10-2
翌日。
「ひーーめーーさーーまーー!!」
「まぁ!どうしたの?ムトナ。」
後宮に向かい、侍女たちが下がったのを見てネフェルタリ様に抱きついた。
二人きりの時だけ許される、姉妹としての甘え。
「カエムワセト様が怖いです!」
「……へ?」
「カエムワセト様が怖いんです!お助けくださいませ!」
「何を言ってるの!この子は!まったく…カエムワセトほど優しい殿方はいないでしょう?何が怖いの?」
「シン様もお優しい方です!この地には多くの優しい殿方がたくさんいらっしゃるはずです!カエムワセト様は私の気持ちを知って結婚し、昨夜は自分の言葉を実行するなんて恐ろしいお言葉を頂きました!そんな愛など要りませぬ!カエムワセト様はわたくしを努力した愛で包むおつもりなんだ!恐ろしい!!」
「ちょっと落ち着きなさい!ほら、ミルクを温めてもらったのよ。飲みなさい。」
ハチミツの香りも含まれたミルクはほんのり甘く、それを飲んだら少し落ち着いた。
「落ち着いた?」
「はい。…申し訳ございませぬ…」
「いいのよ。二人の時は思いっきりムトナを出しなさい。」
優しく諭すように笑顔を向けられ、次第に心が凪いでいく。
と、思ったのも束の間だった。
「なんか、聞きたいことが山ほどあるわ。」
「へ?」
「ムトナ。カエムワセトはあなたに愛を注いでるの?」
「……はぁ……」
「例えば?」
「無駄とも思える気遣いが多いと言うか…距離を埋めるように接してくると言うか…」
「それの何が怖いの?夫婦だもの。当然よ。」
「姫様がご存知のように、わたくしとカエムワセト様は愛し合っておらぬ夫婦にございます。わたくしは愛など要らぬと事前に申し上げましたのに、カエムワセト様は気遣いを見せるのです。」
「それの何がいけないの?妻を気遣って悪いという人はいないわ。」
「…な…何の心境の変化ですか…」
「そうね…ムトナに惚れたんじゃない?」
「は!?あり得ません!!」
「あら、どうして?毎日ムトナと共にいたら、あなたの良さも見えてくるわ。加えてこの美貌。男を虜にする罪深き顔。」
「…ネフェルタリ様に言われたくありませぬ。」
この世でもっとも美しいと言われているネフェルタリ様に言われたら、ただの嫌味にしか聞こえない。
そう思って反論したが、クスクス笑うネフェルタリ様は気にも止めてないご様子で。
「…カエムワセトがお前に愛を示そうとしているなら受ければよい。あの恋愛に不器用な男のことです。必死にムトナを繋ぎ止めようと頑張っていると思うわ。」
「それが嫌なのです!カエムワセト様にご負担がかかります!少しでも気の休まる時間を」
「…あなたの姿を見ればきっと気が休まるはず。大丈夫よ。ムトナの心配事は、カエムワセトにとって嬉しいものだと思うわ。」
「…よく…分かりませぬ…」
「カエムワセトとムトナはお互い様…ということかしら。…まぁ、その事はラムセス様と話し合ってみるから。」
「…どうしてラムセス様が出てくるのですか…」
「あら、恋愛の先輩よ?私たちは。
…それよりも、私が気になってることは別にあるわ。」
「何でしょう?」
「…シン様ってどなたなの?」
「……存じませぬ。」
「あっ!私に嘘をついたわね!ムトナ!」
そこで気付いた自分の失態。
まったく気を張っていなかった私は、先ほどついシン様を口にしていた。
自分の悪い癖だ。
口が原因で屋敷を出たのに、何度も繰り返してしまうとただのバカにしか思えなくなる。
チラッとネフェルタリ様を見ると…
「…姫様…どうして目が輝いているのですか。」
「ちょっとワクワクしてるわ。早く答えなさい。
…お屋敷を出たあとに知り合ったお方ね?どんな方?」
「……………」
「吐・き・な・さ・い!!」
「イタッ!…もう!いつからこんな強引になったんですか!」
「母は強いのです。さ、どうぞ?」
両頬をつねられて、強制的に言わせようとされる姫様。
「…恐らく、姫様もご存知の方だと思います。」
「そうなの?」
「ラムセス様は弓兵隊を指揮なさった時分がございましたゆえ。」
「弓兵隊の方なの?」
「はい。近衛兵の弓兵隊所属で、恐らく将校クラスのお方。…名はシンアブビルハと申します。」
「シンアブビルハ!?知ってるわ。今は弓兵隊長として近衛兵に仕えているわよ。」
溜め息を吐きながら、事の経緯を話した。
すべてを話し終えると、沈黙に包まれた。
チラッと様子を伺うと…
(目が…輝きを増してる!!なんか嫌な予感!)
