1-6 ファクターに関して
一章はこれで終了です
メツの家に帰り、クゥはリビングの机で小さな看板の色を塗っていた。
帰り道でハヅキとルウラが捕らわれたということを、クゥは対ビの司令官であるタダトにそれを伝えた。
現状待機。
帰ってきた返答はこれだ。
仕方ない、といえた。
これからの作戦を立てるにしても時間はかかる。
クゥ自身、人間の会議に参加する気はすでに無い為、タダトの報告を待って、それに対してイエス、ノーを言えばいいと思っていた。
コウにしても恋人が捕らえられたと聞いても見た目にはあまり応えてないように見える。
随分、信頼しているものだと感心してクゥは見ていたが、やはり内心穏やかではないらしく、まな板を叩く包丁の音が乱暴だ。
他の連中は庭で大看板の色をまだ塗っている。
「ご飯は出来た?」
頬に赤色のペンキがついたままのサキがリビングに入ってくる。
相変わらずのローテンションだが、楽しんでいるようだ。
「もうすぐだ」
笑顔を取り繕ってコウは応える。
「……なんかあったの?」
怯えた顔を向けるサキ。
「なんだよ。その反応は。ちょっと愛想、振りまいてやったらそれか」
「だって、貴方が私に笑顔になるなんて……十二月が拾ったものでも食べたの?」
「ちょっと!何でそこであたしが出てくるんっすか!」
「十二月は黙っていて」
サキの傍若無人ぶりにしゅん、となってクゥは引き下がる。
「……別に、ちょっと今、色々と余裕がないからな。空元気も元気って言葉に従って、空余裕でも余裕もっていきたいんだよ」
「一応、私、貴方に借りを感じているのだけれども」
そう言うと、コウの肩に片手を置いて、力をこめて独楽を回すように手を払い、コウの体をこちらに向かせる。
「貴方がそんなだと、あたしの精神状態が悪いから言って。出来ることなら何でもするから」
小声でクゥが『めんどくさい女っす』といっていたが無視する。
「ほら、さっさと言いなさいな。これでも呪いに関しては最強よ?どこかの会社の株価でも暴落させて見せましょうか?」
「物騒だからそれはやめろ。随分、お前もこっちに毒されたな」
しばし、黙考。
「四月席、倒せる?」
「…………私にも出来ることと、出来ないことがあるわ」
「そんなに強いのか?」
「ファクターの無効化だからね。あれとまともにやり合える神自体が少ないわよ」
それを聞いてコウに疑問がわいた。
「お前、四月席と闘わなかったのか?」
ファクターの無効化なら、以前の彼女の望みを叶えられる存在ではなかったのか?
「……彼は絶対に私を殺さないわ。彼自身、闘いを長引かせることが目的になっているから、最弱にして鉄壁であった私を絶対に殺さないと明言したもの。何回か襲い掛かったけどその都度、返り討ちよ。大体、彼のは根本的にファクターを消すわけじゃないしね」
思い出すのも嫌なのだろう。サキはかなり不機嫌そうにそう応えた。
「私が貴方に襲い掛かったのは、私より確実に弱かったからよ」
これは誇張でもなんでもない。
事実、コウは人質を使って勝ったのだ。
それがなければ負けていた。
「それに多分、私は以前よりも弱くなっているわ」
「そうなのか?」
「望みが叶ったから。私の命名は覚えている?」
「ああ」
彼女の命名は『望み叶ええぬもの』だ。
「命名はファクターの基盤になるものだからね。一度、違うと私が認識してしまうと、しばらくは弱いままよ」
確かに今の彼女と命名は適応していない。
「それって大丈夫なのか?そのままファクターが消えたりとか……」
命名はアイデンティティーではないのか?
