7-1
「あ、女がいる!」
「女だーー!」
明るい子供たちの声で目が覚めた。
あれから日が暮れ、宿で眠るよりは野宿を選んだ。
寝入った頃に万が一ラムセス様が捜し当ててしまうのではないかと警戒したからだ。
あんなことを聞けば誰だって警戒する。
木々が立ち並ぶ場所へ行くと、枝が平たく広がっている一本の木を選び登る。
その上にうつ伏せになり、片足だけ落ちないように枝に引っ掻け目を閉じた。
疲れが溜まってたのか、眠ってしまったらしい。
「あ、起きた!」
「生きてた!」
笑いながら走っていった子供の背中を眺めながら、昨日あったことを思い出す。
すると、その子たちが数人の兵に呼び止められた。
何だろうと見ていると、子たちは私の方を指差し何かを話しているではないか。
(…何だろう?…危険な気がする…)
ラムセス様の私兵にしては軽装備。
だが、カエムワセト様の話を考えると、ラムセス様が私を捜していることは明らか。
しかも、連れ戻そうとされている。
ネフェルタリ様の心情を考えれば、そんなことは出来ない。
もしもを考えて逃げよう。
「…あ!逃げたぞ!」
「女!待つのだ!!」
やはり自分を捜していた兵。
捕まってたまるかと逃げる。
だが。
「いいところに!その女を捕らえよ!怪しい!」
「本当か!分かった!」
行く手を塞がれ挟み撃ちになった。
(4…8…12…14人!…無理か…!)
前後合わせて14人の兵。
さすがの私でも相手は出来ない。
大人しく命令に従い、走るのをやめて兵が集まるのを待つ。
「なぜ逃げるのだ。何かやましいことでもあるのか。」
「このように兵が急に追い掛けてきたら、怖くなりましょう。」
「…そうだが…まぁいい。お前に聞きたいことがある。」
「何でしょう。」
「お前の名は?」
「ヤンと申します。」
「ヤン…ね。お前、赤池の獅子の話を聞いたことはあるか?」
「……!」
「…反応したな?おい!こいつで間違いないだろう。連れていけ。」
「お待ちください!どこへ行くのです!」
「我々はラムセス様家臣、カエムワセト様の私兵だ。カエムワセト様がお前をお呼びだ。」
…どういうこと?
昨日の今日で何があったんだ?
…まさか約束を破った…?
いや、カエムワセト様が約束を破る人じゃないことは自分がよく知っている。
昨日だって、私が言葉を渋ったため、カエムワセト様ご本人から約束を口に出したんだ。
ラムセス様には伝わっていないはずだ。
色々と考えながら連れられた場所は、ナイルの畔にある原っぱ。
ネフェルタリ様と一緒に時間を過ごし遊び語った思い出の場所。
私の大好きな場所で、いつしかラムセス様とカエムワセト様も加わって、楽しい思い出しかない場所。
似たような場所があるなら、自然と足が向くほど。
「…カエムワセト様…」
「お前がヤンか?」
クスクス笑いながら私を見下ろしたカエムワセト様の足許にひれ伏した。
「ヤン。お前のやらなければならないと言っていたことは、急を要するものか?」
「……はぁ……」
いきなり主旨が分からない会話になり、曖昧な返事をした。
ヒッタイトへ向かおうと思っていたのだから、急と言えば急。しかし、ゆとりがあると言えばそうかもしれない。
「何だ。その曖昧な答えは。」
「も…申し訳ございませぬ…」
「つまり、急ではないということだな?」
「まぁ…そう捉えても良いかと…」
「そうか。…こちらへ。」
兵から離れた場所へと導かれ、会話が二人しか聞こえないほどの距離を開けた。
「…ムトナ。お前に頼みがある。」
「頼みですか?」
「ああ。ラムセス様の皇太子即位に関わる重大な案件だ。」
「なぜわたくしに…?」
「暇そうだったからな。」
「…は?」
「冗談だ。」
またクスクス笑ったカエムワセト様。
からかっておられるときの少年のような顔は、昔と変わらない。
だけど、すぐ真剣な顔になった。
「…お前のことだ。現在、私やラムセス様が多忙であることは承知していよう?」
「はっ。」
「実はな、お前と別れて直ぐにラムセス様と王宮へ向かった。その際にセティ様より賜ったものがあった。それの確証が欲しい。」
私を捜していた。
兵との距離。
…要するに、この事を知っているのはラムセス様とカエムワセト様、そして私だけ。
国を揺るがすほどの情報で、誰にも悟られることなく確かめろと言っている。
「私もラムセス様もテーベから動けぬのだ。誰か信頼できる人物を考えたところ、お前が頭に浮かんだ。内密の命令だ。ラムセス様は私にお任せになったが、私が確かめに行くのは戦の後になる。それでは遅いのだ。
…他言せぬ口の固い信頼できるお前が適任。どうだ。やってはもらえぬか?」
「二つ、確かめたいことがございます。」
「何だ。」
「この件、ネフェルタリ様は?」
「知らぬ。」
「そうですか。
…二つ、ラムセス様とセティ様は内通されたのですか?」
「…内通とは?」
「ラムセス様の口癖が頭を過りまして。」
