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我が身を案ずることなかれ  作者: 水嶋つばき
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「申し訳ございませぬ!!カエムワセト様…」

「もうよい。」

「わたくしは……わたくし……」

「お前のことだ。ネフェルタリ様を思い、ラムセス様の御為になればネフェルタリ様が安らぐと思ってこのような行いをしているのだな?どれ程の時間、あのお二方と共にお前を見てきたと思っている?

…元気な顔を見せよ。ムトナ。…お前の罪はもう許されている。臆するな。」


ゆっくり顔を上げると、カエムワセト様が笑顔になった。


「その布を取ってもよいか?」

「ダメです!カエムワセト様もご存知でしょう?わたくしは見せられる顔ではございませぬ。」

「よい。見せてみよ。」

「ご勘弁くださいませ。行き交う舟の多いこのナイルで、カエムワセト様ほど有名なお方を知らぬものはおりますまい。このような下女と共にいるところを見られでもしたら、カエムワセト様、そしてラムセス様のお名まで堕ちてしまいます。」

「…まったく…昔からそうだが、お前は自分を卑下し過ぎだ。どうにかならぬのか。」

「元々身分のない者ゆえご勘弁くださいませ。」

「…まぁよい。ここまで私と剣を交えて動けるのだ。身体は健勝だろう。」

「はい。カエムワセト様もお元気そうで何よりでございます。」


久々に言葉を交わしたカエムワセト様。

ドキドキ胸が高鳴るのを抑え、船内に入った。

カエムワセト様に促されて床に座る。

少しの沈黙後、カエムワセト様が口を開いた。


「さっきも聞いたが、昨日の賊はお前だったのか?」

「…はい。ご無礼かとは思いましたが、ラムセス様とカエムワセト様ならわたくしのメッセージをご理解くださると思いました。しかしながら、姿を晒すなど出来ず、あのような形にてお伝え致しました。」

「お前は相当な情報網があるらしいな。」

「そんな。滅相もございませぬ。」

「嘘をつくな。…私が近衛隊に配属となったと聞いたのであろうが。だからラムセス様を動かしたのだ。…ラムセス様は私の作戦を好まれぬ。それはそなたも昔から存じておろうが。」

「……………」

「私が死ぬとでも?」

「カエムワセト様!そのようなお言葉はお慎みくださいませ!カエムワセト様は死んではならぬお方です!ラムセス様にとって必要不可欠のお方。」

「ハハッ!お前らしいな。」

「あなた様とて、ご自分の価値を卑下しすぎでは?自ら毒矢に刺されようとするのは、あまりにも軽いお考えです。」

「それ以外の道はなかったのだ。」

「…それはどういうことでしょうか?」

「私とラムセス様が罠に掛けられたと気付いたときには、道が弟君たちの方へ拓けていたのだ。ファラオ勅命だというお達しに、急を要すると付け加えられていた。しかも、ファラオ印まで押されていたものだったから、ラムセス様も私も事実確認せずに信じていた。

…私の不徳の致すところだ。帰国したら混乱状態で、ラムセス様は生死の境をさ迷っておいでだった。」

「…なんと自己中心的な…!!」

「弟君たちを止めるしか方法を考えられなかったのだ。今やテーベでさえ、瀕死状態だったラムセス様の力量を疑う輩も出てきているからな。」

「そのような状態で…よくも立て直しましたね。テーベはラムセス様の支持者がたくさんいるように推察しましたが。」

「なぜそう思う?」

「今朝、ラムセス様の舟を追っていた際、川道を開けることに対して文句の一つも聞こえなかった。それに、川岸では民が平伏しておりましたゆえそう思いました。」

「さすがだ。全快されたラムセス様は、直ぐに行動なさったからだ。首都を潤すことは国が潤う序章と申され、エジプト友好国との国交を再開された。そして、奴隷への待遇改善を意見し、より良い労働環境は金を産み出すと大臣たちを説き伏せられた。」

