メリルへ
「それじゃあランドさん本当にお世話になりました。落ち着いたらメリルに遊びに来てくださいよ」
むすっとした表情のおっちゃんにそう声をかける。
先日、俺が騎士になったので俺と姫様たちがメリルの地に旅立つのだ。
――叙任式。
貴族にとっては一世一代の大イベントらしいのでどんなものかと期待していたのだが、俺は特例なためかひどく簡素なものだった。
謁見の間で簡単な誓いの言葉を言った後に、王様に首筋を手刀で打たれて終了。
その後は参加者もまばらな立食パーティ。
冗談のような話だが本当だ。
なんでもウルドに気を使った結果らしい。
大体、紹介を受けた参加者も、嫡男が出席している貴族はまだましで、次男とか三男とかばかりだ。
当主クラスが出ていたのは、俺に貴族としての心構えを教えてくれた人と神殿関係者を除けば数人だった。
シンシアさんはえらく憤慨していたが俺としては楽だったし、その後で鎧兜と剣。さらに人形を5体下賜されたので文句はない。
しかもそのうちの一体は王室お抱えの人形師の作った高級人形なのだ。
おっちゃんいわく、買えば3000万ヘルはするらしい。
最低限の強化もされているから実際はもっとするだろう。
「ああ、元気でな兄ちゃん」
そういった後でズイッと俺に口を寄せる。
「手えだすなよ」
「出しませんって。ミューズちゃんは赤ちゃんの時から知っているんですから」
そう、ミューズちゃんもめでたくメリルに行くことになったのだ。
彼女の3日にわたるハンガーストライキの末、おっちゃんがついに折れたのだ。
気前のいいことにおっちゃんはその際に俺の借用書を破いてくれた。これから娘がお世話になる領主に恩を売るんだそうだ。そういうことは本人の前で言うなよという話だが。
そのミューズちゃんは奥さんと抱き合って別れを惜しんでいる。
「頑張るんだよミューズ。シノノメさんの言うことをよく聞くんだよ」
「うん」
「貴族様の側室になればホントに安心だからね。頑張るんだよ」
「えっ! 頑張れってそっちなの?」
二人のやり取りが聞こえたのか苦味虫を噛み潰したようになるおっちゃん。
「なあ兄ちゃん。手えだすなよ」
「だから分かってますってお義父さん」
「……面白くないからなその冗談。手えだしたら……」
「わ、わかってますって。俺を信じてください。それよりも、もしもこちらにエルナから手紙の返事がきたら、メリルに行ったと伝えてくださいね」
「おう。それは任しとけ。エルナとシルクにあったら驚くぜー兄ちゃん……ミューズに手えだすなよ」
こえー。
本気で殺されそうだ。
「じゃあもういきます。あちらも待っているでしょうから」
「ああ、兄ちゃんも元気でな。ミューズを頼む。手えだすなよ」
くどい。
ドンだけ信用ねーんだ俺は。
手はださねえよ! 手はな。
☆★☆★☆★☆★
4頭立ての馬車にはルーグ家の家紋だという絡まりあった2匹の蛇が描かれていた。
車内も豪華で座るところにフカフカのクッションがしいてあるから非常に快適だ。
その馬車の後には牛や豚蛙といった家畜が十頭ほどつながれていた。
鶏も数十羽家畜用の馬車に乗せられて牽引されている。
なんでも、これを城で飼育して日々の食事にするんだそうだ。
なんというか日常感があるのな。
貴族というのはもう少し、優雅で、お洒落なイメージだったんだけど。
というか、締めた鶏とか食えるんだろうか俺……。
馬車は町中をトポトポと非常にゆっくりとした速度で進んでいる。
人形達が徒歩で歩いているからだ。高級人形ノクウェルはしんがりだ。
なんでも町の郊外に転移のための門があるから、そこから中継都市リープに行くんだそうだ。
少人数を転移させる場合と違い、大きな町には必ず中継都市につながる門があるから馬車なんかはそれを使う。
本来はメリルにも門があるのだが、先の侵攻で破壊されてるので隣の領主の本拠地ワールの町まで跳んで、その後、メリルに向かうと説明された。
ワールからメリルまではおおよそ半日らしい。
車内には4人と2匹。
俺とシンシアさんと姫様と白い犬。そしてなぜかミューズちゃんとその肩に座っているヌアラ。
シンシアさんがしきりと恐縮する彼女を強引に乗せたのだ。
車内はなんとなく重苦しい雰囲気だ。
さほど気心が知れた仲というわけでもないからなあ。まあ、当然か。
「しかしよかったんですかね? 俺もウルド様に挨拶しなくても」
重苦しい雰囲気をどうにかしようと無理やり話題を出す俺。
ホントの所はウルドなんつー恐ろしい相手には顔を会わせなくてほっとしているのだが。
「それはかまわないと思います。というよりもウルドのご当主が先日より国をあけておりますからね。嫡男も次男も地方に赴任中ですし、ヴァル殿にシノノメ様を合わせるわけにも参りませんし」
「ああ、やっぱりヴァルという方は……その、俺を恨んでいたりするんですかね?」
「ええ、申し上げにくいのですが……少々思慮の足りない方なので」
何気に辛口なシンシアさん。
まあ、3男とはいえ大貴族の息子が何の役職にもつかないでブラブラしてるらしいから、出来がよくない息子なんだろう。
「それよりもです。人形師とおっしゃっていたので、男性だと思っていたのですが……女性の方なのですね」
そういいながら姫様の方をチラっと見るシンシアさん。
姫様は白い犬の首を抱えながら、ウツラウツラと首を振っている。
メリルの地に戻れるのが嬉しくて昨晩は寝られなかったんだそうだ。
