12-1
あれから2ヶ月ほど経過したある日、街での噂は二つのことで持ちきりだった。
まずは、セティ様が崩御なされたと。
二つ目、ラムセス様がファラオに即位されたと。
つまり、ネフェルタリ様は皇后陛下となられ、エジプトに祝福されている。
ラムセス様の即位名はウセルマアトラー・セテプエンラー。
ラーに選ばれし者を意味する名で、ラムセス様に相応しい名だと思った。
(おめでとうございます!ネフェルタリ様)
南西を向いては何度も頭を下げ、ラムセス様とネフェルタリ様へ祝福の祈りを捧げた。
皇太子殿を出てから、シン様に会うことはなかった。
それもそのはず。
私は国外へ出たからだ。
ネフェルタリ様を思い、愛する人を思う。
ただそれだけで生きればいい。
お二人を支えるために、ラムセス様を支える。
お三方へ忠誠を誓ったのだから、私は今まで通りのやり方でフォローしようと心に決めた。
向かった先はシリア。
比較的穏やかな気候で、交易も盛んな地。
そして、エジプトとヒッタイトのちょうど中間にある国で、幾度となく二国の戦地となった場所。
最新の情報が入ると見ていた私は、迷うことなくエジプトを出たのだ。
ここでもやはり男の格好をし、商人になりすまして慎重に行動していた。
そんな矢先、ある情報を耳にした。
「バシャール!来てたか!」
「あ、モハメッド。今日の商売はどうだった?」
「結構行けたぜ!」
「そうなんだ。僕は全然ダメだった。」
「明日は明日の風が吹く!頑張ろうぜ!」
私はバシャールと名乗り、そこで知り合った同じ歳のモハメッドと仲良くなった。
とても家族思いで、妻と三人の娘をとても大事にしている。
「それより聞いたか?エジプトじゃ世代交代があったらしいな。」
「情報古いよ。数日も前の話だろ?」
「俺の家、街から離れてるから遅くなんの!」
「アハハ!」
「笑ったな?…じゃ、これはどうだ!北にあるアムルの王様が、ヒッタイトに反抗してるって話!!」
「え?…何だって!?」
「あ、知らなかったんだ。俺の勝ち♪」
「その話、もう少し詳しく教えて!」
酒を酌み交わしながら聞いた話では、シリア北部にあるアムル王国で、小さな反乱が度々起こっているらしい。
その理由は、国王ベシナンテがヒッタイトに反抗しているとか。
瞬時に思い描く。
北シリアのアムル王国はヒッタイトの直ぐ隣だ。
そこが混乱しているとなれば、ムルシリやムワタリは手をこまねいているんじゃないのか?
そこを落とせば、シリアはエジプトのものだ。
(いい情報だ!ラムセス様!)
「モハメッド!ごめん、用事思い出した!」
「え?帰るのかよ。」
「ああ!また明日な!」
恐らくヒッタイトは、北シリアを制圧するために動いているはず。
ならばエジプトが攻め込むには今がその時だ。
ムルシリ正妻追放後、混乱に乗じラムセス様やカエムワセト様なら、軍をゆっくり進軍させているに違いない。
テーベまで戻らずとも、お会いできるはずだ。
急いで馬を買い、エジプトの駐屯軍がいる場所まで馬を走らせた。
月が登り始めた頃、駐屯地に到着する。
「止まれ!何者だ貴様!」
「ヤンと申します!ここの指揮官様にお会いしたいのです!シリアでの情報をお持ち致したとお伝えくださいませ!お願い致します!」
警備兵に何度も頭を下げて懇願した。
「何の騒ぎだ。」
テントから出てこられた人に警備兵が平伏した。
…多分、この人が指揮官だろう。
しかし、聞き覚えのある優しい声。
「申し訳ございませぬ。この者が帰らず居座っておりまして。」
「…その方、何か用か。」
「恐れ入ります。指揮官様にお会いしたく参りました。」
「…名は?」
「ヤンと申します。」
「…ヤンだと?……面を上げよ。」
ゆっくり頭を上げ、遅れて視線を上げる。
そして、やはり聞き覚えのある声だった。
「ま…マリンダ様!」
「やはりお前!あのときの斥候!久しいな!元気であったか?皆、こいつは我々の国のものだ。安心致せ。ヤン、私のテントに入れ。」
「はっ。ありがとうございます。」