「…す…凄い…」

「まだあるが、これくらいにしておこう。残りはエジプト全土の民のみ。しかし、ヒッタイト軍が動きを見せているため、テーベを動けなかったのだ。だからこそ、近衛隊へ申し出、私が内側から制圧しようと作戦を提案した。そういうときにお前が現れた。」


つまり、カエムワセト様もテーベから動くことはできない状況だったわけだ。

ラムセス様の相手は、戦争上手なムルシリ2世の親征軍。

皇帝自ら指揮を執り、エジプトを脅かせる最も警戒すべき敵なのだ。

様々な戦略を立て、綿密な話し合いと準備を要する。

ラムセス様はご自分のことより国と民を優先されたため、弟君たちの処理をカエムワセト様が執り行っていたんだ。


「風の噂で聞いた。民がハンダブアメラーム様への疑心があると。

…ムトナ、お前はどんな魔法を使ったんだ?」

「魔法など…ただ、本当の話をして民を納得させただけでございます。」

「イチャつき夫婦、聞き覚えは?」

「ございます。」

「…お前か?」

「はっ。」

「ということは、お前にはやはり大きな後ろ楯があったんだな。…そいつがお前の情報網だ。」

「………はっ。」

「…誰だ?」

「そのお方を守りたく。」

「申せぬと?……ああ、なるほど。ラムセス様に虚偽の申告をしているのか。お前のために。」

「………はっ。」


アメンモセ様は近しい方ゆえに必ずお守りしなければならない。

ラムセス様への虚偽申告は極刑も考えられる。

アメンモセ様だけではない。あのお屋敷にいる全員が私を信じてくれた。

私も裏切ることは出来ない。


「ムトナ。」

「申し訳ございませぬ。たとえ口が裂けても信頼を裏切ることは出来ませぬ。」

「ムトナ、先ほどの私の言葉を忘れたか?」

「え?」

「私は主に嘘をつくとまで言ったのだぞ?ここでの会話が漏れることはない。舟から降りた瞬間、すべてが夢になるのだ。他言はせぬゆえ申してみよ。」

「…ッッ!…しかし…!!」

「本当に強情な奴だな。…では、当てて見せよう。正解ならば素直に言うのだぞ?」

「……はぁ……」

「よし。約束だ。お前を補助してくれた人物は、…アメンモセ様であろう?」

「……んなっ!!」

「ハハッ!分かりやすい答えだ!」

「カエムワセト様!なぜ…!?」

「アメンモセ様が近頃ラムセス様の屋敷に出入りすることが多かった。今考えれば、ラムセス様やネフェルタリ様の近況を探り、お前に教えるためであろう。加えて、アメンモセ様の屋敷には、従者が買い込んだ一級品が大量に運び込まれていると聞いていた。商人として民の中に溶け込んだお前の行動と合わせて考えれば、必然的にわかるだろう?」


開いた口が塞がらない。

さすがはカエムワセト様。


「…お……恐れ入りました……」

「私を甘く見るなよ?ムトナ。お前も頭は回る方だが、お前にはまだ負けぬぞ?」

「勝ち負けの問題ではございませぬ…」


してやったり!と笑い飛ばされた。

本当にどうなってるんだろう?この方の頭は。

回転が速いだけじゃない。正確すぎる。


「まぁよい。お前の協力者があってこそのお前の命だ。そして、ラムセス様の皇太子即位を決定付ける仕掛けをしてくれたしな。ラムセス様が聞いたところで処罰されることはないだろう。」

