1、その男、盗賊につき。
この国の大地はどこまでも赤茶けていた。
なだらかに連なる砂の丘、砂の谷。木々は育たず、緑といえば、まばらに生える草が精いっぱいだ。雨季にまとまって降る雨によって姿を現す季節河川以外、水もない。あとは、ぎらつく太陽に灼かれた乾いた砂が、時折、強い風に吹き上げられて、乾いた大地を覆っていた。
そんな中を、駱駝や驢馬を連れた隊商は行く。彼らが目指すのは決まってオアシス都市――不毛の大地に奇跡のように湧き出す水の傍らに広がる緑地だった。
乾いた砂地の中の貴重な水源のまわりには、自然、人々が集まってくる。ここ、オアシス都市ドゥアールももちろん、例に漏れなかった。
清冽な水を湛える、蒼い泉。そのまわりには、椰子やオリーブ、柘榴などが、小さいながらも林をつくっている。日干し煉瓦を積み上げた家々が寄り添うように立ち並ぶのを、砂嵐を防ぐための城壁が抱き込むように囲んでいた。
さぁん、と、熱い風が吹き抜ける。
砂の匂いの中に、わずかに香辛料や果物の香りが混ざっている気がした。いま歩む道の両側に、所狭しと露店が並んでいるためだろう。
オアシス都市は、ほとんど例外なく、隊商たちの経由地となる。交易の要所である街は、住人以外にも人が多く、実ににぎやかだった。
にぎやかなのはいいことだ、と、ザイードは片方の口の端を持ち上げた。
そう、人の目が散っているほど――……仕事は、しやすい。
黒髪は、この地域では別に珍しくもなんともない。金に近い琥珀色の眸は多少人目を引くものではあったが、目深にフードをかぶってしまえば、遠目にわかるものではなかった。
ザイードはいま、砂除けの黒い布で肩から下をすっぽりと覆っていた。だが、この恰好だって、砂漠に暮らす者としてはごくごく普通のものでしかない。その証拠に、まわりを見渡せば、同じような恰好をした人々がたくさんいた。
その中には、自分と同じくらいの背格好の、二十歳そこそこの男だって多くいた。
やりやすそうだ、と、ザイードはフードの下で、ちらりと笑った。
誰かと話をする際は、時に老成しているふうにふるまい、あるいは悪戯っぽい少年のように見せ、忠実な大型犬のような性格だって、どこか猫みたいな気まぐれな雰囲気だって、必要に応じて醸し出す。万華鏡のようにくるくると、様々な性格を演じ分けておけば、自分というものの輪郭はぼやけ、その印象はたぶん、誰の中にも強く残ったりしないのだ。
ザイードは、足音ひとつ立てず、危なげなく、人ごみを縫いながら歩いた。そのしなやかな身のこなしは、見るものが見れば、どこか獲物を狙う猫科動物のようでもあったかもしれない。
だが、いまここにいるいったい誰が、自分のことを疑いの目で見ているだろうか。
一歩を踏み出すと、ちゃり、と、腰で金属がこすれるような音が鳴った。湾刀だ。だが、こうした武器の所持だって、なにも珍しいわけではなかった。
なにしろ、砂漠を渡るのは、商人でなくとも危険が伴う。砂漠に点在する奇岩地帯の洞窟には、徒党を組んだ盗賊たちが身をひそめているのだから。
時には一匹狼の盗賊もいるけれど、と、ザイードはかわらず雑踏をなめらかに抜けながら、鬱金の眸を細めて、露店に並ぶ品物を眺めた。
色鮮やかな硝子製の香水瓶、涙壺。
麻袋の上に山と積まれた香辛料。乾燥果物。
ビーズを連ねた首飾りや腕輪。耳飾り。宝石類。
吊るされた絨毯、染色布。
繊細な刺繍入りのベールはふわりと風をはらむとなお美しい。
値打ちものも多い。だが、ただそれっぽいだけの粗悪品もありそうだ。ザイードはそうして店に並ぶものをざっと値踏みしつつ歩いていたが、ふと、向こうからやってくるひとりの男の姿に目をとめた。
白の長衣、革の靴やベルト。頭には幾重にもターバンが巻かれている。やや腹の出た立ち姿を見るに、そこそこ羽振りのよさそうな商人だろう、と、ザイードは一瞬でそうあたりをつけていた。
次の瞬間、わざとらしくならない絶妙な角度で、男の肩にぶつかった。
「おっと、危ない」
ザイードにぶつかられ、やや体勢を崩した男の目が、鋭くザイードを睨んだ。
「ああ、申し訳ありません、旦那」
ザイードはさらした黒髪の頭の後ろを掻きながら、いかにも人懐っこそうな笑顔を顔に張り付ける。
「こんな賑やかな街に来るのははじめてでして、ついつい、あちこちに目を奪われてしまって……余所見をしておりました、どうぞご容赦を」
ぺこりと頭を下げると、むっと唇を引き結んだ男は、刹那、ザイードをじろりと眺めた。そして、ち、と、ちいさく舌打ちした。
ザイードが纏う黒の外套はいかにも安物だし、そのうえ砂埃にまみれている。飾り気のない靴もまた同じだ。それを一瞥でたしかめた男は、おそらく、ザイードをどこにでもいる旅の若造だと判断したにちがいなかった。
「気をつけろ、田舎者が」
不愉快そうに吐き捨てると、そのまま居丈高に歩き去っていった。
「ほんとに申し訳ありません」
ザイードはもう一度、男の背中に向かって丁寧に頭を下げた。
が、その姿が人波の中に見えなくなったあたりで、にや、と、笑う。それまで背中に隠すように後ろ手に握っていたものを、軽く宙へ放りあげた。
チャリ、と、小気味のいい音が鳴る。
財布だ。もちろん、先程の商人らしき男から掠め取ったものである。
「さぁて、商人サマはいくらお持ちだったのかな」
ほくほく顔で、紐でくくられた財布の口を開いたザイードだったが、中身を覗き込んだ途端、はあ、と、大きく嘆息した。
「ちっ、たいして入ってないな」
重みと膨らみから期待したが、中身は銀貨が少々と、あとは銅貨ばかりである。
「金貨一枚持ってねぇとか、けちくさいったらねぇな。こないだくすねた小粒の宝石でも、この十倍の値はついたってのに。――でも」
文句を言いつつも財布を懐へと収めたザイードは、ふと足を止め、正面の建物を見た。
オアシス都市ドゥアールの、その中心。
滾々と湧く泉に寄り添うように建つ、小ぶりな宮殿。
青空を背景に、白く輝く城壁が見えていた。その奥に聳えるのは、瑠璃色のドーム屋根を戴いた、塔のような建物だ。こちらも陽光を反射する白亜の壁が目に眩しい。
目を細めたザイードは、ふ、と、口の端を持ち上げた。
「ま、いいさ。なにしろ今度の仕事がうまくいきゃ、こんなせこいことともおさらばできるかもだしな」
先日、ふらりと立ち寄った街。盗んだ宝石を換金しようと適当に訪ねた店で、少々、おもしろそうな噂話を耳にした。
なんでも、ドゥアールにある宮殿には何でも願いをかなえるお宝が眠っているのだ、と。
「その噂が眉唾でも、立派な宮殿になら、お宝のひとつふたつ、あんだろうしな」
不敵に笑いながら、ザイードは再び雑踏の中を歩き出した。




