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我が身を案ずることなかれ  作者: 水嶋つばき
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真実に辿り着けず混乱していると、クスクス笑いが聞こえてきた。


「か…!カエムワセト様!またからかわれたのですか!」

「…なぜそうなる。」

「お離しくださいませ!申しましたでしょう!わたくしは愛など要りませぬ!でも、ちゃんとお仕え致しますゆえ」

「…本当…呆れた。」

「はい!?今、何とおっしゃいました!?」

「呆れたと申しておる。ラムセス様やネフェルタリ様のおっしゃる通り鈍感娘だ。」

「……なっ!?」


頭の中で何かが割れる音がした。


「鈍感娘ですって!?そのようなことを皆でおっしゃってたのですか!?」

「そうだ。だが今はそこが論点ではないわ。」

「意味が分かりませぬ!お離しくださいませ!」

「断る。私を見ろ。」

「お断り致します!」


と、瞬間。

抱き抱えられてベッドに連れられ組み敷かれた。

蘇るは、あの夜の恐怖。

一瞬で身体が硬直し、顔が強張った。しかし。


「…あの日はすまなかった。」


突然の謝罪に驚き、目を開いた。

申し訳なさそうに目を伏せているカエムワセト様がそこにあった。


「気が動転したのと…嫉妬だった。私でさえ触れていないのに…と、頭に血が昇ったのだ。悪かった。」

「…カエムワセト様…?」

「意味が分かるか?」

「分かりませぬ…」

「…フッ……鈍感娘。」


…また言われた。

でも、カエムワセト様の笑顔がとても穏やかで、目が離せなかった。


「…分かった。ムトナ、これから言う私の言葉を、一生胸に刻んで生きるのだ。」

「……?」

「良いな?」

「…はぁ…」


カエムワセト様は大きく息を吸い、それをゆっくりと吐き出した。

それから目を開き、私を見る。


「…ムトナ。」

「…はい。」

「私はお前を愛している。」

「………え?」

「…ちゃんとお前を愛している。努力したのではない。…自然とお前に惹かれ、お前に惚れて愛するようになった。過去の発言は忘れてくれ。だから愛など要らぬ等と申すでない。愛する我が妻ムトナ。私はお前以外の妻など要らぬ。生涯にただ一人の妻だ。」

「………ッッ!」

「…意味が分かるか?」

「……ぅぁあああーーー……!!!」

「…フッ…手のかかる妻だ。」


自分の思いと同じだと気付いた瞬間だった。

長い間さ迷っていた暗闇から解放された気分だった。

私の生きる目的が見つかった。

愛に満たされたネフェルタリ様は、本当は私など必要ないと分かっていた。

ラムセス様との結婚を機に、疎外感を感じていた頃、常に共にいてくださったのがカエムワセト様だった。

その優しきお心に惹かれ、今、やっと通じ合えた。


「…やった!言った!」

「コラ!そんなに押すな!」

「素敵な告白だったじゃない!カッコいいわ!」

「ム…お前は俺の前でそんなことをよくも…」


感動に満たされながら見つめあっていると、ドアの向こうから声が聞こえてきた。


(…み…見られた!!)


