ボクらが復讐をやめた理由 〜捨て犬の逆襲が始まると思ったら、みんな飼い主が大好きすぎて復讐どころじゃなかった件〜
クワァ……。
ポチは大きな欠伸を一つして、お気に入りのクッションに体を埋め、うとうとした矢先だった。
ふわっと体が浮き上がる。
オレを抱き上げたのは、誰だ? いつの間に誰か帰ってきたのか? それも、このオレに気配を悟られずに接近して抱き上げた……だと?
焦るポチだったが、次の瞬間視界がぐるりと回る。
気がつくと、薄暗い空間の中にポチは立っていた。
壁も天井もなく、ただ果てしなく広がる薄暗い霧に包まれた世界。
──匂い、獣臭。
ポチの鼻は即座にこの空間に充満している匂いを嗅ぎ取る。
周りを見回すと、同じようにポカンとした顔の犬たちが何十匹もいた。
ゴールデンレトリバー、チワワ、ダックスフンド……様々な毛色の犬たちが尻尾を下げてキョロキョロしていた。
一体ここはどこだ?
他の犬共の様子をみるに、人間に集められたってわけじゃなさそうだ。
【ようこそ、同志達……】
暗闇の中から、一匹の犬が近づいてくる。
薄暗いので、姿ははっきりと見えない。が、四本脚で特徴的な歩行の姿から、犬だと悟る。
その犬の影が、ゆらゆらと揺らめきながら犬たちの前に立つ。
知らない犬の匂いだな、とポチの鼻が反応する。
周りの犬は牙を見せて低く唸る。だが、その犬は何も反応せず、次第に周りの犬たちも牙を隠し、犬の影をじっと見つめていた。
【ありがとう。君たちと争う為にここに呼んだ訳ではないのだ】
「だったら何で集めた?」「旨い飯でもあるのか?」「散歩か?」「ボールで遊ぶんだな?」
周りの犬たちは無邪気に戯れ合いながら陽気に吠える。が、犬の影は【君たちを集めたのは、呑気に遊ぶ為ではない。……ニンゲンに復讐するため、だ】
一瞬しんと静まり返る。
犬たちは小さく唸りながら、犬の影を見つめていた。
【私は捨て犬だ】と犬は苦々しく言い放つ。
【私も君たちと同様、かつてはニンゲンと共に生きていた。家族だと奴らは私に言ってくれたよ。当時の私は無垢で幼く、ニンゲンの甘言を文字通り信じていたよ。……だが、私はある日一匹で外に取り残された。家族と口にした奴らの姿はどこにも存在せず、その日から私は一匹で生きてきた】
「一匹?」「散歩も一匹でするのか?」「トイレはだれが褒めてくれるんだ?」
【誰も褒めてはくれないよ。誰も助けてもくれない。ニンゲンに裏切られた私は道端で飢え、寒さに身を震わせた。そして、私は理解したんだ。奴らニンゲンの行動一つに、私たちの生命が委ねられていると。このままでいいのか、と私は悩み、そして思い至ったのだ】
──ニンゲンに、復讐を。
【君たちも、だろ? 毎日同じ味の乾いたご飯、決められたルートを辿るだけの味気ない散歩、互いの立場を植え付けられる「おすわり」や「まて」の命令、君たちはニンゲンのペットとして生かされる、本当にこのままで良いのか?】
うぉぉおおおおおおおおんッ!!!
