3-8 脱出と混乱
先週は今週から4章開始といっていましたが、このタイミングでこの話を入れることになりました。4章は来週から始めます
深夜、北欧の山小屋からハヅキとルウラは飛び出た。
世界が揺れてすでに一週間がたっている。
もはやこれ以上時間をかけていられない。
チャンスは唐突に来た。
四月席が電話に出て、その直後に激昂したのだ。
電話の主はロウアーだとあたりがつけられた。
その直後にルウラがファクターを起動。空気圧にて四月席を弾き飛ばした。四月席は壁を貫通して見えなくなったが、全力で叩き込んでにもかかわらず、手応えが余りない。死んでないのは当然として、未だに近くにいる。
とにかくここから離れなくてはならない。
少しでもオールから離れることで解決が見られるというのはハヅキだった。
だからこそ両者の動きはすばやかった。
しかし、外に出るとすでに手遅れだ。
夜風が吹く中、四月席はこちらを睨んでいた。
何かを逡巡しているようだった。
「何時の間にここにいた?」
「新しく作られた裏口から余裕を持ってきたのだ」
ルウラの背には冷や汗。
眼前の老体には全力で、それこそまともに喰らえば跡形も残らないような威力のファクターをぶつけたはずだ。
鋭い眼光が女たちを観察する。
軟禁状態のとき、別に部屋に鍵はかかっていなかった。しかし、外に出ようとするとそこにはオールがいた。その洞察力と気配を消す力は己で培ったものだろう。ファクターに頼り切っていない叩き上げられた実力。オールの恐ろしいところはファクターよりもむしろそこにあるといえた。
「さて、どうやら君たちは決定的な選択をしようとしているようだが……やめておいたほうが良い」
オールが拳を軽く握る。
「君たちをここに釘付けにしておかなければならない。それがあの若造との契約だ」
断崖絶壁を連想させるほどの絶望感をルウラは味わっていた。ファクターなしの近接戦闘ではルウラはコウよりも劣っているのではないかというくらいの実力だ。ルウラは元々強力だったファクターをより磨いて強くなったタイプなので、相性は最悪。
四月席は神にして神殺し。
ファクターの強力さこそが神の証なのだが、そのファクターを無効化されれば、体術のみで戦わなくてはならない。
ハヅキに四月席のファクターの原理を教えてもらっているが、不利には変わりない。
結局の所、日本に帰れるのは片方のみとなった。
ハヅキが一歩、前に出る。
「四月の神よ。私は貴方が何故、ロウアーの言いなりなのか知っている」
「私があの若造の言いなり?」
「そう、言いなり。取引をしたわけではない」
ハヅキを興味深そうにオールが眺める。
一瞬だけ、ルウラを見た。
それでルウラは悟る。
ハヅキは自分が残るつもりだ。
「以前からロウアーの立ち居地は奇妙だった。天使にしては権力が強すぎる。今の電話もロウアーでしょうね」
「ほう?」
「全てのキーワードは『アリス』」
オールの気配が変わる。
懐かしむような、そんな気配だ。
「今までに、そのキーワードを知っているのは貴方の家族とロウアーだけだ。ここに1つの簡単な仮説が生まれる。貴方の家族とロウアーはかなり仲が良かった。これは貴方にクゥの口癖に関する話で確定できた。そしてアリスが実在していたこともわかった」
「そこまでなら少し調べれば誰でも到達できる。さあ、次の言葉を言ってみなさい。そして、そこまでだ。それよりも先を口にしようとするならば……私も冷静ではいられない」
試されている。
それがわかった。
「ロウアーは本来ならば神の座にいてもおかしくないと聞いている。本来ならば……とはなんだ?彼は例外なのか?天使が神を殺せば神になれるこのシステムでは彼が少し違うのか?貴方がロウアーを言う事を聞くのは何故だ?神は天使に対して絶対的な存在ではないのか?神の意に逆らえる存在とは何だ?……ここまでこれば後は簡単よ」
オールの右手が拳を握りこんだ。
顔は柔和なままだ。
わかりやすい威嚇。
オールは優しく表現している。
次の一言を発せば、その先は地獄だ、と。
ひゅっと息を吸う。
「『アリス』とは……っ!」
背後に手が添えられたことをハヅキは感じた。
思わず振り返る。
「ルウラ!?」
「すまん」
ハヅキが一瞬で姿を消し、空を飛ぶ流星となった。
本当であればロウアーが動くと同時にルウラが逃げることがベストだったのだろう。
戦力的に言えば、ルウラが帰ったほうが明らかにコウたちの負担が減るからだ。
ただし、おそらくハヅキはここで死んでいた。
そんなことは許せなかった。
たとえ事前に決められていた約束でも、許されない。
「……ファクターを使えるのか」
