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我が身を案ずることなかれ  作者: 水嶋つばき
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喉が乾いた。

水が飲みたい。

お腹も空いた。

眠たい。

内から出る欲求を抑え、昼も夜も馬を走らせた。

シリアを出るまでは油断できない。

この地を治めるために、幾度も戦ってきたヒッタイトとエジプト。

先代王の敗北で、ムルシリに支配権を取られてしまったため、シリアは敵国も同然。

十分注意を払いながら馬を走らせた。


そして、来たときより半分の時間でエジプト領土へ到着。

すると直ぐに目に入った兵。

その多さは、マリンダ様があれから行動を起こし進言してくださった証拠。

終結した軍の数は、見てきたヒッタイト兵と同じくらいの数だ。


「!!」


遠目で分かる、一際大柄な男性と、その隣に控えるもう一人の男性。

いつも側で見ていた光景そのまま。


「おい!止まれ!!」

「何奴!!ヒッタイト人か!!」


真っ直ぐ馬を走らせていると、途中の兵士たちに槍を向けられる。

そこで自分の格好に気付く。

すっかり忘れていた。服はヒッタイトのままだった。

誤解されるようなことをしている自分が悪かったのだ。

でも、どうしてもお伝えせねばならない。

構わず走り続けた結果、とうとう槍で馬が倒れ、私も地面に投げ出された。

同時に剣や槍を持った兵に四方を囲まれる。


「わたくしはエジプト人です!」

「嘘をつくな!お前の格好はヒッタイトのものではないか!」

「わたくしはエジプト人です!!そこを退いてください!!ラムセス様ぁああ!カエムワセト様ぁああ!!」


大声を出して暴れ、この騒ぎに気付くように仕向ける。

そしてこちらへ向かってきたカエムワセト様。


「何の騒ぎだ!」

「はっ!…ラムセス様に向かって突進していた怪しい奴を捕らえました!」

「怪しい奴?」

「エジプト人を名乗っていますが、ヒッタイトの格好をしております!」

「連れて参れ。」


後ろ手に腕を拘束されながら、馬上のカエムワセト様の前へ連れていかれた。


「その方、面を上げよ。」


顔を上げ、カエムワセト様の目を見た。

直ぐにお気付きになられたのか、一瞬目を見開いた。

カエムワセト様の肩越しに、ラムセス様がこちらへ向かってくるのが見えた。


「お前たち、離してやれ。」

「カエムワセト様!?」

「戦争前の怪しい人物を見逃すのですか!」

「うつけ者!!男のなりをしているが、こいつは女だぞ!女が戦争に行くものか!!」

「え!女!?」


それを聞くと、拘束を解かれ自由になった。

すると、カエムワセト様の後ろから声が落ちてきた。


「…ワセト。何事か。」

「はっ。この女が、どうやらヒッタイトからエジプトへ入ったようです。どうされますか。」

「私が尋問しよう。テントへ連れて参れ。」

「はっ。」


カエムワセト様が私の腕を取る。

フラフラになりながら立ち上がり、大きなテントの中へ入った。


「…この…跳ねっ返りがぁああ!!!」

「!!」


テントに入ると、部屋中に響いた怒号。

カエムワセト様は肩を揺らせてクスクス笑っている。

どうやらラムセス様は、私だと見破っているご様子。


「ワセト!水と食事を。フラフラじゃないか。」

「はっ。」

「ら…ラムセス様!お待ちを!」

「分かっておる。お前、よっぽどの情報を持ち帰ったのであろうが。だがその前に、お前の身体を癒す方が先だ。」

「ラムセス様!」

「言うことを聞かぬか!…お前の今の姿を見れば、ネフェルタリが悲しむぞ。」

「……ッッ!!」

「いい子だ。大人しくしておれ。」


カエムワセト様と同じ手口で私を黙らせた。

見上げれば、してやったりと得意顔。

以前と変わらないその顔に、戻ってきた実感、そして安堵の息が漏れた。