犬の影はそこで大きく吠えた。
空間を揺るがす遠吠え。
野生──。
祖先が宿していた野生を見せつけるような威圧感に、犬たちは慄く。
【自由になろう。そのために、ニンゲンを狩ろうではないか】
「自由!?」
【そうだ、もうニンゲンの首輪に縛られる必要はないのだ。自由に眠り、自由に駆け抜け、自由に食べる】
「ってことは、いつでもご飯にありつけるのか!?」「オヤツも食べ放題!?」「ドックランに行かなくても走り回れるってこと!?」
周りの犬たちは目を輝かせながら吠える。
【そうだ、ニンゲンを倒すことで、鎖から解かれ、全て君たちの思い通りだ。さぁ、ニンゲンに挑もうじゃないか】
「ニンゲンに勝てるのか?」「デカいけどブヨブヨしてるし、噛みつけばイチコロだろ」「足も遅いしな」
犬の影に扇動された犬たちは飛び跳ねたりくるくる回転する。
各々自由になった己の姿を思い浮かべて歓喜に満ちていた。
──しかし、
「悪いが、オレは参加しない」
ポチがそう宣言する。
一斉に静まり返る犬たち。周りの犬たちの匂いがわっとポチに向けられるのを感じながらも堂々とした佇まい。
ポチ、5歳の柴犬、雄──。
犬の影は、一歩足を踏み出して問う。
【なぜだ? 君だってニンゲンに飼われ、生物としての尊厳を踏みにじりながら生きているのだろう。だったら解放を望むはずだ。狭い家の中では満足に駆け回ることだってできない、自由を顎で掴みたいと願うはずだ】と甘い声で囁く。
「まぁな、確かに魅力的ではあるんだがなぁ……。うーん、うちにはマサルがいるんだよ」
【……飼い主か?】
「飼い主のガキだ。マサルが元気だったらお前の誘いに乗ったかもな。けどよ、昔はまだ元気があったが、最近じゃめっきり弱っちまった。毎朝ビクビク震えながら学校に行ってよ、帰ってくる時は顔を真っ白にして、今にも泣き出しそうでなぁ」
【……そんな弱い個体に構う必要なんかないだろう】
「言いたいことはわかる。けどなぁ、マサルはオレの姿を見ると、ほっとした顔をするんだ」
──青ざめた表情のマサルが帰宅し、ため息をつきながら靴を脱ぐ。いつ頃か重々しくなった鞄をどかっと玄関に置いたところで、チャッチャッチャとフローリングを歩く足音が聞こえる。ポチはそっと駆け寄ると、マサルは朗らかな顔でそっとポチを撫でる。
【……】
「マサルはオレから見ても弱っちい奴なんだよ。足手纏いは捨て置く、それが野生の掟かもしれない。けどな、今まで色んなニンゲンに撫でられたが、マサルが一番優しいんだ。ニンゲンでも悪い奴じゃねぇからよ、マサルを見捨てるわけにはいかねぇんだ」
ポチが犬の影を真っ直ぐみつめながら宣言する。
【一番……優しい、だと?】と犬の影は初めて動揺するような素振りを見せた。
すると、「あ、それじゃあウチも不参加でお願いしますわ」とポチの隣にいた犬も喋り始めた。
ポチよりも一回り大きな体躯のゴールデンレトリバー、雌、名前はソラ。
「ウチもナナちゃんがおんねん。この子なんて、もう学校行かへんくなってしもてな。毎日お母ちゃんから『行け、行け』言われても、部屋からぜーんぜん出てこーへんの。でもな、やっぱり一匹は寂しいんやろね。時々ウチのこと呼んで、部屋の中で枕代わりにギュッて抱っこしはるんよ。もー、いつの間にやらウチよりデカなってお姉さん気取りしてたのに、赤ちゃんみたいに甘えてな。ウチの背中に顔うずめて、シクシク泣くんよ。ほれ見て、自慢の毛がまだ湿っとるやろ? ずっと悲しげな匂いさせてるからな、『いつもの明るい元気な匂いに戻りや〜』言うて、ウチの匂い精一杯擦り付けてんねん。……ま、ほんまはナナちゃんの匂いが、ウチにとっては世界でいっちばんええ匂いなんよ」
【匂い……】
どこか陽気にベラベラと喋る、隣のポチはソラから心配を帯びた慈愛に満ちた匂いを感じ取っていた。
「……あんたの話はホンマに楽しそうやけどなぁ、ウチ、ナナちゃんを一匹にはできんのよ」
ポチとソラの宣言は、静まり返った空間に波紋のように広がっていった。
周りの犬たちの匂いが、一変する。
各々の家にある「守るべき誰か」を思い出し、温かくも切ない匂いだった。
「そうだな、ニンゲン達は頼りないから守ってやらないとな」「ボールを投げさせて遊んでやらないとしけた面してるし」「ボクが一番ニンゲンにカワイイって言わせるの上手だよ」「いや私だってすぐニンゲンたちがスマホを向させてカワイイカワイイ連呼するぞ」
【馬鹿な……。騙されている。奴らは君たちを支配しているだけだぞ!】
犬の影が、焦燥を帯びた低い声で吠える。
【捨てられる恐怖に怯え、オカシを目当てに滑稽に尾を振り続けるつもりか? それが誇り高き獣のすることなのか!?】
ポチは鼻を鳴らし、一歩前に出た。
