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これで昨日探りを入れたことはバレる。
下手したら、貴族侮辱罪により、この場で首をはねられる。
もうミスはおかさないと誓ったくせに、さらにミスを重ねてしまった。
「……はっはっはっは!!!」
「……!……!?」
死を覚悟していたのに、突然笑い声が聞こえてきて、驚きのあまり目を見開いてシン様を見た。
「お前はやっぱり面白いな!はっはっは!」
「……シン様?」
「貴様、昨日は私を探ったな?何とも頭の賢い女だ!はっはっはっ!」
「……………」
「ますます気に入ったわ。ムトナ、お前、私の妻にならぬか?」
「え!?ダメです!わたくしは娼館の女です!そんな女と結婚など、シン様の経歴に傷がつきます!!」
「ここまで口説いて断る理由が私の経歴か?」
「だってシン様は将校クラスのお方とお見受けいたします!位の高い女を選ぶべきです!」
「お前は鋭いのか鈍感なのか分からぬわ!はっはっはっ!」
「……………」
なんか、笑われっぱなし。
でもとりあえず、首は免れたらしい。
シン様は、再度私をベッドに横たえて添い寝された。
「お前が謎めいた女だとは思っていたが、私の予想外だったよ。
…昨夜、私に探りを入れてきたのは、ネフェルタリ様のご様子を伺うためか?」
「……………」
「ここまでバレてしまっているのだぞ。もう隠すこともあるまい。申してみよ。」
「…シン様…」
「先ほど言ったであろう。他言はせぬ。お前と私の秘密にしよう。」
「疑いをお許しくださいませ。…わたくしは訳あってネフェルタリ様の許を去り、現在、わたくしが生きていることは存じませぬ。シン様は正規軍。時おり、近衛兵としてもお仕えすると存じます。王宮に出向かれた際、わたくしの生存がバレてしまえば…」
「…心配するな。王宮に行って、お前の名が出ることがあろうか?ないに等しい。聞かれぬことは答えぬ。」
「シン様。」
「申してみよ。」
「…ネフェルタリ様はわたくしの大事なお方です。わたくしはネフェルタリ様の為ならば、どんなことでも致します。
…ラムセス様のお名が出たときに思いました。ラムセス様の状況把握はネフェルタリ様の状況把握だと。お二人は本当に仲のよい夫婦です。ですからラムセス様のことをお伺いしました。」
「何が分かったと言うのだ?」
シン様は私の語ることに興味を持たれ、目を輝かせて食い付いてきた。
「皇太子候補の件。恐らく、無能な弟君たちの悪行でしょう。悪い噂を断たねばなりませぬ。ラムセス様が連戦にて国外に行かれている時に流れる噂に、きっとネフェルタリ様は悲しんでおいでです。そして、シン様が教えてくださった最前線のラムセス様のご様子。戦場にて助け船を出されないラムセス様のご苦労、そして、戦死されるかもしれない恐怖と戦っておいでです。」
「………どうする気だ?」
「わたくしは…お側に控えることはなりませぬ。影となってお仕えする所存にございます。」
「…影?……まさか斥候になるつもりか?」
「……………」
「ムトナ。あまりに無謀。考え直せ!」
「お止めくださいますな。…この身はネフェルタリ様のもの。ネフェルタリ様に捧げると誓った命にございます。わたくしはわたくしの出来ることを全力でやるだけです。」
「……………」
抱き締める力を弱められたシン様は、天井を仰ぎ見ると深い息を吐いた。
「…なんと言う…忠義に満ちたおなごだ…
…これ以上…惚れさせるな…ムトナ…」
それだけ呟くと、黙ってしまわれた。
約束通り、シン様は翌日も翌々日も毎日来られた。
あの日以降、ラムセス様やネフェルタリ様のことを話すことはなく、ただ楽しい話や不思議な話をたくさんしてくれた。
「………!」
「…大分抱かれるのも慣れてきただろう?毎晩教えてるからな。吐息が熱いぞ。」
「…シン…様!」
「お前の身体は私のものだ。私がお前を少女から女にしたのだ。生涯忘れるな。」
「……ッッ!」
「ムトナ…私を忘れるな。」
「……あ!!」
「…返事はどうした。」
「わ…忘れませぬ!ああっ!」
「…それでいい。…楽にしてやろう。おいで。」
夜戯の最中、切ないお顔をされるシン様。
快楽の渦にのまれているのか。
他の事情があってのことか。
…私を思ってのことか。
それは分からない。分からないけど…
「…シン…様……そんなお顔…なさらないで…」
「…残酷なことを…言うな。」
女の悦びを開拓されてしまった私は、ただシン様に酔っていくだけ。
店に出始めて10日。
「…ムトナ!ムトナはいないか!」
「お母さん?…ここにおります!」
「降りてきておくれ!早く!」
お母さんが大声を出して私の名を呼び、急いで下の階に降りた。
「どうなさいました?そんなにお急ぎで…」
「いいからこちらに。」
通されたのはお母さんの部屋。
慌てた様子だったので、直ぐに後をついて扉を閉めた。
「…心を落ち着かせて聞きな。」
「はい。」
「…今、街の外れの酒場に行ったんだ。…そこで、王子のことを噂していた。」
「ら…ラムセス様のことですか?」
「ああ!上エジプト国境付近の村では、王子の支持者狩りが始まって、ちょっとした騒動になっているらしい。」
「…何ですって!?それは真ですか?」
「死傷者多数。…その先導者はラムセス様の弟君の側近だという話。」
「……許せない!!!」
「それからもう一つ!」
「まだあるのですか?ラムセス様のご進退に関わることなのですか?」
「ラムセス様のことだ。…エジプトは戦争に負けた。ラムセス様は瀕死らしい。」
「……な……」
(何てことだ…!ネフェルタリ様!!)