ラムセス様の部下、副隊長のマリンダ様がここの指揮をしていた。
話しやすい相手で、ホッと息をついた。
マリンダ様は私をもてなそうとしたが、丁重に断りを入れて本題に入った。
「マリンダ様。ラムセス様は親征軍をどこまで進めておいでですか?」
「ここから騎馬で南へ丸一日といったところか。」
「やっぱり!さすがはラムセス様!急ぎ遣いをラムセス様の御許へ向かわせることは出来ないでしょうか?」
「出来るが、まずは話を聞こう。」
「わたくしは現在、ダマスカスの北にあるハマテという街にいます。そこで北シリアのアムル王国の噂を聞き及び、お伝えせねばと思って参りました。」
「アムル王国?…して、その噂とは?」
「国王ベシナンテの反逆にございます。」
「何だって!?真か!」
「街外れに住む者が教えてくれました。確証は得ておりませぬゆえ、確認を取って参ります。しかし、街外れでの噂は、駐屯軍が有力な情報源でしょう。恐らく真実かと。」
「それで、そなたはどうするのだ?」
「シリアを落とせる好機にございます。ヒッタイトの属国が反逆とあらば、ヒッタイトは力ずくで抑えようと躍起になるはず。我々エジプトに対する隙が出来ます。そのタイミングをお報せ致しましょう。」
「分かった。伝令の手配をしよう。」
「ありがとうございます!」
「ただし、確かめてからだ。お前と共に一人連れていき、確証を得た後に報告する。」
「はい。わたくしもその方がよろしいと思います。」
「確認したら我が部下を私の許へ帰し、お前はゆっくり下って家へ帰るのだ。それ以降はラムセス様のご判断にお任せしよう。」
「はい。」
…しかし、すんなり聞き入れてくださったな…と思いつつ、マリンダ様を見上げた。
「何だ?」
「いえ。わたくしをお疑いにならぬのかと…」
「はっはっはっ!安心せよ。私は嘘をつかぬとお前を信じておる。」
「……はぁ……」
「なぜか分かるか?」
「…さぁ。存じませぬ。」
「お前が私を救ってくれた。命の書により、軍から追放されずに済んだ。礼を言うぞ。」
「え?」
「ラムセス様の命令に背いた私がお咎めなしとは言えなかった。10回の鞭打ち、隊長の座は見送られたが、命は奪われずに済んだ。ラムセス様のご配慮だ。書を書いた者はお前の命を取るなと言っていると。お前のお陰だ。ありがとう。」
そういえば、そんなもの書いてたっけ。
それでこのお方が救われたのなら嬉しいことだ。
「マリンダ様はラムセス様にとって大切な存在です。だからご容赦くださったのでしょう。その命、今後も大切になさいませ。」
「分かっている。」
「良かった。…あ、それから一つお願いしたいことがございます。」
「何だ?」
「わたくしのことは、ヤンではなくバシャールとお伝えくださいませ。」
「…幾つの名を持っているのだ?お前は。」
「…いまのところ三つです。」
「はっはっはっ!これまた正直な奴だ!」
少し和やかになったところで、同行する部下を紹介された。
直ぐに騎馬に跨がると、マリンダ様が見送ってくださった。
「道中は気を付けよ。シュラプタ。この子を守るのだぞ。」
「御意。」
「バシャール。」
「はい。」
「私の間違いならばすまない。」
「……?」
「…皇太子殿にて、お前の雰囲気そっくりな女がいてな。どうも重ねて見てしまうのだ。」
「……!!マリンダ様…!」
「はっはっはっ!やはり同一人物であったか。そんなお前が国外にいて名を変えるなど、深い訳あってのことだろうな。深くは追求せぬ。気を付けよ。…ムトナ。」
「…ありがとうございます。」
顔を隠していた私を見破るなど、相当な眼力の持ち主だと感心しながら会釈をした。
手を振り笑顔で送ってくれ、意気揚々と目指すは北シリア。
二日かけて到着し、直ぐに酒場へ向かう。
「酒場?なぜです?」
「街の人たちが集まる場所は、噂が飛び交う場でもありますゆえ、情報収集には最適です。」
こういう仕事は初めてなのか、共についてこられたお方はよく質問をされていた。
丁寧に答えつつ、周りに耳を傾ける。
