034 開拓団の石鹸作り
開拓村の防壁がようやく形になった頃、俺はある「計画」の実行を心に決めていた。
異世界転生者にとっての様式美、あるいは避けては通れない義務――
そう、「石鹸作り」である。
正直なところ、知識チートで石鹸を作るなんてお約束すぎて、どこか冷めた目で見ていた自分もいた。
だが、背に腹は代えられない。
エルフ夫のセイルさんから良質な鹿の脂を分けてもらった今、このチャンスを逃す手はなかった。
まずは道具作りからだ。
直径三十センチ、深さ四十センチほどの壺状の炉をこしらえた。
刻んだ藁を混ぜた粘土で成形し、下部にはレンガで吸気口を確保。
上から薪や炭を投入するトップフィード型だ。
今回、この炉で焼くのは、大きめのマグカップのような形をした容器である。
あらかじめ表面には、水で溶いた粘土と灰を混ぜた「うわぐすり」を塗ってある。
「……よし、じっくり行くか」
最初から強火は禁物だ。マグカップの周囲に熾火を置き、慎重に、ゆっくりと熱を伝えていく。
急激な温度変化は割れの原因になる。
ふいごを使い、容器が赤く光り始めたのを確認してから、追い炭をしてさらに温度を上げた。
最終的には、マグカップが完全に高温の炭に埋もれる状態にする。
その灼熱を維持すること一時間。
最後は上から土を被せて密閉した。
下の炭をじわじわと燃焼させ続け、数日かけて冷却することで、焼き締まりを強めるためだ。
後日。
土を払い、掘り出したマグカップを指先で弾いてみる。
――チィン。
高く澄んだ、金属質に近い音が響いた。
「成功だ……」
表面は見事にガラス化し、滑らかな光沢を放っている。
石鹸を作る工程では、強いアルカリ性を持つ「灰汁」を扱う。
化学反応に耐えうる、安定したガラス質の容器がどうしても欲しかったのだ。
もちろん、熱した油に直接灰を放り込む荒っぽい手法もある。
だが、これから継続して生産することを考えれば、ここで「質の高い道具」を揃える壁は超えておきたかった。
作業は続く。
まずは素焼きの壺に、焚き火から集めた灰をたっぷりと詰め込む。
そこへゆっくりと水を注ぎ、濾過された滴を、先ほどの特製マグカップで受け止める。
溜まった液体には、強いアルカリが含まれているはずだ。
確かめるべく、俺はそっと人差し指を浸し、親指と擦り合わせてみた。
……ぬめる。
俺の指のタンパク質が、アルカリによって溶かされている証拠だ。
「うお、効いてるな」
慌てて大量の水で指を洗い流し、次の工程へ移る。
次は油脂の精製だ。
土鍋に細かく刻んだ鹿の内臓脂肪と水を入れ、火にかける。
脂肪が溶け出し、透明なサラダオイルのようになっていく。
浮き上がった不純物を丁寧に取り除き、塩を加えて布で濾す。
一晩おくと、脂はまるでロウのように真っ白く固まっていた。
これで下準備は完了だ。
いよいよ仕上げに入る。
精製した鹿の脂を再び土鍋で溶かし、そこへ湯煎で温めておいたマグカップの灰汁を注ぐ。
「……目に入ったら大ごとだぞ、慎重に」
自分に言い聞かせ、棒でゆっくりと撹拌しながら加えていく。
透明だったオイルが、アルカリと反応して白濁していく。
マヨネーズ状になるまで、根気よく煮詰める作業だ。
しゃもじで混ぜていると、持ち上げた際にトロリと筋を描くようになった。
ここが「鹸化」の見極め時だ。
俺はそこに、マグカップ一杯分の塩を投入した。
秤なんて便利なものはない。だが、昔、理科の実験で廃油石鹸を作った記憶が微かに残っていた。
確か、油の重さに対して二割程度……。
「塩が足りないと固まらないぞ!」と叫んでいた先生の顔が浮かぶ。
鹿の油は、マグカップ5杯分入れた。
重さと嵩は違うが、この世界では自分の勘が頼りだ。
塩を入れた瞬間、滑らかだった表面がみるみるうちにザラつき始めた。
手応えが重くなる。ほどなくして、表面にチーズのような白い塊が浮き上がってきた。
これこそが「石鹸」の正体だ。
一晩放置して分離を待つ。
翌朝、鍋の中は見事に二層に分かれていた。
上部には白く清潔な石鹸の塊、下部には茶褐色の「下層液」――グリセリンと余分なアルカリを含んだ残りカスだ。
石鹸は真水には溶けるが、濃い塩水には溶けない。
この「塩析」という性質を利用することで、純度の高い石鹸だけを取り出せる。
型に入れて数日。風通しの良い場所で熟成させれば、念願の石鹸の完成だ。
数日後の朝食後。
俺は出来上がった石鹸を皆に披露した。
各家庭に配り、かまどやトイレ近くの水場にも常備するよう伝えると、女性陣から歓声が上がった。
「それじゃあ、さっそく試してみましょうよ!」
即興のお試し会が始まった。
かまどでお湯を沸かし、テーブルには布と石鹸が用意される。
フィアさんはどこからか松葉を持ってきていた。煮出し汁をリンス代わりにするつもりらしい。
記念すべき最初の被験者(?)は、猫族のタマさんだ。
男たちは少し離れた場所からその様子を眺めていた。遠目でも、女性たちの「キャッキャ、うふふ」という楽しげな声が聞こえてくる。
(ちなみに、皆ちゃんと服は着ている。健全な風景だ)