あちらの世界の住人は命名を何よりの誇りとしていたはずだ。
「一概には大丈夫とは言えないけど……大体は何かしらの変化が起きるわね」
「例えば?」
「命名が変わって、ファクターが少しアレンジされるか、パワーアップするか、まるで別のファクターを手に入れるか、この三つで考えられるわ。いわば人生の転換期のようなものよ」
「へぇ。色々あるんだな」
呆けた返事を返すコウにサキはため息。
「そう言えば貴方……未だにファクターに名前付けてないそうね」
「……必要あるのか?」
「ある」
断言。
「ファクターに名前をつけないというのは自分に名前がついていないと同じよ。ある種、自分の否定とも言えるわ」
「そんなに深く考えるものなのか?ただの闘いの手段だろ?」
口に出しては言わないが、コウ自身、自分のファクターに名前をつけたくないという抵抗感があった。愛着を持つにはこの力はあまりに見境がなさ過ぎる。
「ファクターは己を写した力よ。言霊ってあるでしょ?それと同じ。……と、言うか。貴方、ファクターに目覚めたとき、命名と一緒に頭に浮かんだでしょ?何でそれにしないの?」
「はぁ?そんなもん浮かんでねぇよ」
そもそも、そんな話自体、初耳だ。
名前をつける、つけないに関して真面目に話し合うこと事態が初めてだから、仕方のないことかもしれないが。
コウの言葉にサキは腕を組んで何か考え始めたが、何も思いつかないのかクゥに話題を振る。
「ねぇ、十二月。ファクターの名前が無いってことあると思う?」
「……あるんじゃないんっすか。現にコウ君は無いし、メツ君の『勇猛消滅』《ロスト・ストライカー》だって貴方が名づけたんでしょ?」
「そこなのよね。この二人、私たちからしてみればかなり異常といえないかしら?」
「お二方は人間だから、って私は解釈していたっす」
「……そう言ってしまえばそうなんだけどね」
サキはなおも釈然としていないようだ。
「あなた、ロウアーに会いに行ってないの?あいつなら何か知っていそうなものだけど」
「行ってみたけど、あいつ行方くらましたままっすよ。置手紙に『しばらく暇をいただきます』って書いてあって、それっきりっす」
「なぁ、前から少し疑問に思っていたんだけどよ」
コウの言葉に神々が顔を向ける。
「天使ってみんなあいつみたいなものなのか?そもそも、あいつしか天使みたことないんだけど……」
コウの疑問にクゥが答える。
「天使は私たちよりも位が低いっすからね。あたしらのほうがこちらに現れる優先順位が高いんっす。世界の融合が進めば嫌でも大勢見られるっすよ。後、ロウアー自体、結構、特殊な立ち居地に居るんっすよね」
「特殊?」
「彼は神になれない天使よ」
サキがクゥの後を引き継いだ。
「彼の実力自体、神になれる実力があるの。ただ彼は……初めから神になる資格を剥奪された者。絶対神を決めるバトルロイヤルでの審判という役割を担っているの」
十二の神々の殺し合い。
最後に生き残った者が世界を統べる絶対神となる。
「現絶対神からの使者。この殺し合いのゲームマスター代理人。それが彼よ」
「…………あいつは、不満だろうな」
あの天使の行動を鑑みる。
「どうして?」
コウ自身を目の敵にし、その癖に死んで欲しくないとぬかした。
「あいつは裏で色々とやりすぎる。現状に不満を持っていればこそだろ?」
「……貴方は敵のことはよく見ているのね」
呆れたようにサキは手のひらを天に向けた。
「それで……1つ聞きたいことがあったんだけど」
「なんだ?」
「私と貴方のクラスメートの亡くなられた方は顔がそっくりだったそうね」
「ああ」
「それにしてはそのことに関して、動揺していたのは初めだけだったように思えるのだけれど……どうして次からはあんなに割り切れていたの?」
「そんなこと聞いてどうすんだよ」
すごく嫌そうな顔をして、返事とした。
「いいから答えて。呪うわよ」
ジロリ、とサキも睨みつける。
「あーあーあー!何で貴方はそう頼み事するのがへたくそなんっすか!」
クゥが両者の間に割ってはいる。
サキの手を引き、少しコウと離れ、自分と相対させる。
「駄目っすよ!そうやってけんか腰になっちゃあ!貴方の目の前に居るのは誰っすか?」
(丸聞こえなんだけどなぁ)
女神たちは随分と仲が良いように見える。
あの二月席は相当、面倒くさい奴だと思うが、クゥの人徳……いや、神徳のなせる業か。
「…………恩人」
「そうっすね。そんな恩人に貴方はどうしたいっすか?」
「力になってあげたい」