王宮に味方はおらぬ
毎日のように呟かれていたラムセス様。
セティ様に賜ったということは、セティ様は皇太子即位をラムセス様にとご所望なのか疑問だった。
「なるほど…そういうことか。
内通というより、昨夜呼び出された。その際に確信した。」
「確信とは?何かございましたか?」
「何かあったのではない。言葉により確信した。王宮のことはご自分が制されるゆえ、ヒッタイトに集中せよと。その後、これを賜った。見てみよ。」
そう言われ、手渡された巻物。
開き見て言葉を失った。
「…驚いただろ?」
「…はっ。」
「私もラムセス様も同じだ。」
「しかし真なれば国の大きな財産ですし、ラムセス様が日頃から訴えておいでだった民の貧しさも解決なさいます。」
「ああ。」
「セティ様は何ゆえご自分で使わずラムセス様に託されたのでしょう?」
「それは存ぜぬ。とにかくお前がそこへ行き、これが真の情報なのか確めて欲しいのだ。」
「私しか出来ぬことでしょうか。」
「お前以外は考えられぬ。」
「…畏まりました。このムトナをお遣わしくださいませ。」
「…頼んだぞ。」
私は素直にその任を受けることにした。
ラムセス様が皇太子となりファラオとなる。
それに欠かせない財力。
衰退していくエジプトを守り立てていくのに必要なもの。
ラムセス様ならば、その財を間違った方へ使わないはず。
そして、即位されたらネフェルタリ様は皇太子妃として迎え入れられ、喜びに満たされるだろう。
ネフェルタリ様のためになると結論に達すれば、断る理由などない。むしろ、喜んで受けるべき任務だ。
「ときにムトナ。赤池の獅子を持ち出した私も考えたであろう?」
「…カエムワセト様!その話、もう忘れてくださいませ!」
またもクスクス笑ったカエムワセト様は、膝をついて私と同じ目線になった。
「お前をからかおうと画策したお二人が、池に落ちようと演技したところに、お前は助けようと飛び込んでいった。結局三人とも池に落ち、赤い夕日が勇ましいお前を映しているとして例えられたラムセス様のお言葉。
…今でも同じように勇ましいお前だ。」
「カエムワセト様…」
カエムワセト様は手を差し伸べられ、恐る恐る手を乗せた。
暖かい手に包まれ、ゆっくりと立ち上がる。
懐からお金と短剣を出し、私に手渡される。
「…これは必要ありません!頂けませぬ!どうかお戻しください。」
「一度出したものは戻せぬ。受け取れムトナ。」
「いいえ!わたくしは持っておりますゆえ。」
「…強情な娘だな。」
「今に始まったことではございませぬ。」
「……………」
「……………」
私が強情だと言うなら、カエムワセト様だって強情だと言いかけて言葉を飲み込んだ。
少しの睨み合い。その後、カエムワセト様が溜め息を吐いた。
「ならば、男を立てると思って受け取れ。」
「……う!…………お断りします!!」
思わぬ発言に一瞬戸惑った。
しかし、策に違いないのは明らか。
断りを入れた瞬間、お金の入った袋と短剣を私の足下に落とし、踵を返して歩き始めた。
慌ててそれを拾いカエムワセト様の背中を追う。
「カエムワセト様!これ!」
「どうした?ヤン。…ああ、拾得物か?ならばお前のものだ。持っていけ。」
…やられた!と思ったときには遅かった。
大勢の兵の前で押し問答をするなど、威厳に関わることをさせてはいけない。
ニヤリと私を見下ろしたカエムワセト様。
「…分かりました。頂きます。」
「それでよい。……最初からそれだったらさらによい。」
「…申し訳ございませぬ。」
「謝ることはない。お前の性分ゆえしょうがないだろう?」
…最早、ぐうの音も出ない。
本当にこのお方は、瞬時にして様々な案を考える知略を持っておいでだ。
これがダメならそれ、と。
「ヤン。」
「はっ。」
「道中気を引き締めよ。どんな輩がいるか分からぬ。警戒を怠るな。」
「はっ。」
「必ず無事に帰国いたせ。良き報告を待っているぞ。」
「はっ。」
「ただし、絶対に無茶はするでない。ラムセス様もそうまでして得たいとは思っておらぬ。自力で国を建てる力をお持ちの方だ。確認よりお前の命を優先せよ。」
「……………」
「…ヤン。返事はどうした。」
「……はっ。」
「それでよい。私との約束だ。私もお前との約束は守った。お前も必ず守るのだぞ。」
私の身を案じていると強調されるように言われ、しょうがなく了承した。
自分の命をここまで大事に思ってくれた人間が、ネフェルタリ様以外にいただろうか?
…言葉は違えど、ラムセス様のお屋敷を離れてからは、そういう人間にたくさん会えた気がする。
いや、自分が気付いてないだけかも知れない。
「カエムワセト様のお言葉、ありがたく頂戴致します。常に胸に刻み、違えぬと誓います。」
「そうしてくれ。」
去り際、極上の笑みを浮かべたカエムワセト様。
その背中に向かってひれ伏し、馬の蹄の音が消えるまで頭を下げ続けた。