瀕死?
一瞬、セティ様を恨んだ。
増援していれば勝利の道はあったかもしれないのに、勝手に負け戦だと決めつけて。
ご自分は王宮で楽にしていて高見の見物。
皇太子になる争いまで、娯楽とお思いか!
「…ムトナ。」
とお母さん。
「大丈夫かい?顔色が真っ青だ。」
「…大丈夫です。…でも、急がねば…ネフェルタリ様が苦しんでおられる…」
「所詮は噂だ。本当か定かではない。真実を知りたけりゃ、首都まで上るんだな。」
そう言うと、保管庫の中から袋いっぱいに詰まったお金を台の上に置いた。
意味が分からず目を見開いていると。
「…これはお前のためにシン様が貢いでくれたお金だよ。持っていきな。」
「……え?こんなに?……嘘……」
「本当は、お前の目標金額など2日で貯まった。でも、シン様が金は必要だから10日は黙っていてくれと頼まれていたんだよ。
…あんな殿方をふってしまうなんて!お前は本物のバカだよ!」
「……あーあ。一歩遅かったか。知ってしまったのか。ムトナ。」
「…シン様…」
これが異性に対する愛情を持つということなのだろうか?
見返りを求めず、相手を思う。そういうことなんだろうか。
「…シムトラトプテ。そなた、ムトナが王子の侍女と存じておったのか?」
現れたシン様に驚いていると、シン様はお母さんに向かってそう言った。
そう言えば私はお母さんに名前を明かしていなかったのに。
「…半年も暮らしていれば気付くさ。…と言うか、分かりやすい方法で知った。」
「…え?」
「シン様。この子はね、いつも祈りを捧げるときはテーベの方向を向いて捧げるんだ。しかも決まってラー神とトム神に。」
「…はっはっはっ!それはそれは。ムトナほど素直な女はいないな!」
「そうだろう?」
「…お二人ともわたくしをバカにしてる?」
「まさか。はっはっはっ!」
エジプトの神々の中で毎日のように祈り捧げる神はラー神とトム神。
ラーによって生まれし者の語源となるラー・メス・シスのギリシャ語読みであるラムセス様。
ネフェルタリ様の本名、ネフェルタリ・メリ・エン・トムは、トムに寵愛されし者の意を持つ。
トムは太陽の神アメンの妻の女神。
それぞれがラムセス様とネフェルタリ様のお名の由来にあるものだからだ。
「それよりシン様!…わたくしはこんなにたくさんのお金を頂いてたなんて…何と言えばよいのか…」
「何度も言ってるではないか。ここに来てお前を買った男だと。それがお前の商売であろう?」
「そうですが、でもここまでだったとは…」
「では、恩返しをしてくれ。」
「え?」
「今日のお前の時間、私にくれぬか。」
…突然シン様が現れた理由が分かった気がした。
シン様は、私が直ぐに出ていこうとしたことを見抜いたんだ。
そして、最悪なことも分かってしまった。
出ていこうとした私を見抜いたということは、ラムセス様の噂が本当だということだ。
「…本当に賢い女だ。…主に忠実なお前を止めることなどできぬのは重々承知。最後くらい、私のために私のことを思って私のための時間をくれてもいいだろう?」
「…分かりました…」
「…シムトラトプテ。代金は」
「要りませぬ。お母さん。このお金の中から今日の分の代金を払ってください。」
「ムトナ。それでは店が成り立たない。私が払うから」
「成り立ちます!だってお金はお店に落ちるから!シン様はお部屋に上がっててください!」
強引に背中を押し、お母さんの部屋から追い出した。
「黙ってて申し訳ございませんでした!…信じていないわけではないのですが」
「分かっているよ。お前のことは。」
「こんな…皆さまに…」
「ムトナ。お前の人柄はそれだけ人の心を動かすということだよ。覚えておきな。」
「……え?」
「お前はご主人様から人間として一番大切なことを学んだんだねぇ。」
「……………」
「ほら。シン様が待っているよ!さっさとお行き!」
背中を押されて私まで部屋を出された。
ネフェルタリ様から学んだこと?
たくさんありすぎて何か分からないが、話の流れからすると、私の人柄のことなんだろうけど…
「ムトナ。どうした?そんな難しい顔して。」
「あ、すみません。」
「何か言われたか?」
「いえ。大丈夫です。それよりもシン様、ありがとうございました。」
お母さんからきいた話を思い出し、ひれ伏して頭を地面につけた。
「またお前は…こちらへ。」
「はい。」
近付くと、お馴染みになった座り方。
膝の上に私を乗せて、背中から抱き締める。
そして頭を引き寄せて、髪をすく。




