、ラウルさんが復帰しているので、可能な限り彼に仕事を押し付ける方向で一緒に頑張ろうと思う。
姫様も書類にサインする作業のお手伝いをしてくれるそうだ。ただ、賢い子だとはいっても姫様はまだまだ幼い。心配なので姫様のサインした書類は再確認しているから仕事量は変わっていない。
だけどその手伝おうとする心意気が嬉しいじゃないか。
姫様と同じ部屋で作業できるから俺としてもやってて楽しいしね。
二人が倒れて2日目の夜。
全然寝ていない俺が幽鬼のようにフラフラと城内を歩く。
ラウルさんと一緒に取り組んでいた塩山の復旧にようやく目処が立ったので、2日ぶりにお風呂に入りベッドで眠るために自室に移動しているのだ。
メリルの塩山は最初は山の中にでっけー塩の塊でもあるんだろうと思ってたんだけど、実際の塩山はほとんど畑だった。
山の斜面に作られた段々畑のような塩田に、なぜか塩分の多いキサラ山脈のとある川の水を引き込み、土にしみこませた上でそれを乾燥させるという方法で塩を採取しているようだ。
メリルの塩がちょっと甘いのはその際に土に含まれるビタミンとかミネラルが塩に混入するからっぽい。お城を占拠していた魔物も塩は必要だったのか、めちゃくちゃな使い方をしてやがったので、今日まで回復が遅れたのだ。
目が血走り、ブツブツと明日の予定を忘れないために呟きながら歩いているので、侍女の人とか怖がって遠巻きに見つめている。
まあ正解だ。
疲れている上に睡眠不足なのになぜか性欲だけは異常に高まっているのだ。
女性のにおいとかかいだらどうなるのか自分でも分からないし。
お酒も飲んでないのにフラフラと俺の部屋の前まで来てみると、なぜか姫様がいた。
手に大きなお皿を持って、うろうろと部屋の前を行ったりきたりしている。
夜這いだろうか?
最近の子は積極的だ。
睡眠不足と過労で脳みそが溶けかけている俺は、そんなことを考えながら姫さまに声をかけた。
「姫様、何か御用ですか?」
俺の声にビクッと震える姫様。
だがなぜか少し不満そうな表情だ。すこし膨れっ面している。
姫様が動いた拍子に、湯上りなのか、石鹸の良いにおいが俺の鼻をくすぐった。
「シノノメ様。姫様ではなくレイミアです」
「あーそれは申し訳ない。なんだか呼び方に慣れてしまって。それに呼び捨ては少し抵抗があるというか……」
俺が言い訳するとちょっとため息をつく。
「今はいいですけど、これから少しづつ直していってくださいね」
スイマセンといいながら、一つあくびまでしてしまう。
本気で眠いのだ。
「シノノメ様。あの、大丈夫ですか? なんだか凄く疲れていらっしゃるようですけど」
「多分大丈夫です。たった二日徹夜しただけですし……これから4時間も眠れますし。姫様こそ、もう寝ないとダメな時間じゃないんですか?」
「私は……あの、シノノメ様はお食事はまだだと聞いたので、お夜食を作って持ってきたんですけど……お疲れでしたら後日にしたほうがいいですよね?」
正直いまは食事よりもただひたすら布団にダイブしたいけど……。
姫様がせっかく作ってきてくれたのだ。何で断ることが出来るだろう? いやそんなことは出来ない。
「ああ、じゃあ寝る前に少しお酒を飲むつもりですから、お摘みにさせていただきますよ」
「あっ私、お酒は飲んだことないんですけど……少しだけなら……」
おや、姫様も飲むのつもりなのか。
そういや今だ姫様とはじっくりと会話したこともないな。
というか、姫様っていくつなんだろう? お酒は20からってのは日本の法律だけど、この世界にも年齢制限があったりするんだろうか?
