第一話 その瞬間、私は魚になった。
「はじめまして。私の名前はミナです」
私が自己紹介をすると、目の前に座っているインド人女性は、目を軽く見開き、小さく息を呑んだ。良く似合っているオレンジ色のサリーの上から、そっと胸に手を当て、言い淀む。
「あなたの両親は、どうして、そんな名前を……」
その声には、明らかに動揺が混じっていた。
何だろう。世界でも珍しくない名前のはずなのだけど。
日本はもちろん、お隣の韓国、トルコやイラン、欧米の国々でも、広く使われている。ごく一般的な名前だ。
「何か、変ですか?」
「私の故郷の言葉で、ミナは『魚』という意味です」
その瞬間、私は魚になった。
やわらかな水に包まれて浮かぶ、流線形の身体。
心地よい浮遊感。
見上げた頭上には、ゆるやかな光がゆらゆらとたゆたう水面。
うっとりするほど幻想的で、瑞々しい世界。
下を見ると、赤や黄色、色とりどりのサンゴ礁。
そこで遊ぶ、大小様々な魚たち。
左右を見渡せば、あちこちに小魚の群れ。それぞれが大きな生き物のように、ダイナミックに形を変える。見とれてしまうほどの躍動感。
魚たちの多様性に、ちょっと感動する。
岩陰から顔を出すのは、エビ?
あっちにはカニもいる。
豊かな海の底。
ああ、そうだった。
はるか昔、私達は皆、海で生まれたんだった。
名前も知らない魚たちが、お互いぶつかりもせずに、見えない水中のハイウェイを行き交う。
まるで海の中にも交通ルールがあるようだ。
実は、彼らだけが認識できる信号や標識があるのかもしれない。
ゆったりとひれを動かして、ウミガメが目の前を横切って行った。
それを目で追う。
ふと、一帯が暗く陰った。見上げると、大きなエイの白いお腹。
(わあ! 大きい!)
その時、私は気づいた。
(私、ものすごく小さい)
どうせなら、クジラとか、もっと大きくて偉大なものになれば良かったのに。
我ながら、小心者だと思う。
(待って。クジラは魚じゃなかった)
それにしても、こんなにちっぽけな身体では、遠くまで泳げないだろう。
せっかくこんなにも美しい世界にいるのに。
(ハッ! 私、泳げないんだった!)
慌てたところで、目の前のインド人女性が怪訝そうな顔をしているのが見えた。
ふう。危なかった。溺れるところだった。
翌日、アメリカ人の友人とのランチで、早速、名前の話を切り出した。この面白いネタを、彼女もきっと楽しんでくれるだろうと思ったのだ。
「私の名前、ヒンディー語で『魚』っていう意味なんだって!」
すると彼女は、何故か不機嫌な顔になって言った。
「その人、失礼ね」
なるほど、彼女の中では『魚』の価値は低いらしい。
昨日の彼女もそんな感じだったな。
まあ、確かに日本でも、人にそんな名前はつけないけど。
とりあえず今は、インド人女性と魚たちの名誉のために、私は言わなければならない。
「私は魚が好きだから、嬉しかったよ」
「え」
ちょっと引かれた。
そう言えば、ミナは、ロシア語で『地雷』という意味がある。
間もなく、海鮮料理が次々に運ばれてきて、テーブルの上に並んだ。
「うわあ、おいしそう!」
「お腹を空かせてきた甲斐があるわ」
鮮やかに盛り付けられた新鮮なお刺身。立派な尾頭付きの煮つけ。数種の天ぷら。和え物等々。まさに眼福。
スペイン語のミナには、『宝の山』という意味もある。
『魚』は、言語の旅を経て、『宝の山』になるのだ。
日本では、古来より魚を大事にしてきた。
祝い事の鯛に、出世魚の鰤や鯉。縁起物であり、自然の恵みであり。
魚は、私達を幸せにしてくれる力がある。
豊穣の海に感謝して。
「いただきます」
私は魚。
魚は私。
私達は、大いに食べ、大いに満足した。