「そうっすね。だからコウ君のことをまず知りたいんっすよね?ではそのようにするっす」
「…………はい」
サキはトコトコとコウの前に戻り、ややあって口を開いた。
顔は真っ赤で正常な思考が働いていないようにも見える。
クゥに本音を語っていたこと自体、彼女にとってそれなりに恥ずかしかったらしい。
「答えないと呪うぞ!」
コウは無言で両手をサキの頬に持っていき、左右に引っ張った。
「いひゃい!いひゃい!いひゃい!」
涙を浮かべて、悲鳴をあげるサキを十分に堪能すると、コウは手を離す。
「……らにいいえがおうひゃべてんのよ」
「いやぁ、生意気な奴の悲鳴は心を満たしてくれるなぁ!……とは口に出さない俺って本当に出来た人間だぜ」
「いってんひゃん!」
未だに頬が痛むのか、呂律が回っていない。
「……解ったよ。教えてやるよ」
「嘘。私の頼み方がよかったから?」
「クゥが聞き出していた本音が聞こえていたからだよ」
善意から来る問いであるのならば、答ええるのはやぶさかでない。
「聞こえるように誘導したっす」
サキはその場に両者の言葉を聞くと、うずくまって耳を塞いでやけくそ気味に叫んだ。
「お前ら、本当にもーしんじゃえよー!」
「……本当に他者との付き合い方わかってないんだな」
「典型的なコミュ障っすね!コウ君と話しているときも実の所、かなり緊張していたんっすよ。クールぶっているのはその裏返しで……」
「ぎゃー!黙れー!」
テンパったサキがクゥに襲い掛かろうとするが、すんでのところでコウが襟首を掴み、静止させることに成功。
「ほら、話してやるから落ち着きな」
「……むかつく」
目じりに涙をためながらも憎まれ口を返すところはさすがだ。
泣き顔を手のひらで数度こすり、気持ちを切り替える。
「さ、どうぞ」
先ほどの壊れようが嘘のようだ。見事なものだ、と苦笑してコウは一言だけ言った。
「死んだ奴は絶対に生き返らない。だからお前は他人の空似だ」
「それだけ?」
「それ以上、何がある」
「…………そう」
初めは釈然としていないようだったが、サキは自分なりに解釈したようだった。
「貴方という人間が少し分かった気がするわ」
「ピロリロリン!好感度が上がったっすね」
「貴方は後で呪うことにするわ」
「ごめんなさい。やめてください!」
間髪いれずに謝罪を入れるクゥ。
非常に楽しい時間だ。
それでもハヅキとルウラが欠けているということがコウに影を落としていた。
この日常はかなり危うい位置にいる。
何かのバランスが狂えば、互いに笑い会うことも出来なくなる。
「ふぅ~。やっと一段落着いたよ」
メツとアイが部屋に入ってきた。
「お、アイちゃん。これでどうっすかね?」
クゥはテーブルに置かれていた自作の小さな看板をアイに渡す。
受け取ったアイは口笛を吹いて、その仕事ぶりを称えた。
「すごく良いです!……けど、なんでこんなにお耽美系な絵柄なんですか?」
「趣味っすよ!」
グッと親指を突き出して、アイに向ける。
「コウ」
「なんだよ」
メツがコウを見る。
目の前では女たちが看板に対しての批評を始めていた。
「……君は僕のしていることが気に入らないだろうね」
「そうだな」
「その上で頼む。僕は強くなりたい。僕の訓練に付き合ってくれ」
コウは今まで対ビの施設内では極力顔を合わせないようにしてきた。
どんな顔をして会えばいいのか分からなかったというのもあるが、メツが戦っているという事実に直面したくなかったのだ。
天井を見て、思案。
逃げている場合じゃない。
事態は切迫してきている。
「いいよ」
短くそう返した。
暗澹とした感情が沈殿していくのが自分でもよく分かった。
その二人のやり取りをクゥは盗み聞きしていた。
クゥはコウが前向きになってくれた、と思い嬉しくなった。
(変わらないものなんてない。コウ君も受け入れる気になったみたいっすね)
コウは世界が変わっていく中心点にいる。
だからこそ、変化をもっと積極的に受け入れなければこの先、潰れてしまう。
クゥがもっとコウのことを知っていれば絶対にメツと訓練などさせなかっただろう。
クゥは思い知ることになる。
ハヅキが正真正銘、コウのブレーキであったということを。
彼女以外に獣は誰にも止められないということを。
本質的に彼は……どうしようもなくどこか人間性というものが欠けているという事を。
それを真に理解した頃には事態はどうしようもない方向に転がりだしてしまうのだ。
次は申し訳ありませんが二週間後になります。
どうにも続きが書きづらい……