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我が身を案ずることなかれ  作者: 水嶋つばき
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…と、急に落ちてきた声と共に、シン様の首に剣が当てられていた。

気配を殺し、近付くことの出来るお方。

そして今は、殺気に満ち溢れた気を放っておいでだ。

…これは現実だろうか?

目の前にいる二人の男性は、我が夫であり、そして求婚しているお方。

バレないようにしていたのに。

…まさか、つけられていた?

最悪の事態に呆然としていると、睨み合いの中口を開いたのはシン様の方だった。


「…これはこれはカエムワセト殿。先ほどの軍議は非常に興味深い戦略でしたぞ。」

「…ここで何をしておる。」

「ご覧の通り、ムトナという者と会話しておりました。それが罪に問われますか?」

「……………」

「剣をお収めください。女の前で殺し合うおつもりですか?」

「これは私の妻だ。返してもらおう。」


カエムワセト様の雰囲気は、今まで見たことがないほど怒り狂っていた。

シン様に対してか、それとも私に対してか。

カエムワセト様は剣を収めると、私の腕を強く引き、ご自分の身体で隠すように立ちはだかった。


「なるほど、夫とはカエムワセト殿であったか。少々驚いたぞ?ムトナよ。」

「シン様!わたくしはこのお方に」

「お前は黙っていろ。」


一際低い声で制された。

勘の良いカエムワセト様のことだ。

恐らく、娼館で働いていたときに抱かれた相手だと気付いたのだろう。

…握り締めた拳が震えていた。

敵を見据えた軍人のように。

獲物を見据えた狩人のように。

カエムワセト様はシン様を捉えて離さない。


「ちょうどよかった。ムトナに聞いても答えぬゆえ、困り果てておりました。」

「何のことだ。」

「カエムワセト殿がムトナの夫だというならば話は早い。私に譲っていただけませぬか。」

「……何?」

「私はこの者を以前から存じております。カエムワセト殿と結婚したとしても、ムトナは」

「ならぬ。ムトナは私の正妻だ。」

「……嘘をおっしゃいますな。カエムワセト殿ほどのものが、盛大な祝いをせずに結婚とは。ムトナは側室でしょう?ならばよいではござらぬか。私はこの者への愛を一生貫き、幸せにします。ムトナ、私はお前を愛している。私の妻に」

「ならぬと申したはずだ。ムトナは…誰にも渡さぬ。…私の妻だ!誰にも渡さぬ!!」


カエムワセト様が感情の内に声を張るなど、見たことがなかった。

ましてや正妻なんて嘘をつくなど。

驚いて見ていると、急に振り向かれたカエムワセト様。

私の手を取り、強引に引かれた。


「…戻るぞ。」

「…はい。」

「ムトナ!また会おう!カエムワセト殿を説得してみせる!必ず妻にしてみせる!」


シン様の叫びを聞いた瞬間、握られた手は力を増し、強烈な痛みが走った。

カエムワセト様は終始無言のまま。気まずい空気がありながら皇太子殿に着いた。

私たちの部屋に着くと、ドアを開けるなり私を床へ投げ飛ばされた。

先ほどから思いもよらない出来事の連続で、上手く頭が回らない。

…こんなに乱暴に扱われたことなど、今まで一度もなかった。

驚いて見上げると、その目は狂気に溢れるほど冷たく光っていた。

そして、低く、暗い声で語る。


「…どういうことだ。」

「…か…カエムワセト様…これは」

「ムトナ。…そなた、シンアブビルハと関係があったのか?」

「お許しくださいませ!」


体勢を整え、正面にカエムワセト様を見据えて足許にひれ伏した。

この怒りの中、嘘などつけない。


「…娼館にいたときに、わたくしを買ってくださったお客様でございます。」

「……………」

「わたくしは、シン様のお陰でこの場に戻ることが出来ました。」

「なぜそれが結婚に繋がるのだ。」

「…テーベに戻る際、求婚されてお断り致しました。シン様は納得された様でしたが…」

「連絡を取り合っていたのか?」

「いいえ!決してそのようなことはございませぬ!」


カエムワセト様が考えることに網を張っている。

その考えを、一つずつ消していかねば、嫌疑は晴れない。


「申し付けで街へ降りたとき、偶然再会致しました!連絡を取るなど思ったこともございませぬ!」

「あれは国でも名高い武将だぞ。お前は何をして惚れられたのだ。」

「何もしてはおりませぬ!」

「嘘をつくな!!正直に申せ!!」

「正直に申しております!…ただ子供へ悪い行いを正したところを見られ、それで惚れたと言われました!」

「よくもそのような嘘を」

「嘘ではございませぬ!…辺境では子供たちが人を殺め持ち物を奪うのが普通です!それを正そうと罠にかかったフリをしたところ、ハンダブアメラーム様の手の者に子供たちが襲われ助けました!そこを見られて惚れたと言ってくださいました!わたくしからは何もしてはおりませぬ!」

「……なるほど。しかしお前は実際シンアブビルハと密会しているではないか。」

「お断りするためです!何度も繰り返し結婚はできぬと、夫があると申しました!」

「それならなぜ私の名を出さなかった?」

「カエムワセト様にはご迷惑はかけられませぬ。自分の過去の清算は、自分でやるべきと。」

「…お前はそれをずっと悩んでいたのか。」

「……え?」

「泣くほど辛いものとはこの事か。」

「違」

「許せぬ…許せぬ!!」


(…ダメだ…殺される…)