食事前に身を清め、服も着替える。

並べられた料理を口に詰め込み、水をたくさん飲み干す。


「…俺はお前じゃないんだから逃げないぞ。ゆっくり食え。」

「んっ…んんーー!」

「……何を言っているか分からぬわ。」


このお二人に見られながらの食事は緊張すると言いたかったが、この場から離れる気はないご様子なので諦めた。

自分の食事が済み、上座でワインを飲んでいるラムセス様の前へ行きひれ伏した。


「…腹は満腹になったか。」

「はい。過分のもてなし感謝致します。」

「…お前、今の今まで俺の目を掻い潜り、どこで何をしていた。ずっと捜していたぞ。」

「わたくしは卑しめられた身でございます。」


怪しい雰囲気。直ぐに断ち切り、戻れという命令の前に言葉を繋げる。


「それよりラムセス様。斥候のことはお聞きでしょうか。」

「聞いた。締め上げてみたが、お前の情報以外に話すことはなかったゆえ、始末した。製鉄法のことは衝撃だったぞ。」

「……………」

「それ以上か?」

「憶測ですが。」

「申してみよ。」

「まず、わたくしはここを出て北へ向かいました。ダマスカスにて、ヒッタイト軍が集結しております。」

「ダマスカス?…やはりか。お前の勘が当たったなワセト。」

「恐縮です。」


どうやらカエムワセト様が予想していたらしく、それを驚くご様子はなかった。


「兵は約一万。ネルガルの使者旗とガル・メシエデイ旗を掲げた本格的な遠征軍です。」

「ムルシリの親征軍か。アルザワは掌握してこっちに集中したらしいな。」

「そのようですな。」


ヒッタイト帝国の西にあるアルザワ。

ムルシリ2世は、自国領土権を拡大するため、西国アルザワに仕掛けていたのだ。

そして、アルザワとは属国となることで決着をつけた。


「ダマスカス平原にて、軍の鍛練する様子を見て参りました。ラムセス様。ヒッタイトは戦車に三人の兵を配し、戦車戦に備えておりました。」

「…三人だと?」

「はっ。」

「有り得ない!そんなことをすれば、次々に戦車が潰れるだろ!」

「そこに鉄が生かされているのではないかと。」

「鉄が?…なるほど、そうか!」

「ラムセス様、ムトナの見たものが本当ならば、ヒッタイトの戦車は車軸や車輪を強化したのでしょう。」

「三人…戦略を立てねばならぬな。」

「兵ももう少し増やしましょう。」


ヒッタイトもエジプトも、態勢は整っていると言っても過言ではない状況。

持ってきた情報は、カエムワセト様が戦略を立てラムセス様が実行される。

それで不利な状況は少しは回復しただろう。

自分の成すべき次の行動は、戦の間の国の安定化を図ること。

急ぎテーベに戻り、セティ様の正規軍を纏め注視するよう進言し、それから戦況の噂のうち悪いものを抑えていくことだ。

会議を始めたラムセス様とカエムワセト様に気付かれぬよう少しずつ後退し、気配を消してテントを出た。


「…しまった!ワセト!ムトナは!!」

「あっ!!…申し訳ございませぬ!直ぐに捜して参ります!」

「あの跳ねっ返りが!まったく!!…もうよい!ムトナは後回しだ!」

「御意。」


お二人の叫び声が聞こえ驚くが、優先するべきことをご理解しているために見逃されて胸を撫で下ろす。

ラムセス様の次のご命令は分かっている。

ネフェルタリの側近に戻れ

これしかないだろう。

そんなことは出来ない。

私がネフェルタリ様のお側にいると、批判されるのが分かっている。

それを直接告げられることだけは避けなければ。

私がただ一心に思うネフェルタリ様。

忠節を誓い、すべてを捧げると誓った女神。

ラムセス様が寵愛されし女神が皇太子妃の冠を戴くその日が来るまで

そして、ラムセス様がファラオとなってエジプトを統べ、その隣に皇后陛下として冠を戴くその日が来るまで

あなたのためにラムセス様を全力で支えます。

その思いを胸に

再度馬を走らせた。

急ぎテーベに戻り、王宮へ向かった。


(…ダメだ!遅かったか!)