「じゃあ、むさくるしい部屋だとは思うけど、どうぞ」
そういって部屋の扉を開ける。
むさくるしいとは言うものの、実際はきちんと整理整頓が行き届いている。
毎日侍女っぽい人が掃除してくれているし、何より忙しすぎてほとんど利用していないのだ。
全然生活感のない部屋だ。
テーブルとかないのでちょっと無作法かもしれないけどベッドの上に姫様の料理を盛ったお皿を置く。
どうやらメインは朝一番に締めた鶏さんのタタキらしい。黒パンが添えられている。
俺のいた世界とは違い、この世界では鶏さんってばちょっと高価な食材だから、姫様は気を使ってくれたらしいね。
「姫様はワインでいいのかな? それともイモ酒?」
「よく分かりませんからシノノメ様と同じものでお願いします。それと……レイミアです」
俺と同じだと、ジャガイモっぽい芋から作ったという度数の高い蒸留酒だけど……さすがにコレは初心者、しかも女の子には辛いだろう。
仕方がないのでグラスにワインを半分入れ、氷石の入った小型の氷室からリンゴっぽい果実をしぼったジュースとりだし同量入れた。
姫様にグラスを渡し、コチンと乾杯してお酒を一口。疲れているんで本気で五臓六腑に染み渡る。
「あら? 意外とお酒というのは飲みやすいものなんですね。おいしいです」
姫様のお口にあったようだ。
まあ、ワインは元々度数がさして高くない上、口当たりの良い果汁が入っているからほとんどジュースだしな。
飲み物を飲んだらお腹もすいてきたのでタタキを一切れ口に放り込む。
姫様の腕前もあるのかもしれないけど、素材が新鮮だからプリプリの弾力があって美味い。
軽く食べてすぐに寝るつもりだったけど、本気で食べだす俺。
ぱさつく黒パンもワインで流し込む。その様子を嬉そーに見ている姫様。
「お味はどうでしたか?」
俺が最後の一切れを飲み込むと待ちかねたように感想を聞かれた。
こういった状況で不味いといえる奴はちょっと尊敬に値するよな。勿論、俺はそんなことは言わない。実際かなり美味しかったし。
「はい。凄く美味しかったです。コレならもう一皿食べられますね」
「あっじゃあ持ってきます」
そういってちょっと腰を上げる姫様。
この子貴族のお姫様だってのにフットワークかるいよな。とはいえ、確かに美味しかったけど、さすがにもう一皿食べられるというのは言葉のあやだ。
「あっいや、今日はもう眠りますのでこのぐらいで」
「そうですか。シノノメ様には大変お世話になっていますから、ご希望があれば何でもおっしゃってくださいね。今だってこんなにもおそくまでお仕事されているんですし」
「いや、たいしたことはしてないですよ。今だって、俺がなれていればもっと少ない時間で仕事も終わるでしょうし」
コレは謙遜でもなんでもない。
書類仕事を一つするにしても、文字は読めるけど、専門用語とか分からないからな。そのたびに家宰さんやシンシアさんに聞いているのだ。そりゃ時間もかかろうというものだ。
「そんなことはないですよ。爺もシンシアもシノノメ様のお仕事ぶりには本当に感心しておりましたもの。特に領民の仲裁は根気よくやられているので城下の評判も高いようですよ」
あっ、なんか俺泣きそうだ。
地道に仕事やって人に認められるのは嬉しいんもんだよな。
恥ずかしいので指で自分の目をグリグリと押す。ついでに大きく伸びまでしてみた。
「お疲れのようですね……。そうだ! シノノメ様。肩がこってはいませんか?」
「肩? 多少はこっているといえばこってますかね」
「でしたら少し私にマッサージさせてくださいまし。幼い頃によく父にして差し上げたんですよね」
まあ、姫様ってば今でも幼いけどな。
「じゃあ、少しお願いします」
ぜっかくの好意だしと頼んでみたものの、正直俺はあまり期待していなかった。
マッサージはある程度力がないと気持ちよくないし、姫様の細腕じゃあ、さしてきかないと思ったのだ。
だが、いざやってもらうと思いのほか気持ちが良い。
力は弱いものの、なんともいえない熱のようなものが姫様の手から体に伝わってくる感じだ。
姫様に肩をモミモミとされているうちに、あんまり気持ちがいいもので、疲れていた俺はいつしか眠りに落ちていた。
☆★☆★☆★☆★
スースーといったかわいらしい寝息が聞こえた。
姫様にマッサージしてもらいながら寝てしまった俺が目を覚ますと、俺の右腕を枕に姫様もベッドに寝ていた。
もしや……やっちまったのか?
一瞬、恐怖にも似たそんな思いに襲われ、慌てて自分の下半身を確認しようとする俺。
だが、どうしたことか、俺の体はピクリとも動かない。
首から下がまるで金縛りにでもあったかのように動かないのだ。
まるでというか、金縛りなんだろうか? 霊感が強かったりすると朝起きる時に体が動かないことがあるってな眉唾な話はきいたことがあるが、俺は今まで経験したことがない。
だが、いつまでもこのままだと、起こしに来る侍女の人とかに見つかると面倒だ。
シンシアさんに通報されるだろうし。
そうなると冗談抜きで殺されかねない。
なんとか起き上がろうと、色々と試行錯誤してて俺は気がついた。姫様の枕になっている右手が動く。
姫様を起こさないようにゆっくりゆっくりと右手を引き抜いた。
苦心しながら引き抜いたその手で布団をめくる。
目に入った光景が、俺にはちょっと意味が分からなかった。
……俺はこの異世界で結構色々な経験をした。
血の海や屍の山も数多く見た。
そんな俺だったが、思わず悲鳴を上げてしまった。
俺の首から下が蛇っぽい鱗に包まれたものにグルングルンに巻きつかれていたのだ。
俺の悲鳴で姫様が目を覚ましたようだ。ちょっと息を飲む気配と、身じろぎするシーツの音がした。
同時に俺の半身を締め付けていたものが少しづつほどけていく。
あれ?
コレはもしかして……。
俺が驚きの表情で姫様を見つめると、なんだか酷く悲しいような、それでいてなんか凄くほっとしたような不思議な表情を浮かべる。
「バレちゃいましたね」
いたずらが見つかった子供のような口調でそう言うと、姫様は妖しく微笑んだ。