すべて隠すことなく話しても、聞く耳を持たないほど怒りに満たされている。

いつもは冷静なカエムワセト様。

その冷静さが失われた今、私の命を奪って気を晴らす以外ないだろう。

人生で何度目か。

死を覚悟して目を閉じた。

しかし、当てられたのは剣の刃ではなかった。

乱暴に腕を引かれると、ベッドの上に投げ飛ばされた。

顔を覆う布を剥ぎ取られ、唇を当てられたのだ。

突然の口付けに驚き、目を見開いた。


「…許せぬ!…お前は私の妻だ!」

「カエムワセト様!何を」


組み敷かれ、私の身体に覆い被さったカエムワセト様は、一心不乱に唇を貪る。

そして服が破かれる。

…怖い。

こんなカエムワセト様は知らない。


「お前の肌に触れた?…お前の身体を奪った相手だと?…許せぬ!」

「…や…」

「お前が欲しいだと?…愛しているだと?…許せぬ!」

「…おやめ…くださいませ…」

「ネフェルタリ様の御前では素直なお前も、私に無駄な気遣いを示すお前も許せぬ!」

「…い…いやぁあああ!!」

「何もかも許さぬ!お前は私のものだ!!」


カエムワセト様の怒り触れ、その日は一晩中身体を奪われた。

泣き叫び、制止しようともやめられず、狂ったライオンの如く力ずくで奪われた。

ショックと疲労とで、最後には意識が飛んでいた。

目が覚めると、日が頂点にあった。

周りを見てもカエムワセト様のお姿はなかった。

ボーッとしながらベッドの中から外を眺める。

身体中が痛い。

下半身が重い。

昨夜の情事が嘘ではなかったことを報せてくれる自分のからだの悲鳴を聞く。

カエムワセト様が私に触れてくれた。

カエムワセト様が私を抱いてくれた。

夫婦となって初めて夫婦らしいこと。

…でも、思い描いていた夫婦のキスじゃないし、夫婦の営みでもない。

こんな形、望んでいなかった。

愛して、愛されて。

その愛を語り合うようにと思ってた。

怒りに任せ、一方的な情事は、私にとって苦痛以外のなにものでもなかった。


「…う……うぅーー……」


溢れ落ちる涙の理由は何なんだろう?

後から流れだし、止まらない。

…愛を一切感じない情事。

なのに、嫌いになれない自分がいる。

悔しいのか、情けないのか。もしくは心が引き裂かれるように苦しいからか。

涙が枯れたのは、日が大分傾いた頃だった。

重い身体を起こし、身なりを整えると、後宮へ足を向けた。


「…ネフェルタリ様、ムトナにございます。」

「ムトナ?…入りなさい。」

「失礼いたします。」


部屋に入って一歩目。その場に膝をついて平伏した。


「…本日は…勝手に休んでしまい…申し訳ございませぬ。」

「カエムワセトから聞いているわ。体調が優れなかったのでしょう?謝らないでいいわよ。帰ってゆっくりお休みなさい。」

「……………」

「…ムトナ?どうしたの?変よ?…もっと近くに」

「こ…ここで結構です!」


なぜかさっきから震えが止まらない。

カエムワセト様の怒りを被ったから。


「…姫様にお願いしたきことがございます。」

「…何?」

「しばらく、お暇を頂けないでしょうか。」


平伏した向こう側、ネフェルタリ様がゴクリと唾を飲み込んだ様子が伺えた。


「…ムトナ。近くに来なさい。」

「…いえ、ここで結構です。」

「これは命令よ。ここに来なさい。」


命令ならば従わなければならない。

立ち上がると、ネフェルタリ様の座る前で再度平伏した。


「面を上げよ。私を見なさい、ムトナ。」


見上げると、ネフェルタリ様の瞳が揺れた。

そして頭を撫でられ抱き締められる。


「泣き腫らして痛々しい…可哀想に。…何があったの?話してみなさい。」

「…いえ、何も…」

「ムトナ。…カエムワセトと何かあったんでしょう?あの方も様子がおかしかったわ。」

「姫様…」


昨日の昼からの出来事を話し、自分の気持ちをネフェルタリ様に打ち明けた。

ネフェルタリ様は黙って最後まで聞いてくれた。


「目が覚めてから今まで、いろいろ考えました。そして結論が出ました。…わたくしは、カエムワセト様の負担にしかならぬと。この結婚はするべきではなかったと後悔しております。

…カエムワセト様のお怒りはご尤も。そのうちわたくしは斬り殺されるでしょう。それも良いかと思いました。ですが、わたくしはネフェルタリ様の御為に生きると誓った身にございます。わたくしの女神が生きている限り、わたくしは死にとうないのです。」

「ムトナ…」

「ラムセス様、ネフェルタリ様、並びにカエムワセト様への忠誠はお誓い致します。ただ、ここにいては皆様の負担になります。遠くから支えた方が向いております。」

「ムトナ、また私から離れるの?」

「ネフェルタリ様には定期的に報せを届けます。人目を盗んで後宮にも来ます。ですからわたくしにお暇を頂戴したく、お願い申し上げます。」

「待ちなさい。…あなたは何も真実を分かっていないわ。カエムワセトともう一度話し合いなさい。」


…分かってる。

それに、話し合ったところで、カエムワセト様は聞く耳を持たない。

…私の言葉など、聞き入れてくれないのだ。


「少しここで待っていなさい。私が話してきてあげる。カエムワセトを連れてくるから。」

「……はっ。」

「いい子ね。直ぐに戻るわ。」


頭を撫でられると、ネフェルタリ様は部屋を出ていかれた。

ネフェルタリ様に嘘を申してしまった。

分かっていながら言わずにいられなかった。

机にあったパピルスを広げ、筆を走らせた。


《申し訳ございませぬ。わたくしの女神。あなたへの忠誠は全う致します。愛する我が夫、カエムワセトをよろしくお願い致します。》


これでカエムワセト様も愛する方から気にかけられる。

…これでいい。

涙を堪え、膝まづき、三度ひれ伏して部屋を後にした。

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