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我が身を案ずることなかれ  作者: 水嶋つばき
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3-1

ラムセス様の屋敷を出て六月(むつき)ほどが過ぎた。


あのとき折られて悲鳴をあげていた身体は、もう痛みが消えた。

しかし、ハッキリ残るは鞭のあとと足の骨折箇所。

この六月、宿をとってそこから動かず、ただ身体が癒えるのをジッと待った。

その間、幾度となく耳に入ってくる噂。


『王子殿下のラムセス様にお子が産まれたって!後継者誕生だ!』

『男の子だったということか!めでたい!』

『は!王宮育ちの坊っちゃんには、辺境の苦しさなど分かりゃしねぇ!』

『そうだ!誰がファラオになろうが同じだ!』

『いよいよ開戦か!』

『ヒッタイトの動きが怪しいんだとよ。』

『西国もヤバいんだろ?挟み撃ちになる。』

『侵略されるのかね?エジプトは…』


人の噂は国中に広まる。

確かなことも、不確かなことも。

自分の目で確かめることが、一番の情報収集なのだ。


私はこの六月、考えられるだけ考えた。

これからどうすればいいのか。

でも、カエムワセト様に言ったこと以外、私は生きる道を見付けられなかった。

幼いときから心に決めていたこと。

我が命は、姫様のために

ネフェルタリ様を影で支えることは、その笑顔の源であるラムセス様を支えること。

出来ることはすべてやらねば。


(…まずは…お金だな)


給金の大半を置いてきた私は、宿代で金が底をついてしまった。

ある程度の纏まった金、衣服、食料が必要だ。


「……………」


出来るだけ短期間で。出来るだけ多く。

ならば、働き口は決まっている。

市街地に向かい、その建物を探す。

ひたすら歩き回り、酒場の続く道の一番奥に目当ての店を見つけた。


「…こんにちは。」

「いらっ……あら。どうしたの?」

「あの…私をこの店に置いてはいただけないでしょうか。」

「は?お嬢ちゃん!正気かい?」

「はい。一生懸命働きますので!」


女店主らしき人物に、ひれ伏して懇願した。

そう。足を踏み入れた場所は娼館と呼ばれるところ。

男たちと騒いで、時には共に酒を飲み、寝所に入って夜戯を相手する。

ラムセス様とネフェルタリ様のことを思えば、自分の身体などどうでもよかった。


「…なるほど。訳ありのようだね。」

「……………」

「お嬢ちゃん。ちょっとこっちにおいで。」

「はい。」


近くにいる女の人に「店番頼んだよ」と告げると、私の手を引いて奥の小部屋に通された。


「ちょっと待ってな。すぐ戻るから。」

「はい。」


言葉は乱暴だが、どこか優しい雰囲気を感じ取っていた女店主。

この人なら、悪いようにはされない。

素直にそう思った。

しばらく経って戻ってきた女店主の手には、皿いっぱいのご馳走が。


……ぐぅぅぅーー……


「あっ!ごめんなさい!えっと!」

「あははは!よっぽど腹が減ってたんだねぇ。お前にやろうと思って持ってきたのさ。たんとお食べ。」

「え?食べていいんですか?」

「ああ。」


何回か確認したが、「何度も聞くな!」と怒られた。

まともな食事など久し振り。


「…美味しい…美味しい!!ありがとうございます!美味しい!」


夢中になって食べた。

なぜか、涙が出てきた。

それが不思議でならなかった。


「…お前、名前は何と言う。」

「…ムトナと申します。ごちそうさまでした。本当に美味しかったです。」

「…そうかい。じゃあムトナ、食事代を払ってもらおうか。」

「……え。」


どうしよう。…お金がなくてここに来たのに、逆に金を出せと言われるなんて。

世間知らずだった。甘い言葉には裏がある。

でも、ここから逃げ出そうとすることは考えなかった。


「申し訳ございませぬ!わたくしは金品を持っておりませぬ!お代は必ずお支払致します!暫しのご猶予をいただけないでしょうか!」

「盗むとでも?」

「盗みはいたしませぬ。どこかで働いて必ずお返し致します!」

「どこかとは?別の娼館に行くのかい?」

「………!!!」

「本当にバカな子だね。」


目の前に屈んだと思えば、優しく包まれた。

一体、何が起きているのだろうか。

この人の真意が分からない。

混乱しすぎて、固まったまま。だけど、優しく髪をすいてくれた女店主。


「…ムトナ。お前のことを聞かせてくれたらお代は要らないよ。」

「え?」

「お前のような子が、どうしてここで働こうと思ったのか。それを聞かせておくれ。」

「あの…」

「決して口外はしない。お前の半生を聞かせてくれたらここで働かせてやる。」

「……………」


不思議と安心する言葉だった。

私の直感を信じる。そう思えた。

立ち上がると椅子に座らされ、向かいの椅子に女店主が穏やかな顔で私を見ていた。


「ムトナ。お前はどこかの侍女だったのではないか?」

「…えっ!?」

「かなり位の高い人に仕えていただろう?態度、仕草、言葉、どれをとってもそういう教育をされてきた女の子だね。」

「……………」

「私の勘は当たっているかい?」


もう、素直に頷くことしか出来なかった。


「…わたくしは幼き日に親に売られ、わたくしを買ってくださったお方は中流家庭でした。お仕事は侍女の教育。わたくしはその教育を受け、あるお屋敷で働かせていただくことになりました。そのお方は今でもわたくしの女神です。」