「あれ? いいませんでしたかね? お世話になった人形師ランドさんの娘さん。ミューズさんです」
「ミューズです。あの頑張りますので、よろしくお願いします」
借りてきた猫のようだったミューズちゃんが緊張しながら頭を下げた。
「はい。人形師の方は大変に貴重ですからね。こちらこそよろしくお願いいたします」
にっこりとそんなミューズちゃんに微笑むシンシアさん。
「それで、お二人は男女の関係なのですか?」
ストレートだ。
ミューズちゃんと思わず顔を見合わせる。
「いえいえ。それは有りませんよ」
「そうですそうです。シノノメ様は父の工房のお得意さまだってだけですし。それに私面食いですから」
おい。どういう意味だ。
「そうですか。でしたら安心ですね。いえ、ご気分を悪くされるかもしれませんが、聞いておかないとミューズさんの扱いをいかようにすべきか分かりませんので」
アンタも納得するなよシンシアさん。
と、チョイチョイと俺の袖を引っ張るヌアラ。
わざわざミューズちゃんの肩から俺の肩まで飛んでくる。
「東雲。ミュー様がよく言ってたんだけど、何気ない会話にこそ人の本心がうっかり出るらしいよ」
それだけ言うとまたミューズちゃんの肩に戻るヌアラ。
ヤロウ……死人に鞭打つような真似しやがる。
「そ、それで、メリルというのはどんなところなんですかね?」
この話題が続くと俺が泣きそうになるので話題を変えることにした。
「メリルですか? いいところですよ」
そういうとシンシアさんはガサゴソと馬車の手荷物をあさり一枚の紙を取り出した。
そのまま車内に広げる。どうやらこの王国の地図のようだ。
地図には半島っぽいものが書かれている。イタリアだとかお隣の朝鮮半島。そんな感じの半島だ。
この王国は半島国家だったのか。中央やや右下にある赤い大きな丸がアルマリルの町らしい。
半島の西よりに大きな湖があるのかそこだけ水色で塗ってある。
「ここがメリルです」
指をさしたのは地図の西ハズレ。
大きな湖岸に黒い小さな丸印がうってある。南にはキサラ大山脈と書かれた場所、西にはネブルの大湿地と書かれている場所にはさまれた僻地だ。
どう考えても田舎っぽいな。
「ワムケールの湖の近くですからお水にも困りませんし、キサラ大山脈では温泉だってわいているんです」
「ほー温泉があるんだ」
「あっ。私、温泉初めてです。ちょっと楽しみかも」
「じゃあ今度一緒に入ろうか?」
「お断りします」
チッ。
ドサクサに上手いこと紛れたと思ったのだが。
「……まあ城内にも引いていますからいつでも入れますよ。もっとも今もメリルのお城は魔物に占拠されたままですが」
まだお城は奪還してないんだったなそういえば。
5年も魔物に占拠されたままってのは国防上どうなんだという話だが。
「ウルドの騎士団が駐屯しているんじゃなかったですか?」
「ええ。でも、戦力不足でしょうね。戦のことはよく分かりませんが、お城は非常に攻めにくいという話ですし、特にメリルのお城は難攻不落で名高いですから。駐屯している騎士団は塩山の奪還と住民の警護を重点的にしているようです」
難攻不落というところで心なしか胸を張るシンシアさん。
いやいや難攻不落っても落とされてるじゃないですかー。
そうは思うが空気を読める俺はスルーした。
「ねえねえ東雲。難攻不落って言ってもお城落とされてるよね?」
ヌアラの声に少し顔が引きつるシンシアさん。
そういや空気の読めない奴が一匹いたな。
「それは、事情があるのです。先の魔物の侵攻は奇襲でありましたので住民が逃げ遅れて……本来であればお城へと続く大橋さえ上げしまえば落ちるはずも有りませんした。しかし、住民の方の保護のため大橋を上げることも出来ず、そのまま城内になだれ込まれてしまって……」
まあ、元の世界でもよくあるパターンだ。
日本の戦国時代で言う付け入りというものだろう。
現代人の俺の感覚で言えば仕方が無いとは思うし、俺でも住民が避難している状況で橋を上げられるのか? と聞かれれば、まあ、まず出来ないだろう。
だけど、それでもルーグさんが魔物の侵攻を早期に察知できなかったことは言い訳できないミスだと思うな。アルマリルだと即座に発見され、警戒がしかれるし。
まあ、シンシアさんには口が裂けても言わないけど。
災厄が来るということだし、警戒するための人員は配置しなくては、と柄にもなくまじめに考える。
「ねえねえ東雲。魔物にお城になだれこまれるなんてルーグって人ホントにバ……」
「あっ! 門が見えてきました。私この町を出るの初めてなんです」
空気の読めない妖精の言葉は幸いなことにミューズちゃんの歓声に消された。
ミューズちゃんの興奮した声に釣られて、馬車から身を乗り出して周りを見る。
人家がほとんどない町外れ。
そこに大きな門が一つ立っていた。
門の内側は蜃気楼のようにユラユラと景色がゆれているのがそれっぽい。
コレが町と町をつなぐゲートというやつか。
何か手続きがあるかな? と思ったのだが事前に話がついていたのだろう。
所々に歩哨にたつ兵隊さんが直立不動の態勢で見守る中、速度を少し緩めた馬車はそのまま門に突入した。
よく考えれば、俺もミューズちゃん同様違う町に行くのははじめてだ。
領主なんつー余計な肩書きつきだけど、それでも異世界の色々な所を見て回れるのは凄く楽しみだ。
そんなことを考えながら、俺は転移特有のめまいのような感覚を感じた。