戦が始まると、不安になった民は食料を求め王宮へ押し寄せる。

それが制限されると、民の不満が爆発し内戦が起こる。

近衛隊でありファラオ正規軍でもある方々が王宮を取り囲み、時に強行手段を取ってそれを制圧していく。

エジプトは毎回こうなる。

それもそうだろう。

国庫を開かない皇太后がいるために、ラムセス様が頭を悩ませているのだ。

これもラムセス様がファラオとなったら、こういうこともなくなるだろう。

それまで忍耐して欲しいという願いを込め、王宮前広場へ足を進める。

王宮が近付くにつれ集結する民の数も多くなる。

人混みを掻き分け、王宮の正門の前に到達した。

これじゃ、訪問客の部屋までも辿り着けない。


「下がれ!!下がるのだ!!」


門の前では既に暴力沙汰になっている。

民も必死だが、近衛兵も必死だ。

その時、広場を見下ろしている兵に混じって、アメンモセ様が立っているのが見えた。


「アメンモセ様!!アメンモセ様あああ!!」


しかし、いくら叫んでも集団で叫ぶ民の声の方が大きく、アメンモセ様まで自分の声が届かない。


「兵隊様!わたくしはアメンモセ様にご用があって参りました!!どうか門をお開けください!」

「下がれ!!ここは開けられぬ!!」

「お願いします!!」

「ダメだ!!下がれ!!」


それもそうだろう。

門を開けた途端に、王宮内に民が流れてしまう。

門を特例で開けることなど出来ない。

アメンモセ様の協力さえあれば直ぐに入れるのに、声が届かぬなら意味がない。

この騒動を鎮圧するために、アメンモセ様も必死で市長としての任を果たそうとしている。

どうすればいいのかさえ分からなくなってきた。

その時だった。

アメンモセ様の隣に現れた一人の女性。

アメンモセ様と軽く言葉を交わすと、欄干の上に立って民を見下ろした。

両手を広げ、民を制止するような形をとったまま突っ立った。

民は誰も気付かない。

だが、しばらくすると一人…二人…とその様子を眺めるものが出始める。

突っ立った状態で長い時間が過ぎた。

頂点にあった日が傾くほどの時間。

それでもその形はとられたまま。

民の声が静かになっていき、ついに、広場にいる民全員が注目した。

それを見て、ゆっくりと手を下ろされた。


そして。


「我が名はネフェルタリ!将軍ラムセスの妻である!民よ聞け!!我が夫は勝利のうちに戻ってくる!日々お前たちのことを一心に思い動いてきた我が夫が、お前たちの声を聞き逃すはずもない!約束しよう!食料危機になる前に国庫は開けられる!お前たちが苦しむ姿を、我が夫は望んでおらぬ!今は家へ帰り、お前たちの家族を守るのだ!お前たちを守るのは我らの役目!どうか感情を収め、今すぐ帰られよ!」


言葉が止まると、民の一人がこう叫ぶ。


「偉い貴族のお前に何が分かる!!民の苦しみの何が分かるんだ!!」

「そうだ!俺らは生きたいだけだ!!」


その一言で民の火がつく前に、ネフェルタリ様は再度声を張り上げた。


「ならばお前たちは私の苦しみが分かるのか!戦場へ向かって帰る保証がない夫の無事を祈る苦しみが分かるのか!お前たちのために命を張って戦っているのだ!」


それを聞いた民は言葉を失い、再度静寂が訪れた。


「戦争で苦しむ者はお前たちだけではない!国そのものが苦しむのだ!戦争へ向かった兵の無事を祈り、勝利を祈ることが、ここに残された者のやるべきことではないのか!その祈りはエジプト兵に届き勝利をもたらせる!このような騒動で命を落とすものがいる事実を、我が夫は悲しんでおいでだ!お前たちの食料が底をつく前に国庫はわたくしが責任をもって開けさせよう!だから家に戻るのだ!守るべき家族を守り、今まで通り生活せよ!!」


実際、ネフェルタリ様の声が聞こえた者は王宮の近くにいた人たちだけだろう。

しかし、次第に言葉は後方へ伝えられていく。

戦意喪失したように、チラホラと王宮に背を向けるものが増え始める。


(…お見事です…ネフェルタリ様…)

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