そこで知ったのは、アムル国王ベシナンテがヒッタイトの抑圧的な支配を快く思っていないという事実。
それに賛同する民も少なくない様子。
一方、ラムセス様のご即位とその支配のやり方は、北シリアまで良い評判が広がっていた。
それを聞いたベシナンテは、ヒッタイトの配下に置かれるよりエジプトの方が良いと反逆しているという。
「大体の事情は分かりましたね。後は兵の配置を確認すれば終わりです。」
北シリアの兵の配置。
それが守るものなのか、それとも交戦の構えを見せているのか。
もしも後者ならば、確実性のあるものだと断言できるわけだ。
見ると、やはり交戦の構え。
ヒッタイトへの反逆は確実なものとなった。
ちょうどその頃、マリンダの遣いの者がラムセスの許に到着し、マリンダから託された手紙を渡していた。
「…ワセト。お前の仕業か?これは。」
「何のことにございましょう。」
「フン!勝手に俺の名を使いおって!」
「あれの性格上、向かう先の見当と行動は読めております。」
「…ほら。お前への手紙だ。」
手渡されたパピルスを開き、読み終えるとニヤリと笑みを浮かべた。
「…怖い顔をするな。」
「暴れ猫は捕獲するのが宜しいでしょう。」
「それより明日、軍を進めるぞ。ヒッタイトの斥候は見付け次第殺せ。」
「宜しいのですか?確証はなしと。」
「ムトナの先見の明を存じているのは我々だ。小さな噂もあれが確信していなければマリンダのところへは行くまい。」
「御意。」
「ハハッ!水を得た魚のような表情だな!お前の腕を見せてもらおうか。」
ラムセスは、親征軍の指揮をカエムワセトに任せ、翌日にはシリアに向けて出発した。
マリンダの手紙にはこうあった。
《生けるすべてのものの神、ラムセス様北シリアにて、国王ベシナンテの謀反の情報あり詳細を調査中にて、追って結果を報告のことその情報提供者はラムセス様捜索中の従者ヤン》
カエムワセトはムトナが去って後、ラムセスの名を騙り、先見隊や斥候たちに布令を出していた。
背格好から細かい特徴まで詳細に書き記していたのだ。
見付けたときは、本人に知られることがないように注意を払い、直ぐに報告せよと。
ラムセスから離れられなかったための苦肉の策であった。
しかし、必ず成果はあると思っていた。
ネフェルタリの笑顔のために
ネフェルタリの歓喜のために
そうしてずっと仕えてきたムトナが考えることは、ラムセスの無事を優先にすること。
戦争が始まると、極端に食が細くなるネフェルタリをムトナは知っている。
少しでもラムセス有利するために奔走するのがムトナだ。
(…あとは狩るだけ…必ず戻す!)
カエムワセトはその思いを心に、ただ前へと進んだ。
その懐には、いつかのムトナの手紙。
愛する我が夫カエムワセトを宜しくお願い致します
愛する我が夫というフレーズを毎日見ては思いを馳せる。
そして、未だに誤解しているであろうムトナの考えを教えてくれた手紙だった。
それから歴史は大きく動く。
ムトナとマリンダの従者が持ち帰った情報により、ラムセス率いるエジプトの親征軍は、北へと進軍し、シリアを制圧。
不意をつかれたヒッタイトは、自国へ逃げ帰るしかなかった。
しかし、ヒッタイトは直ぐに態勢を調え、シリアを奪還すべく進軍。
それを見込んでいたラムセスは、北シリアの国王ベシナンテに申し入れる。
「ベシナンテ王よ。我が軍門に下れば、お前たちの行動を全力で支援しよう。最早、我が軍と貴殿の軍は友軍となる。どうだ?受けるか?」
「お受け致します。」
元々はエジプトの支配下にあったシリア。
奪還し、奪還されるの繰り返し。
今はベシナンテの心がラムセスに向いているため、掌握しやすかった。
約束通り、ラムセスはベシナンテの味方となり、王宮からヒッタイト軍を排除することに成功する。
ヒッタイトを指揮するは、ガル・メシエデイ旗を掲げたムワタリ。
ムワタリは、アムル王宮を攻め入れられなかったが、策を練り、北シリアの諸国を攻めいることにした。
ウガリット、ハラブ、カデシュを掌握し、北シリアの周りから中央へと攻める策を実行していった。