「一応、時間は稼いでもらったからな」
もう時間はもらえなさそうだが。
オールのファクターは『ファクター無効』だ。
どうやって無効にしているのか、が今回の脱出の鍵だった。
単に一定距離にあるファクターを問答無用で使用不能にするのであれば、脱出事態が不可能に近かったが、紙にファクターを使ってみる実験が功を奏していた。
紙は無風のはずなのに動いた。
オールがいるところとは逆向きに。
その後、何度か試してみたが結果は一緒だった。
ここからわかることは……。
「貴方はファクターを『吹き飛ばす』事で無効化している。ファクターの力をどこかに飛ばしているといったほうが正確かな?飛ばされるなら吹き飛ばされないくらいの力をこめれば良い。ただ貴方の気がこちらに向いていないときにしか使えない。貴方を中心に常時発動しているファクターは貴方が動揺すれば、隙が出来ると賭けた。ファクターの常時発動は本人のコンディションでかなり効率が上下するからな。結果は勝ちだ」
それにしてもハイリスク・ローリターンで賭けたくない賭けだったというのが本音だ。
ルウラの言葉にオールが低く嗤う。
「ご名答。そこまでわかっていて、なお私の前に立つか。ファクター特化型のお前では私には勝てん。この私の『突貫武能』《アサルト・ファクター》にどうやって勝つというのだ」
「だとしても!」
背後に碧の翼が展開。
一瞬だけ光り輝くが、すぐに色がくすみ始める。
「私は友達を見捨てたりしない!そんなのは神以前の問題だ!」
オールの瞳は深い悲しみに支配されていた。
意味のないことだ、とそう告げていた。
「結果なんてやってみなければわからない!」
「虚しいな」
「なに?」
「お前は自分が確固たる1つの存在だと認知しているようだが、そうではない。神の世界にいたお前と今のお前の違いに戸惑ったことはないか?」
「…………っ!」
「世界の鍵よ」
空中に放り出されながらも移動は続く。
日本まで飛ばされていることがわかった。
「駄目。ルウラ!あいつの言うことを聞いては駄目!」
その声はもう同があっても届かない。
それでも叫ばずに入られなかった。
「心を殺される!」
風が吹いた。
足元がふらつく。
全てが瓦解していく。
世界の鍵
その言葉を聞いた瞬間全てを理解してしまった。
「その様子だと、キーワードは有効だったようだな。世界の鍵よ」
オールの声が遠い。
「ち、違う!私は神無月ルウラだ!」
「今はお前が一番良く知っているはずだ。すでにお前に対して秘密の開示は行われた」
ルウラの言葉はただの希望だ。
彼女は神だ。
いや、しかし、それ以前に――。
彼女は造られた存在だった。
彼女の性格はあらかじめ他者から設定されたものだった。
なぜならキーワードを聴いた瞬間から、昔と今の自分の違いがはっきりと浮き彫りになってしまっていたからだ。
今の私と昔の私はどう考えても結びつかない。
わたしが言った戦いに関してのことは以前の私の考えで、その癖なぜか今の自分はそれが徹底できない。
今と過去。
ルウラはそれが決定的に交わらない。
「お前はこの世界を融合させる為に世界の鍵を埋め込まれた。その際にあらゆるものに興味を示すような、多くの人に好かれるような性格に造り直された。人間に味方するように作られた。味方した人間に力を与えるように造られた。元の性格を塗りつぶしてな」
「やめろ!」
耳を閉ざすが、無駄だった。
足に力が入らず、座り込んでしまう。
「お前はこちらの世界でたった一つの調整機械だ。神と人間。戦いは拮抗させなければならない。そういった意味ではお前が始めに見出した人間は最適な生贄だったな。あの人間は中々の調整役となるだろう。私はお前を殺さない。愛しい我が娘が造ったお前を壊すことなど決してしない。丁寧に、丁重に、扱うだけだ。娘から贈られたプレゼントを扱うように」
オールの手がやさしく差し伸べられる。
「私は……」
巻き込んだ。
コウを、メツを。
他でもない自分が巻き込んだ。
オールの手に無意識に答えるために手を伸ばす。
ハヅキは自分を友達と呼んでくれた。
ハヅキが大切に思ってくれた自分は造り物だった。
自分が無い。
この思考もきっと、造られたものだ。
手がオールの手と重なる。
「おいで。一緒に帰ろう」
オールが表情の消えたルウラを抱きかかえる。
ルウラはそれに抵抗しなかった。
ルウラは考えることを放棄していた。
私はどこまで行っても誰かのおもちゃだ。
その事実はルウラを打ちのめし、心を殺すには十分だった。
次回、七月席登場。時間軸的にはコウ達が闘って三日後。今回の話から4日前の時間になります。