「わたくしはこれにて」
「きゃぁあああーーー!!!何?そのお話!素敵な出会いとは言いがたいけど、素敵な出会いじゃないの!!」
(……意味が理解できません……)
「カエムワセトが知ったらどんな反応なのかしら!見てみたい!…ああっ!ウズウズするわ!」
「姫様!カエムワセト様には黙っててください!お願いします!」
「分かってるわよ。…でも見てみたい!二人の男が一人の女を奪い合う……素敵!憎いわねムトナ!罪深き女じゃない!きゃー!」
(…そこにあなたも入ってますとは言えまい…)
舞い上がっているネフェルタリ様はもうダメだ。
一時、この話でからかわれるのがオチだ。
ラムセス様はネフェルタリ様を愛し
ネフェルタリ様はラムセス様を愛し
カエムワセト様はネフェルタリ様を愛し
私はカエムワセトを愛し
シン様は私を愛し
壮大な五角関係。
…今もシン様が私を愛してくださっていればの話だが。
だけど、夫がある以上隠さなければならない。
情事の相手がシン様だと知られたら、少なからずギクシャクするだろう。
皇太子殿下というラムセス様の立場上、近衛兵とはよく関わってくるはず。
ネフェルタリ様がご存知のくらいだ。カエムワセト様も当然シン様をご存知のはずだから。
でも、考えてみると、確かにシン様の言う通り話さないといけないかもしれない。
あれほど愛を示してくれたのだ。
私の心に惚れたと言ってくれた。
初めての私を優しく扱ってくれた。
事情を話せば力になってくれて、情報もくれた。
多大なお金も、私だけにくれた。
その愛を断り、ネフェルタリ様だけを見続けると言っておきながら結婚したのだ。
シン様に伝えることが自分なりのけじめ。
「…ムトナ?」
「……はっ。」
「気を悪くしたの?ゴメンね?」
「違います!謝らないでくださいませ。」
「…だったらどうしたの?急に難しい顔して俯いちゃって。」
「…わたくしは…シン様にお会いしなくてはなりませぬ。…カエムワセト様との結婚をシン様だけには言っておかなくては。」
「……なぜ?」
「…わたくしの言動の不一致は、きっとシン様の心を抉るでしょう。たとえ恨みを被ろうが罵声を浴びせられようが、わたくしは受けなければなりませぬ。カエムワセト様の妻であると述べることで、わたくしの心もシン様の心も峻別されます。」
それを聞くと、ネフェルタリ様は優しく微笑まれた。
「…そうね。それにお前の心はカエムワセトにあるのだから。聞いたところでは、感情が宙に浮いたままの別れだったようだから、あなたが解決せねばならぬことだわ。」
「……はい。」
「行ってらっしゃいムトナ。話して分かってもらいなさい。」
「はい。」
「カエムワセトのことも考えて、早目に解決してきなさい。…場所は知ってるの?」
「いえ。…ただ、あのお方はきっと、わたくしが皇太子殿に戻れたとお気付きでしょう。この辺りを散策していれば、いずれお会いできると思います。」
「……そうだ、おじさんにお薬は渡せたの?」
「はい。何度もネフェルタリ様への感謝を述べられ、ナツメをたくさん頂きました。ただ今、調理して参ります。ハチミツ漬けや煮物をお作りしましょう。」
「本当?直ぐに持ってきてちょうだい。おじさんへのお礼を考えておくわ。」
「畏まりました。」
突然話を変えられてからは、ネフェルタリ様はシン様に触れることはなかった。
私の答えにくいものを答えさせ、これ以上は聞き出せぬと思ったんだろう。
その気遣いは、心暖まるものがあった。
話が済んだら報告しようと心で思った。
後宮での仕事を終え、カエムワセト様と自分に当てがわれた部屋へ戻ると、カエムワセト様が横になっておいでだった。
(…顔色が優れない…)
目を伏せて動かないカエムワセト様の顔色は、少し蒼白だった。
気分が優れぬかと思い、額に手を当て熱を測ろうとすると、手首を掴まれ組み敷かれた。
「何奴!?……え!ムトナ!?…あれ…?」
「…寝惚けておいでですか?ムトナですよ。敵ではございませぬ。」
「…すまぬ…大丈夫か?」
「はい。ただ今戻りました。遅くなり申し訳ございませぬ。」
頭を掻きながら私の手を引き起こしてくれた。
寝惚けてたところを見られ、バツが悪いご様子。
クスクス笑うと、ご自分の行いをご自分でも笑った。
こういうところを見ると、カエムワセト様がいかに気を張って日常を過ごしているかが分かる。
ネフェルタリ様は、私の姿を見れば気が休まるとおっしゃっていたが、それは違うと思う。
第一、私はそんな立場ではない。
「…ムトナ?どうした?」
「何でもございませぬ。お疲れのご様子ですね。食事を準備して参りますゆえ、もう少し横になられては?出来次第お呼び致し……!」
話していると、急に前が暗くなった。
少し遅れて思考が追い付く。
私はカエムワセト様の懐にいて…抱き締められていた。




