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我が身を案ずることなかれ  作者: 水嶋つばき
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「…少し、このままで。」

「……………」


ドキドキ高鳴る鼓動を感じながら、頭では冷静になっていた。

ご自分なりの愛を示そうと言ったカエムワセト様。恐らくこれは、その言葉だろう。

カエムワセト様が好き

だが、私を好きではないと分かっている

感情と理性の狭間は、こんなにも苦しい。

それなのに、カエムワセト様は抱き締める力を込められた。


「…ムトナ…」

「……………」

「…ムトナ…我が妻よ…側にいてくれ…」


まるで私を愛していると告白されているよう。

こんな声は聞いたことがない。


(…勘違いしてはダメよ!ムトナ!)


表面上の夫婦。

カエムワセト様には私への愛などない。

再度抉じ開けられた感情が疼き、涙となって表れた。


「もう…勘弁してください…」

「…ムトナ…?」

「このようなことはされずとも、わたくしはあなた様に生涯ついていきます。」

「ムトナ。お前の思っているような事ではない。私はお前を」

「分かっております。わたくしの心に合わせてくれたのでしょう?お優しいカエムワセト様ですもの。だけど女は愛を請う生き物にございます。愛がないと知っていながら素直に受けられませぬ。わたくしもカエムワセト様も苦しくなるだけです。お離しください。」


溢れ落ちた涙に気付いたカエムワセト様は、やっと力を緩めてくれた。

私はニッコリ笑って見上げた。


「ありがとうございます。お食事の用意をして参ります。少々お待ちくださいませ。」


カエムワセト様はとても切なく見下ろしていた。

まるで、ネフェルタリ様を見ていたあの日のように。

その表情の意味が分からない。

だが、きっと私に情けをかけてくれたのだろうと思って整理をつけた。

…しかし。


「これは美味い。お前は料理の才能があるな。」

「…ありがとうございます…?」


食事中はべた褒め。


「か!カエムワセト様!ここはわたくしの場所です!ご自分の場所へ行ってくださいませ!」

「うるさいぞ。自分の妻と共に寝て何が悪い。」


夜は私のベッドに入って眠る始末。


「…ひーーめーーさーーまーー!!」

「…出たわね?パニック娘。まずミルク。」


翌日はネフェルタリ様に泣きつく。


「か…カエムワセト様が…豹変しました…怖い!」

「豹変?…手をあげたりされた?」

「真逆です!!抱き締めたり誉めたり一緒に寝たり!お陰で寝不足です!!」

「…頑張ってるわね…カエムワセト…」

「頑張るって何をでしょう!」

「鈍感娘には手こずるということよ。」

「鈍感娘?わたくしの事にございますか?わたくしほど鋭敏に気を張っている者は、ネフェルタリ様のお側にはいないと豪語出来ます!」

「私に関してや諸事情に関してでしょ。」

「どうすればやめてくれるのでしょうか!」

「やめて欲しいの?」

「はい!心臓が持ちませぬ!」

「…プッ!…アハハ!」

「アハハじゃありませぬ!深刻な問題です!」

「もう…これ以上笑わせないで…」


真剣に話しても、結局流されて笑われる。

だが、ネフェルタリ様に打ち明ける事によって、幾分は落ち着いている。

心の内を吐き出すことは、ストレス発散になっていた。


「ネフェルタリ!ネフェルタリ!」


瞬間、ラムセス様の声がして、直ぐに切り替えドアの側に向かう。

部屋へ入ってきたラムセス様とカエムワセト様。


「ラムセス様。こんな昼間にどうされました?」

「時間が空いたゆえ会いに来た。ワセト、ムトナとそこで控えていよ。」

「「はっ。」」


部屋の外に出て、ドアを背に立つ。

時間が空いたゆえ

このところ、毎日後宮に来ることはないと言っていたネフェルタリ様。

ヒッタイトの情報は、夜に入るという。

斥候たちが慎重に夜活動をしているのだろう。

カエムワセト様も毎日部屋に戻っているわけではない。

しかし、本殿と後宮に離れているわけではなく、部屋も同じのため、お二人の時間より共にいる時間は多い方だろう。

それに、カエムワセト様は食事の際は必ずお戻りになるし、廊下ですれ違うこともある。


「「……………」」


しかし。

昨日の今日で…何とも気まずい。

ムトナとカエムワセトが外に出ると、ラムセスはネフェルタリを抱き締めてキスをする。

ラムセスは、ムトナが戻り、ネフェルタリの心が柔らかくなっていたことを感じていた。

自分が招いたものとはいえ、自分でネフェルタリの心を取り戻し、夫婦の仲も今まで以上に良くなっていた。


「…それで?ムトナの様子はどうだ?」

「パニックになっております。」

「ハハッ!だろうな。ワセトに発破かけてやったからな。」

「あの子に合わせてくれないと怒りますよ!」

「分かっておる。」

「カエムワセトはどうなんです?」

「最早気が逸って仕事さえまともに出来ぬ。ムトナの魅力に気付いてからは、溜め息ばかりだ。だが、あの強情女に手こずっているらしいな。」

「先ほどまで怖いと叫んでました。」

「ワセトの思いは通じておらぬのか?」

「まったく通じておりませぬ。努力された愛など要らぬ。そればかりです。」

「…鈍感娘は手こずる。お前のように素直になればいいものを。」

「フフ。本当ですわ。」

「しかし、ワセトには言葉と行動で示せと言ったが、どうやら実行してないな。」

「……………」

「何だ?」

「恐らく、行動のみ。」

「は!?…もっとも重要は言葉だというに。愛してるよ、ネフェルタリ。」

「取って付けたような愛の言葉は要りませぬ。」

「…おい。ムトナか、お前は。」


会う度にこうしてムトナとカエムワセト夫婦のことを語り合う主たちだった。


(そういえば…シン様にお会いするには…)


カエムワセト様のことを考えるより、他のことを考えようと頭を切り替えると、思い出したシン様の存在。

皇太子殿にいることは分かっていても、その中に入ることが許されるのは用件があるときのみ。

他の国とは違い、無闇に扉を開け放つことはないエジプトの王家一族。

ラムセス様は割りとオープンにされるようだが、カエムワセト様は常に用心されていて、人の出入りは厳しくチェックを入れている。

ならば、私が出掛けて行かなければ、会うことは到底無理な話だ。


「…ムトナ。」

「…え?…はい!」

「何を考えておる。」


鋭い目で見られていたことに気づかなかった。

人妻でありながら、他の男のことを考えていたなど、ましてや情事の相手を考えていたなど言えない。


「…何か悩みごとか?」

「カエムワセト様、わたくしは用がありますので失礼致します。ネフェルタリ様にそのようにお伝えくださいませ。」

「待たれよムトナ。変だぞ。何か隠し事をしているのか。」

「…カエムワセト様には関係のないことにございますゆえ、お気になさいませぬよう。」


一礼してその場を離れ、街へ向かった。

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