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浅葱色の手紙

 はらはらと舞い落ちる落ち葉が雪のように、つむじ風に巻かれてふんわりと地面に降り落ちた。

 ──これは、誰が置いていったのだろう……。

 目の前に自分と似た筆跡で「御中」と書かれた手紙が、二股になっている枝に差し込まれてさわさわと風に揺れていた。それをおもむろに手に取り宛名を探して裏返すが、宛名も差出人の名前もわからなかった。とは言え、封を切るのは忍びない。

 浅葱色(あさぎいろ)に淡く染まる料紙の手触りは心地よく、毛羽立ちの少ない良質のものだった。

 仕方なく懐に手紙を収めて踵を返した。

 日出橋(ひじばし)の岡っ引きなら、この手紙をどうにかできるかもしれないと思ったのだ。

「今日は少し、冷え込みそうだ……」

 周囲に人気が無くなり日も沈みかけているのを見て、右手を左の袖口に、左手を右の袖口に差し入れてつつその場を足早に離れた。





近江(おうみ)、いるかい? 私は少し日出橋の親方の所に行って来ますが」

 座敷に上がり、手早く身なりを整え直すと浅葱色の手紙を手に奥へ声を掛けた。すると間をあけずに傍の廊下から声が返ってくる。

「若様、如何用(いかよう)で日出橋の方に」

 少しきつい口調の近江の声。若様と呼ばれた男は苦笑に近い笑みを浮かべて答えた。

「いや、ね。空き地の楓の木に手紙が挟まっていたのですよ。日出橋の親方なら何かわかるかと思いましてね」

 若はさっと羽織を肩に掛けて室を出た。

 室を出た所に近江が両手をきちんと前に合わせて控えていた。それまでそこに人がいた気配はなかったが、彼女はいつだって平然と唐突に現れる。

 板張りの細長い廊下を二人は一列になって進んで歩きながら、手短に言葉を交わした。

 店が構えてある表に向かって少し進んでいくと、中庭が望める場所に差し掛かる。そこに至って若の後に従っていた近江の表情が強張った。かと思うと、遠慮も節操も忘れて若の前に飛び出して行こうとする。そんな彼女の肩を若は押さえて引き止めた。

 むっとした表情で近江は振り返ったが、若の浮かべた表情を見てすぐに恥じ入った様子で小さくなった。それでも近江は不快感を(あら)わにして、中庭をねめつけた。

 中庭に漂う空気は富士山麓に漂うそれのごとく清々としていて、吐く息は白い。手入れの行き届いた三(げん)ほどの広さの庭園には、赤く燃える様な色のツツジや紅葉が植わっている。その中に、ポツンと浮いて見える黒い影があった。

八色(やくさ)か」

「若様。もう少し厳しく仰っておくれまし。神聖な場所にこう何度も侵入されては困ります!」

「まぁまぁ、目端をそう吊り上げないで」

「若様ッ!」

 近江の紅顔が、ぐっと若の鼻先と触るぐらい近くに寄って来て抗議する。若はそんな近江を(なだ)めすかし、縁側に回って中庭に下りた。

「……八色」

「あんれ。弓月(ゆみつき)殿じゃのうか」

 影に溶けてしまいそうな黒装束の男は、名前を呼ばれて振り返ると爽やかな笑みを浮かべた。

 固く引き締まり、無駄の無い肉付き。大きく太い指は今まで草をいじっていたのか、微かに青みを帯びている。若より頭一つぶんも飛び出た大きな男の体躯は、立っているだけでも用心棒として役立ちそうだ。今は笑顔だが、表情を無くせば厳ついその顔も迫力がついてよりそれらしい。