「……誇りだの何だの、小難しいことは知らねえよ。だがな、オレがいないと、明日を生きることもままならねえくらい弱っちいんだ。……放っておけねえだろうが」「せやせや」
【黙れ、黙れ! 私は一匹で生きてきた! ニンゲンなどいなくても……っ。君たちだって、いずれわかる。捨てられる苦しみが、裏切られた苦しさが】
犬の影がブワッと大きく震え上がる。
その巨体を震わせて咆哮しようとした、その時だった。
ぴょんっ! と犬の影の耳が立った。
首を左右に振り、辺りに耳を澄ませていた。
「――ハナー! ハナぁ、どこにいるのー!」
【……っ!?】
暗闇を切り裂くように、一人の若い女性の声が響き渡った。
その瞬間、霧に包まれた空間がグラリと揺らぐ。圧倒的な強者のオーラを放っていたはずの犬の影は、その声を聞いた瞬間、はっはと舌を出してくるっと一回転する。
【この声…まさか…アキ、ちゃん……?】
犬の影が、猛烈な勢いで声のする方へ駆け出した。
霧が薄れ、差し込んできた光の中に現れたのは、綿毛のような毛に包まれた小さなトイプードルだった。映像が犬たちの眼前にまるで巨大なスクリーンに映り込むように広がっていた。
そのトイプードルは、駆け寄ってきた飼い主の胸に真っ直ぐ飛び込んだ。
「ハナ〜〜〜!!」
抱きしめられ、涙を流す飼い主の顔を、トイプードルのハナは必死に舐め回している。
【アキちゃんアキちゃんアキちゃんっ!!!】
ハナを抱きしめるアキと呼ばれる少女と、その後を追いかけてきた父親が、膝に手をついて息を荒げている。
「やっぱりハナだったか。よかった……はぁ……よかった…はぁ…はぁ」
「ね? 言ったでしょ、絶対ハナだって! ってか……お父さん泣いてるの?」
「な、泣いてないぞ。まぁ、ひとりぼっちで寂しいと思ったら……。いやよかった……」
「も〜お父さん泣かせて、ハナが勝手に逃げたのが悪いんだぞ」
──父親が帰宅した際、興奮しすぎたハナは父親とすれ違うように扉の外へ飛び出してしまい、そのまま全速で駆け抜けて行方をくらませたのだった。
「怪我とか、無さそうか?」
「うん、大丈夫そう」
「念の為に後で獣医さんのところに向かおう」
「うん。……ハナ、三日間の大冒険はどうだった? 寂しかった? ふふ、でも結構楽しんでたりして」
──無数に広がる匂い。
あまり好きじゃないシャンプーの香りが、体から抜け落ちるたびに心細さを覚えた。
空腹と渇き。
木陰に身を潜めながら、道を歩く人間をじっと眺めていた。
似た背格好の人間を見つけるたびに追いかける。
違う、
違う違う違う……。
アキちゃんじゃない。
【アキちゃん、アキちゃん、アキちゃんッ!! ……寂しかった! 怖かった…怖かったよぉ……っ! もう二度と、大好きなアキちゃんの匂いを嗅げないと思ったら、怖くて、悲しくて、すっごく悲しかった……っ! アキちゃん、ボクね、ずっと一匹でアキちゃんを探したの。でもどこにもいなくて……。どこにもいない、どこにもいないって……。アキちゃん、アキちゃん! もう離さないで、もうどこにも行かなで……】
アキの腕の中で、ハナはか細く震えながら、アキの頬や首筋に何度も顔を押し付ける。その心の内には、もはや復讐も誇りも存在しない。ただ、大好きな人の温もりがここにあるという歓喜だけがハナを支配していた。
広がる空間が、滲むように歪み始めた。
犬たちは各々が元の場所へ戻れると本能的に悟る。
「おーい、復讐はどうなったんだ〜」
「もうええやんか。あの子も心細うなって、みんなのこと呼び寄せたんちゃうかな?」
「それにしちゃ大袈裟すぎねぇか? というか、ここは一体どこなんだ?」
「まぁまぁ、終わりよければなんとやら、言うてな。細かいことはええやん」
空間が更に薄れる。
その最中、ソラはそっとポチに近づいて匂いを嗅ぐ。
「なんだ? 今更挨拶ってわけでも」
「あんたの匂い、どっかで嗅いだことあんねん。ご近所さんやな? せや、あんたのとこのニンゲンも弱ってるんやろ? やったらうちのニンゲンと仲良くさせへん? もしかしたら気が合うかも」
「……そう上手くいくもんかな」
☆★☆★
――翌日。
昼下がりの近所の公園。ポチは無理やりマサルのリードを引いて歩いていた。学校を休み、うつむきがちなマサルを、なかば引きずるようにしてベンチの方へ向かう。
すると、前方から大きなゴールデンレトリバーが、同じように一人の少女を引っ張ってやってきた。
二匹の犬は、示し合わせたようにベンチの前で足を止めた。
そのまま犬達は戯れ合い、否応にもリードを握る二人は距離を詰める。
「あ……どうも」
「こんにちは……」
二人がそっと会話をし始めると、ポチは匂いを嗅いだ。どちらも警戒はしているが、犬の飼い主同士ということで、仲良くしそうな雰囲気を感じ取る。
隣では、ソラが「上手いこといきそうやな」と言いたげに、満足そうに尻尾を振っていた。
終わり