「カエムワセト様!」

「分かっている。言いはしない。」

「はぁ…心臓に悪い…」

「些細なことであたふたするなど、可愛い一面もあったのだな。右往左往するネズミのようだ。」

「誉められた気になりませんよ…それ…」


カエムワセト様にからかわれて、ちょっと恥ずかしかったけど、お屋敷を出てから今までの私の張りつめた心が和んだ気がした。

「よくやった」と誉められてる気がした。


「…して、今後はどうするのだ?」

「…考えてるのは一つございます。」

「屋敷には戻らぬ気か?」

「戻らぬではなく戻れませぬ。」

「お前の罪は許されていると申したではないか。頑なに拒むな。」

「いいえ。たとえ許されたとしても、ネフェルタリ様の前に行けますまい。しかしわたくしはネフェルタリ様と共にあります。」

「ラムセス様もお前をお捜しだ。とても心配しておいでだぞ。お前を引き留めなかったと大層悔やんでおいでだった。」

「……………」

「お前を思い、毎晩泣き暮らしたネフェルタリ様を見てはいられなかったのだ。妻の大事なものを捨てたのはご自分だと、あの気丈なお方が涙を流されたのだ。だから申しておるのだ。罪は許されていると。」


私の知らないお二人のすれ違い。

ネフェルタリ様を思って、私を怒り鞭打ったラムセス様。

それを知らぬネフェルタリ様は、遣い先に出した私が死したと聞いたとき、ラムセス様をお怨み申したはずだ。

事実を言えぬ苦しみをラムセス様は味わった。

泣き崩れるネフェルタリ様。心が遠ざかった気がしたはずだ。

……心の純粋な優しいお方。

侍女一人をここまで愛してくださる。

だからこそ私は業火の中でも深海でも行ける。


「わたくしのせいで、お二人が涙したのなら…尚更戻れませぬ。…心が痛いのです。」

「お二人が癒してくれよう。力及ばずながら私も癒そう。」

「…申し訳ございませぬ。…やらなければならないことがございます。」

「…私が頼んでもダメか?」

「はっ。」

「ラムセス様のご命令ならば?」

「カエムワセト様からの情報がなければ、今まで通りにございます。ラムセス様、ネフェルタリ様を見ながらも、遠くからお守りして生きますゆえご心配には及びませぬ。」

「分かったよ。もう何も言わぬ。」


息を吐きながら、舟の外に目を移された。

私は頭を垂れながら、その沈黙の時間を過ごす。


「…旦那様。宜しいですか。」

「何だ。」

「間もなくテーベに入ります。」

「そうか。では、街に着く前の船着き場にて一度停めよ。」

「畏まりました。」


どうしたのだろうと思いながらその会話を聞いていると、カエムワセト様が説明してくださった。


「…この舟で見張ると進言してきたのだ。私が行動するときは、よどのときしかないとラムセス様もご存知だ。」

「…あ!」

「恐らく、街の船着き場にてラムセス様は私を待っているだろう。緊迫した状況ゆえ、小さな懸念も対処しなければ命取りになる。私の報告を待っているはずだ。お前はここで降りた方がよいのでは?」

「ありがとうございます。そうさせていただきます。」


どうやら私のための寄岸。

その言葉に甘えることにした。

私を降ろすと、ゆっくり動き始めた舟。

膝をつき、ひれ伏してカエムワセト様を送った。

その時だった。


「……ムトナ!!面を上げよ!!」

「!!」


顔を上げると、見たことのないほどの笑みを浮かべておいでだった。

何だろう?と、聞き耳を立てる。


「一つ言い忘れたことがあった!」

「何でしょうか!」


少しずつスピードに乗り始めた舟上から叫ばれるカエムワセト様。

声を張ってそれに答えた。


「昨夜の賊の話だ!」

「はい!それが何か!」

「旦那様は賊の目星をつけているご様子だった!お前との約束は必ず守る!だが、覚悟を決めておいて損はないだろう!それだけ言っておくぞ!」

「…なっ!!」


…カエムワセト様は最後に爆弾発言をして行ってしまわれた。

…だからあの笑みだったのか…計画的だ…

しかし、目星をつけていると?

…どうするべきか…

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