 八色は人好きのする顔で若に近寄ると、間を割って入った近江を不機嫌そうに見下ろした。

「……近江もいたのか」

 と、つまらなそうに言う。若は目の前で交わされる視線の花火を浴び、苦笑を引っ込むに引っ込められず佇んでいた。

 若を挟む八色と近江はぷいっと同時にそっぽを向いて、突然その場に沈黙が下りる。

「二人とも、仲良くしなさいな」

 やんわりと若がたしなめるが、気にした風も無い八色は振り返って彼の手にしている手紙を見下ろした。

「弓月殿、これは如何(どう)された?」

 と、八色は浅葱色の手紙を指差して尋ねた。袖口から覗く大きな手は驚くほど白く、

全く日に焼けていない。町で小町と謳われる年頃の娘が羨むような美白である。

 若はコクリと一つ頷いて白い八色の顔を仰ぎ見た。

「先に近くの空き地で木に引っかかっているのを見つけましてね、日出橋の親方に見せて来ようかと思っていたところです」

「へぇ、日出のに」

「八色。いちいち気に障るように仰いますのね」

 八色が、突然割って入ってきた近江の声のする方に視線を向けると、彼女は相も変わらず庭の端を睨んで此方をチラとも見ようとせずに、両の手を握り締めて佇んでいた。

「弓月殿」

 しかし八色は近江の声を無視して若を見た。

「どうしました」

「どうやら近くの堀で死人がでたようだの」

「……誰です?」

「聞くところでは問屋卸の清村屋の奉公人だろうて」

「物騒な事でございます。若様、やはり日出橋には」

 行くのをよしましょう。と近江が言って振り返った。不安で蒼ざめ、寒さで鼻頭が紫色になっている。若は彼女の顔色を見て、慌てて羽織っていた羽織を脱いで肩に掛けてやった。するとほんの少しだが、彼女の顔色は色味が増したように窺える。

 若は八色と近江を引っ張って縁側に引き上げた。外で立ち話をしているよりこちらのほうが幾らか暖かい。

 三者は表に繋がる廊下を抜け、若がガランとした座敷に通した。

「八色、その話をもう少し詳しく聞かせてくれませんか。清村屋の方々にはお世話になっていましたから」

 若は畳の上に座布団を三枚並べ、近江はお茶とお茶請けを用意した。

「若様、今日は冷えますので此方の綿の入った着物をお召しくださいませ」

 近江から生地の厚い上等な着物を手渡され、若は微苦笑を浮かべつつそれを肩に羽織った。それから姿勢を正し、八色を見据える。

 八色はあれこれ若の世話を焼く近江を横目に口端を吊り上げて笑っていたが、若の視線に気づくと笑みを引っ込めた。

 中庭で若に借りた格子縞の羽織を大事そうに着込み、少し小さくなった近江を目端に留めつつ、八色は声を抑えて口を開いた。

「死んだ清村屋の奉公人の名は惣介(そうすけ)といい、死因は背を筋交いに切りつけられた傷によるものようやったらしい」

「切り傷? つまり、その惣介という方は殺されてしまったのですね?」

 わずかに目を見開き、若はお茶を飲もうと湯飲みに伸ばしかけた手を引いた。八色は太い首に右手を当てて肯いてみせる。近江の表情がいよいよ青白くなった。

「最初は小生(しょうせい)もこの殺しに興味は無かったが、ある(あやかし)が小生の所に来た」

 八色はちらりと湯飲みに目を向けると、お茶請けに出されたそう小さくもない大福に手を伸ばしてパクリと一呑みし、ぐいっと豪快にお茶を流し込んだ。

 若はそんな彼の目を見ておや、と片眉を上げた。

 若が八色の『妖』という言葉に常人らしく驚きの表情を見せなかったのには、それなりの理由がある。実は彼の目の前に居る八色や近江がその『妖』なのだ。

 一見、彼らは人間と変わり無いが、人に在らざる力を有している。若がその目で実際に確かめた事は一度も無いが、それでも人間と『妖』の感覚の違いを、近江と過ごす日々の生活の端々に感じていた。

「その妖は、何と言って来たのですか?」

「ある付喪神(つくもがみ)が行方不明らしいから、探して欲しいと」

 八色の言葉に若は黙り込み、近江は小首を傾げた。

 付喪神というのは、百年以上大切にされてきた物に小さな命が与えられて生まれてくる神のことである。

 けれど近江には、それとこの事件に八色が興味を示す意味がわからなかった。若の発した、次の言葉を聞くまでは。

「もしや、その付喪神とは刀か何かではありませんか?」

「あんれ、お見通しですか。そうです、白銀燈(しろがねとう)という奴ですよ。弓月殿」

 八色の晴眼が真っ直ぐに若を見止めた。

「妖の話を聞いてもしやと思いましてね、小生は清村屋の惣介という者の死体を拝ませに行かせてもろうた」

 そこで、八色は惣介の死体に刻まれた見事な切り傷を見たのだと言う。

「白銀燈は付喪神になれた名刀。それを人斬りに使われた事は悔やまれてならぬ。と、小生の所に来た(やつ)が嘆いておったわ」

 む、むぅと低く唸って八色は厳めしい顔をつくった。

 白銀燈は他の付喪神がそうであるように、人型に化けることなどはできなかったが、一度だけ若と話す機会があった。それは「話す」とは正確にはいわないだろう。なぜなら白銀燈は発声できないため、刀身に文字が曇って浮かび上がるのを若が読み取って会話が成立するのだ。