俺の隣では、タマさんの夫であるニケさんが、どこか心配そうに視線を送っていた。
テーブルに仰向けになったタマさんを、フィアさんたちが囲む。
石鹸を溶かしたお湯を手に馴染ませ、毛並みに沿って丁寧に指を滑らせていく。
日々の調理や焚き火の煙、そして潮風に晒されて固まっていた彼女の髪が、徐々に解きほぐされていくのが遠目にもわかった。
仕上げに松葉の煮出し汁ですすぎ、布で優しく水分を拭き取る。
どうやら、終わったようだ。
「……にゃあ!」
女性陣から、歓声があがる
遠くから見ても、歓声に合わせて、タマさんが、変なポーズを取っているのが解る…
飛んだり、器用に逆立ちをしている。
「あ…」
タマさんが、こちらに走って来る。
夫であるニケさんに一番に見せたいのだろう。
俺は邪魔にならないよう一歩引いた。
「どうだにゃ、石鹸で洗ってもらったにゃあ!」
タマさんはニケさんの前で、くるりと軽やかに回転してみせた。
気のせいか、あるいは陽光の悪戯か。
もともと白かった彼女の毛並みが、今はまるで純銀のような輝きを放っている。
「きらりん☆」という効果音が聞こえてきそうなほど、眩しい。
ニケさんを見ると、彼は目に大粒の涙を溜め、プルプルと震えていた。
「よがっだなぁ……っ!」
感極まった声でハグしようとするニケさんを、タマさんはひらりと身をかわす。
「アハハッ、ニケは面白い奴だにゃ♪」
そう言い残し、彼女は再び女性陣の輪へと戻っていった。
普段はクールで知的、物腰柔らかなニケさんの豹変ぶりに、俺は正直圧倒されていた。
猫族の美醜の基準は分からないが、この夫婦が美男美女であることだけは確信できる。
そんなニケさんが、顔をくしゃくしゃにして泣いている。
何か声をかけようとした瞬間、彼は何も言わずに背を向けて立ち去ってしまった。
「あ……」
呆然と見送る俺の肩を、ドワーフのドンさんがポンと叩いた。
「ニケの奴、奥方へ苦労をさせてきたという負い目があるのだろうよ」
顎髭をさすりながら、ドンさんが静かに呟く。
――タマさんの苦労。
言われてみれば、この開拓団の食卓を支えていたのは、翌日から魚を獲り続けてくれた彼女だった。
海風に吹かれ、干物作りの煙に巻かれ、タールのような汚れがその美しい毛並みにこびりついていたはずだ。
彼女は一度も不平を漏らさなかった。
だが、その不快感や重労働は、想像に難くない。
「何か、もっとできることはないかな……」
銀色に輝くタマさんの後ろ姿を見ながら、俺は村の未来に思いを馳せていた。
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【設定補足・制作メモ】
1. 中世ヨーロッパと石鹸の歴史
12〜14世紀のヨーロッパにおいて、石鹸は極めて高価な貴族や豪商の持ち物でした。
当時、地中海沿岸(スペインのカスティーリャ、イタリアのヴェネツィア、フランスのマルセイユなど)で製造されていた高級石鹸は、
オリーブオイルと「ソーダ灰(Barilla)」を主原料としていました。
この「灰」は、海岸に自生する「サルソラ・カリー(オカヒジキの仲間)」などの塩生植物を焼いて作られます。
ハルキたちが今回使用した一般的な木灰とは成分が異なり、ナトリウム(ソーダ)分を多く含んでいました。
ちなみに、この植物の灰はアラビア語で「アル=カリ(Al-qali)」と呼ばれており、これが現代の化学用語「アルカリ」の語源となっています。
一方、当時の庶民たちは獣脂を使い、家庭で「黒石鹸(軟質石鹸)」と呼ばれるものを細々と自作して利用していました。
2. 松葉のリンスについて
フィアが用意した松葉には、ビタミンCや有機酸(シキミ酸など)が含まれており、液性は弱酸性です。
石鹸でアルカリに傾いた髪の毛を中和させる効果があります。
さらに、松脂(テルペン類)が微量に含まれるため、天然のオイルコーティングによる艶出し効果も期待できます。
3. 制作のモデル
炉の構造: ハルキが自作した炉は、「七輪陶芸」の仕組みを参考にしています。
鹿油の石鹸: 北海道などで実際に作られている「エゾシカ石鹸」をモデルにしました。
エゾシカの脂には「オレイン酸」が豊富に含まれており、非常に高い保湿力を持つと言われています。
※作中でハルキは「ホットプロセス(加熱)」と「塩析」を組み合わせて即席で仕上げましたが
市販の良質な鹿脂石鹸の多くは「コールドプロセス(熱を加えず数週間かけて熟成させる)」など、工程が違うと思われます。
4.ハルキの「目分量」を検証する
作中でハルキは「油5杯に対して、塩1杯(容積で2割)」という入れ方をしていました。
これを「重さ」に換算するとどうなるか計算してみます。
油500ml、塩100mlは、油460グラム、塩120グラムになります。
重さの比率は、120÷460で、26パーセントです。
少し多めで「成功」な分量と言えます。
(塩の比重は、2.16ですが、粉末の塩は隙間があるため1.2程度として計算)