「……………」

「そのお方はご結婚されました。旦那様は私もついてこいと仰ってくださり、そのお屋敷で新たな人生が始まりました。いつでも仲睦まじく、愛し愛された素敵なご夫婦です。

…しかし、わたくしの過誤により、旦那様の怒りを被りました。」

「その鞭の痕は、お前の旦那様から?」

「はい。

…わたくしは、お嬢様の心を苦しませることを申したのです。旦那様が口止めしたことでした。わたくしは守れなかった。」

「お嬢様は何かを聞いたのかい?」

「旦那様の身辺事情です。…しかし、それを申してはならぬと言う沙汰でした。

…お嬢様はお子が宿っておいでだった。無駄な心配はさせぬようという旦那様の配慮を無下にしてしまったのです。お嬢様は、夜も眠れず、食事も喉を通らず、笑顔も消え失せました。ご帰還された旦那様は怒り狂い、わたくしは鞭で打たれました。」

「…それで?」

「それで…このような扱いを受けたわたくしは、お嬢様のお側に仕えることは出来ません。格式高い品性が損なわれると思い、屋敷を抜け出しました。」

「抜け出した?…何も言わずにかい?」

「お二方はとても心優しきお方です。鞭の痕があったとしても、わたくしを働かせていたでしょう。そんなことは出来ぬのです。それほど高貴なお方。私によってその名が汚れてはならぬのです。

…傷を癒し、やっと動けるようになりました。わたくしは、あのお二人の御為に生きると決めた。

…でも、行動するにもお金がなくて…ここに参りました。」


敢えて旦那様お嬢様と呼ぶことにより、名前を伏せて話した。

察しのいい女店主は、きっと私が隠したいと思ったことに気付いたんだろう。そのことに触れずに聞いていた。


「なるほどな。…よく分かった。」


そう言って立ち上がった女店主。

スタスタ歩いて部屋を出ていってしまった。


(…ダメ…だったか…)


洗いざらい話したが、結果はダメだったらしい。

溜め息を吐くと、空になった皿を持って部屋を出た。

皿をテーブルに置き、女店主に深く頭を下げた。


「…えっと、おかみさん。

…ご迷惑をお掛けしました。申し訳ございませぬ。でも、話を聞いてくださり、ありがとうございました。

…なぜか心がスッとしました。お元気でお過ごしくださいませ。失礼いたしました。」


お金ができたら返しに来よう。

そう思えるほど安心できた。

踵を返し、玄関に向かって歩き出す。


「ムトナ!どこに行くんだい?さっさと仕事なさい!」

「…え?」

「…私が言ったことを忘れた?話せば働かせてやると言っただろ。でも、今のお前では客が寄ってこない。だから雑用をしなさい。ほら!そこの床にゴミが落ちてる!窓も拭いておくんだよ!いいね!」

「……お…おかみさん……」

「返事はどうした!」

「は…はい!!」

「それでいい。ここで暮らせばいい。お金ができるまで、私が面倒を見てやる。」

「ありがとうございます!」

「…その代わり、私をおかみさんと呼ぶな。出来れば…母と呼んでくれんか?」

「母…?……お母さん?」

「それがいい。お母さん。」

「へへっ!なんか恥ずかしいです。お母さん。」


おかみさん、いや、お母さんがこのような人で良かった。

誰も信じてはならぬと教え込まれた私。

そして、本当の親に会うこともなかった私。

こんな形でも、お母さんと呼べる人が出来たなんて、なんだかくすぐったい気持ちだ。


「ムトナ。」

「はい。」

「ここで私に気を使うことはない。」

「はい。ありがとうございます。」

「ここへおいで。」


近付くと、本物の母のように優しく抱き締めてくれた。


「…私はね、お前と同じだったんだよ。」

「…え?」

「貴族の屋敷に働いていた。だけど、追い出されちまったのさ。

…お前の痛みが分かるのは私だけだ。よくぞここまでまっすぐに育ったものよ。

…辛かっただろ?苦しかっただろ?主従の関係とは、太く、脆いものだ。」

「お母さん…」

「今だけ思いっきり泣きな。全部流せば、一歩前に進める。」


…私がなぜこんなに落ち着いたのか、理解できた気がした。

同じ経験に勝る痛みの理解はないからだ。

優しいお母さんに甘えて涙した。

お母さんは、共に泣いてくれた。

涙が収まった頃、パン!と背中を叩かれた。


「娼館で働くからには、それなりの覚悟あってのことだろ?」

「はい。お客様をお相手します。」

「お前では無理だ。」

「え゛」

「こんな痩せ細ったガキを客が相手すると思ってるのか?」

「う゛」

「まずは食事をして太れ。太るまで雑用以外仕事はないよ!雑用で無駄な肉を落とし、魅力的な胸と身体が出来上がる。」

「…はい。」

「それが仕事だと思いな。」

「はい。お母さん。」

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