 若も最初こそ戸惑いがあったが、白銀燈の海より深いと思われる思慮と学や知識の広さに触れて、自然と尊敬の念を抱いていた。特にこの付喪神は兵法に精通し、将棋を打たせればこれにかなう者は居なかった。

 まだ一度しか会って話していないのだが、若の中でとても良き思い出となり、今も付喪神から受けた教えが心の中まで色濃く残っている。だからこそ、若にも八色が白銀燈を人斬りの道具にされたと怒る気持ちをよく理解することができた。

「ですが、どうして白銀燈が盗まれた事に気づかなかったのですか?」

 若は至極もっともなことを、目の前の新しく出された大福にかぶりつく妖に聞いた。

「それが、白銀燈を持っていた商家が潰れて売られてもうたらしくてな。小生の所を訪ねてきた妖も後の行方が知れぬと言うのだ」

「へぇ。最近店を閉じたのは何処でしたか……反物の山倉屋ですか、それとも……菓子の久世屋でしょうか」

「や、弓月殿。近隣ではない。橋を渡った先にある反物屋ですよ」

「そうですか……」

 若と八色はそれからも問答を続け、近江が三杯目のお茶を淹れ直して来た頃。ピタリと急に二人の妖の動きが止まった。

「どうしました、八色……近江……?」

 人間の若は二人の豹変ぶりに口調を固くして尋ねる。しばらくの間、妖たちは身動き一つ取らず、寸隙の内に詰めていたが、ある時をもって溜め込んでいた息をどっと吐き出した。

 両者は厳しく険しい顔をしており、特に八色は鬼のようだった。額に汗の玉を浮かべて赤い顔をしている八色に対し、近江は目をぎらぎらさせて白い顔をしていた。

「妖気がございました……」

 近江は手早くお茶を下げると摺り足で室内を横切り、(ふすま)に身を添わせて立ち止った。

「相当の者にございます。若様、お気をつけくださいまし」

 近江の言葉に、若は危険がまだ過ぎ去っていないのだと知った。

 八色は巨大な手を鉄鎚の如き拳にして、若の前に、そして近江の後ろに立ち、待ち構えている。

 八色の鋭い視線が襖に体を沿わせて様子を窺っている近江から離れない。

 若はゆっくりと音をたてずに立ち上がると、様子見に八色の大きな背中越しに顔を覗かせた。

 緊張の中、小さな物音一つ聞き逃さないようにと耳を澄ませていたが、枯葉の擦れる音の合間に聞こえるのは蟋蟀(こおろぎ)の鳴き声のみ。

 少しの間そうして息を潜めていたが、近江が八色に目配せをして、すっと襖を開けて出て行った。

「どうやら、妖は過ぎ去ったようだて……」

 八色は固い表情を崩して若を振り返った。

 事情がよく飲み込めていない若のために、彼は一つ助け舟を出してくれた。

「妖の中にも人間と同じように善し悪しがあり、先の(やつ)は悪意に満ちておった」

 一瞬殺気ではないかと疑うほど凄まじい気だった、と八色は話しながら、額に浮かんだ汗を若に差し出された手巾で拭った。

 八色の言葉を聞いて、若は間を空けずに口を開く。

「わたしは、八色も近江も相当強い妖だと思っておりましたが」

「それは無論。下等の奴等より千年多く生きとる」

 八色の答えになっているようでなっていない答えを聞いて、そうではないと若が言い募ろうとした時、近江が青白い顔で偵察から戻って来た。

 結局、こういう時に妖と人の間に生じる感覚の違いは不便だと思う。

 若は不思議そうに見下ろしてくる八色からわざと視線を逸らして、近江を迎えた。

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