明かにラムセス様とネフェルタリ様のお声で、恥ずかしくなって顔を背けた。

同時に深い溜め息が聞こえる。


「…邪魔だな。あのお二人は。」

「……プッ!!」

「行くか。」

「はい。」


思わず漏らした本音に笑ってしまった。

カエムワセト様が私の涙を拭ってくれて。

手を繋いでくれて。

すべての苦労を思い出すも、愛しているという言葉で浄化されていくようだった。

それからラムセス様・ネフェルタリ様と共にした晩餐では、


「これで本物の夫婦になったわね。ホントに良かったわねムトナ。」


と、ネフェルタリ様に泣きながら祝福された。

…何もご存知ないネフェルタリ様。

だけど、その言葉を受け入れられた。

男と女。雄と雌。

異性があらば、恋に落ちる。

どんな状況にせよ、恋をしたものは自分の糧になると思う。

人を愛するとは何か。

忍耐とは何か。

信頼とは何か。

喜びも苦しみも、嬉しさも悲しさも。

すべて教えてくれる。そして自分を成長させる。


「…ところでワセト。」

「はっ。」

「ムトナには言ったのか。」

「これから話すつもりです。」

「そうか。……分かってるな?」

「はっ。私が支えることを誓います。」

「それでいい。」


晩餐が終わり、席を立ったところで、ラムセス様とカエムワセト様が意味深な会話をされた。

その隣では心配そうに私を見るネフェルタリ様。

三人のご様子が気になり、不安が過った。

ラムセス様とネフェルタリ様を見送り、廊下で立ち止まるカエムワセト様。

私を見ると、真剣な顔で語り始めた。


「ムトナ。…先ほど私はカデシュから戻るとき、重傷者と共に帰国したと言ったのを覚えているか?」

「…はい。」

「…お前は戦況を一部始終見ていたか?」

「はい。」

「だったら話しは早い。心して聞け。」

「はい。」

「…奇襲攻撃を受けた隊は全員命を落とした。その前には本隊がいた。」

「…はい。」

「そなたも見ているであろう。本隊もほぼ壊滅状態だった。

…その本隊の指揮を任せられていたのが、シンアブビルハだ。」

「ーーーーッ!!」

「私が見つけ連れ帰った。症状は重く、明日の命さえ分からぬ状況だ。現在は王宮の医師が看護している。…どうする?会いに行くか?」


不安が的中した。

驚きのあまり、言葉も息も飲み込んだ。

目を閉じれば、優しい笑顔が目蓋に映る。

紳士で、優しくて、情熱的なお方。

あの方には本当に助けていただいた。

苦しいときも辛いときも、私に寄り添ってくださった。

…でも、ふと思った。

先ほど、私を乱暴に扱ったのは嫉妬だとおっしゃっていた。

カエムワセト様はどのような思いでこの現実を私に告げているのだろう。

どのような思いでシン様を連れ帰ったのだろう。


「…カエムワセト様?」

「なんだ?」

「仮にわたくしが行くと申し、カエムワセト様は大丈夫ですか?」


質問してみたら、自嘲気味に笑った。


「過去に起きたことは変えられぬ。私と結婚してからは私以外の男と何もなかったと信じている。私の心はお前と同じ。お前も私と同じ心を持っている。それだけで平気な自分がいる。

…それに、あやつはお前を待っている。…会ってやれ。」


頬を撫でながら笑顔で話された。

小さく頷くと、ギュッと抱き締められ、手を引かれて医務室へと向かった。

医務室には数人の医師と将校クラスの見知った顔ぶれの者が数人いて、医師の手当てを受けていた。

カエムワセト様はその一番奥のベッドを指差され、背中を軽く押されながら近付く。

目を覆いたくなるようなお姿。

腕と足は片方ずつがなくなっており、顔の半分は包帯に巻かれている。

呼吸も浅く汗が吹き出ていて、熱が高そうだ。

ベッドの隣に膝をつき、声をかける。


「…シン様?」

「……………」

「シン様?わたくしの声が聞こえますか?」

「……ん……」


声に反応があった。

思わず涙が溢れた。

目蓋が揺れ、漆黒の光が私を捉えた。


「シン様!ムトナが参りました!お分かりですか!」

「…ムトナ…泣くでない…」

「シン様…」

「…ムトナ…の涙は…記憶に残る…愛する者の…涙は…もう…見とうない…」


こんなときでも優しいシン様。

いつだって愛を語ってくださる。

それがまた、私の涙を誘うのだ。

ゆっくりと右手を私の頬に触れると、指の腹で涙を拭い、笑顔を見せたシン様。


「…ムトナ…お前に…言いたいこと…あった…」

「はい。ムトナはここにおります。何でもおっしゃってくださいませ。」

「…お前を…カエムワセト殿から奪い…妻にすると…豪語したことは…忘れてくれ…気が変わった…」

「…シン様…」

「お前の…真っ直ぐな思いは…人を惹き付ける…これからも…真っ直ぐに生きるんだ。誰からも愛される女に…」

「…はい。必ず。」

「ネフェルタリ様…カエムワセト殿…誠心誠意…お仕えせよ。…お前の誓い…貫き通せ…」

「…はいっ……必ず!」

「…お前を初めて見た日…辛いとき…よく思い出す。

…ムトナ…なぜ私は…カエムワセト殿より早く…お前に出会わなかったのだろう?私が先に出会っていれば…お前は…私に惚れてくれたか?」

「…はい。きっと、シン様を好きになっていました。きっと、愛していました。」

「…ふ…たわけ……夫の前で申すことか…」


息切れが激しいながら、一つ一つ丁寧に言葉を並べられたシン様。

目を閉じると、一筋涙が溢れた。

男の人が流した涙は初めて見た。

とても綺麗だと思った。


「…私は…お前に会えたことを…誇りに思う…誰かを愛する意味を…お前は教えてくれた…」

「……………」

「…愛とは…何であろうな?

