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1-4

 二回目の硬膜下血腫は一回目のそれより少々重かった。私は病院のベッドで絶対安静を言い渡され、二十四時間点滴を受け、トイレに行く際にも看護師を呼んで、車椅子に乗せてもらって用を足すよう指示された。だが手術するまでには至らず、結局二週間で退院した。


 今回はさすがに両親が私に激怒した。ボクシング部は退部するよう私に迫った。私の担任教師も同じ意向だった。私は部に戻れないなら学校も辞める、と意地を張った。


「じゃあ(学校も)辞めなさい。命には代えられないから」


 母は駄々をこねる私にそう言い返した。私の不登校が始まった。


 退院してから一カ月半、学校に行かなかった。するとこの年の四月から新しく顧問になっていた部の監督が、この間に非常に骨を折ってくれ、学校側と私の両親を説得し、根回しに根回しを重ね、二度と対人練習をしないという条件付きで私を部に復帰させてくれた。最後には私のために先生方と私の母で会議を開いて、「もしまた部活中に硬膜下血腫を再発し、死に至る、あるいは障害が残るなどということがあっても、学校と部に責任を問わない」という誓約書に母がサインをして、私は部に戻れたのである。


 どうしようもない愚劣な少年だった私も、これにはさすがに心を入れ替えた。部に復帰したのは二年生の六月で、私はそれから部の監督と両親の想いに応えられるよう、真面目に部活に取り組むようになった。


 私は後輩のミット打ちを受け、技術的なアドバイスもするようになっていたが、自分には大会での実績が当然無い。そんな先輩の言うことを、後輩が聞いてくれるだろうか――。そう気にした私は、対人練習以外の練習メニューを選手並みにこなし、「少なくともこの先輩は苦しい練習はしているのだから」と後輩に思ってもらうことで、指導する権利を得ようと考えた。


 一日当たり一時間ほど選手のミットを受け、アドバイスし、それ以外の時間は自分の練習に励んだ。当然選手に比べて練習時間が長くなるから、部で一日最低五キロメートルとノルマが定められているロードワークを、一人で朝行うようにした。そのために毎朝六時台の電車に乗った。毎日の夕方の全体練習の前後にジムワークのメニューを消化し、夜七時半の電車に乗って、家に帰るのは九時前だった。疲労で、実家にたどり着くと玄関にそのまましゃがみこんでしまうような日もあった。

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