…時に切なく…時に苦しく…だが…思えば思うほど…心が温かい…お前を愛して良かった…ムトナ…」

「…わたくしも…シン様からたくさんのものを与えていただきました。わたくしは、シン様がいなければ、のたれ死んでおりました。すべてを支えてくださったシン様は、心の拠り所でした。ありがとうございます…」

「ふ…私は…何もしていない…」

「シン様…」

「…我が人生…悔いは一つだけ…お前の心を…手に入れられなかったことのみ…

…ムトナ…これからは…平和な時代になる…お前の苦しみも…私が持って逝く…」

「…シン様!頑張るのです!この国はあなた様のようなお方が必要です!」

「……幸せになれ。ムトナ。」

「…シン様!」

「…一つ…お前に頼みがある。」

「それを聞いたら頑張るとお約束してくださいますか!」

「……ああ……」

「…分かりました。何でしょうか?」

「…笑顔を…」


ニッコリ微笑まれたシン様。

その要求は予想外で驚いたが、シン様の微笑みにつられるように笑って見せた。


「……綺麗だ……」


そう言って大粒の涙が溢れたシン様。

瞬間

頬にあった手がずり落ちた。


「シン様!!シン様!!!」

「ムトナ!」

「いやぁあああ!!シン様!!」

「ムトナ!」


私の叫びを聞き、医師がシン様の前に集まった。

カエムワセト様に無理矢理引き剥がされ、抱き締められたまま見守る。

だが、医師は、シン様の片手を胸の上に乗せ、深く頭を下げた。


「嘘…嘘だ…!!シン様!!起きて!頑張るって言ったじゃないですか!!」

「ムトナ!私を見ろ!」

「約束するって言ったじゃないですか!今まで語らってたじゃないですか!!」

「ムトナ!シンアブビルハは死んだ!!お前にこのことを伝えたくて、今日まで生きてきたのだ!痛みや苦しみを堪えて頑張って生きてきた!なぜそれが分からぬ!お前のために頑張ったのだ!」

「…カエムワセト様!」

「…今は解放された。痛みや苦しみもない。」

「…カエムワセト様…」

「死に顔を見てみよ。…シンアブビルハは己の人生に満足しておる。」


…その死に顔は、とても穏やかだった。

どこか微笑みを浮かべているようでーー…

その日と翌日、カエムワセト様はラムセス様に許可を頂き、ずっと私の側にいてくれた。

涙が流れては抱き締め、止まると食事などをはじめとする身の回りの世話をしてくれた。

自分の気持ちが整理でき、落ち着いてきたのは数日後のことだった。


「…ありがとうございます。」

「…どうした?」

「…シン様に会わせてくださって。カエムワセト様の忍耐に感謝します。」

「ムトナ。」

「はい。」

「お前は、シンアブビルハが好きだったのではないのか?」

「好きですよ。今でも好きです。きっとこれからも好きです。」

「…もういい。この話は終わりだ。」


そっぽを向いてしまわれた。

可愛い一面もある冷静な賢人カエムワセト様。

クスクス笑うと、睨まれた。


「カエムワセト様との好きの種類が違いますゆえご安心を。」

「意味が分からぬわ。」

「友のようでもあり、親のようでもあり、兄のようでもある。その類いの好きです。」

「…ならば私は?」

「…う。」


言い訳を聞いたカエムワセト様がニヤリと笑った。

しまったと思ってももう遅い。

ジリジリと詰め寄ってくるので、思わず後退りする。


「早く申せ。私の好きはどのようなものだ?」

「…お分かりでしょうに!その憎き顔はおやめくださいませ!」

「やっと心が通じ、夫婦として歩んでいけるという喜びが分からぬか?」

「元はと言えば、カエムワセト様が……ン!!」

「そうだ。すべて私が悪い。だから早く申せ。」

「意味が分かりませぬ!」

「鈍感娘。……こちらへ。」


クスクス笑って私の手を取ったカエムワセト様は、優しいキスをしながらベッドに横たわる。


「おいで。我が妻ムトナ。」


今日が初めての夜だ

私の罪は私が塗り替える

そう呟きながら、カエムワセト様が私を抱いた。

情事の最中、ずっと愛してると言いながら。

心が満たされることの意味を知った。

人は、愛し愛されることによって満たされるんだ。

言葉でも、行動でも。


「…カエムワセト様…愛してます…」

「…私もだ。」


たくさんの出会い、たくさんの愛

気持ちや思いが通じたり交錯したり

私の歩んだ道は険しくもあった。

しかし今、平和になった世界で、愛に満たされて生きている。


ナイルの畔、オリエントの中心の地で

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