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我が身を案ずることなかれ  作者: 水嶋つばき
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5-3

「……………」


瞬間、古傷が疼くように痛んだ。

自分が出た場所。

そこは、かつてラムセス様から鞭で打たれた拷問部屋だった。


(ここに…出てくるのか…)


いつもはラムセス様自室前から出入りしていた秘密の通路。

地下牢へ通じるとは聞いていたが、実際どこに通じるかは知らなかったからだ。


(感傷に浸ってはいられない!)


火を消して、燃え残った松明を砂の中へ埋める。

そして地上へ出る階段を登り、扉の前で外の様子を伺う。


(人の気配は……ない)


今の時間帯的に、見回りの兵とラムセス様、ネフェルタリ様自室前に数人の見張り以外、起きている人はいない。

しかし、私は知っている。

数時毎に起きて、様子を自分の目で確かめるカエムワセトさまを。

自分自身もそうだったから。

そのためか、私もカエムワセト様も眠りは浅い。

少しの物音で起き上がれるほど。

ゆっくりと扉から出ると、侍女たちの部屋がある方へ向かう。

調理室の片隅に腰を降ろし、矢を一本取り出す。

棒の部分に、パピルスに書いた手紙を結ぶと、弓の弦を張る。

準備が出来ると、回り込んで中庭の奥へ身を潜める。

正面に見えるは、ラムセス様の寝室。

警備に立つ人数は全部で15名。

つまり、ラムセス様はご在宅で現在は睡眠中だ。

見張りの動きを確かめながら待つこと数時。


「…変わりないか。」

「はっ。」


やはり現れたカエムワセト様。

直ぐに弓を引き、狙いを定めた。

警備の間

カエムワセト様の目の前

そしてラムセス様の扉へ

気付けと言わんばかりのありったけのメッセージを込めて矢を放った。

ラムセス様に鍛えられた矢の腕は今でも衰えずに身に付いている。

狙ったまさにその場所。綺麗に射ることが出来て、直ぐ側の木に登り始める。


「誰だ!曲者!!」

「カエムワセト様!後ろへ!!」

「退け!この屋敷に矢を放つとは」

「お待ちを!!カエムワセト様!!」

「何だ!」

「矢に何かが…パピルスですね。」

「…矢文か?寄越せ。」


暗闇と木の葉に姿を隠し様子を見ていると、騒ぎを嗅ぎ付けたラムセス様がお姿を見せた。


「何事か。」

「ラムセス様。この矢文がお部屋に刺さりました。現在賊を捜しますゆえ、」

「待て。それを見せろ。」

「はっ。」

「…敵鎮圧は時を待て。優先すべしは辺境。開戦前に足で見るべし」

「……な?」

「どうやら只者ではないな。しかし敵ではないだろう。」

「お待ちを。罠とは考えられませんか。」

「…ワセト。お前はこの意味が分からぬか。」

「……………」

「おい!警備に伝えよ。賊は逃がしておけ。」

「はっ。ただ今。」


警備兵がバタバタと四方に散り、ラムセス様とカエムワセト様だけがその場に残られた。


「それで?お前の見解はどうだ。」

「私はあらゆる方面から考え、それをラムセス様に申し上げるまでです。」

「戯言は要らぬ。この文が我が部屋の扉に刺さったこと、それからお前を待って射た事等考えても、俺に対する挑戦ではない。こいつを射た奴は、お前と俺に行動しろと伝えたかったんだ。」

「…………はっ。」

「どうやら、我々の状況をよく把握しているようだな。」

「王宮の誰かでしょうか。」

「まさか。俺の味方は王宮にはおらぬ。それはお前もよく存じておろうが。」

「…調べますか?」

「いや、必要ない。こいつはまた現れる。それまで待てばいい。

……要求通り辺境に出向こう!それでよいな!!」


大きな声で叫ばれたラムセス様。

その言葉は私に対して向けられたもの。

近くで聞き耳を立てていたとバレていた。

その返答として、もう一度矢を放つ。

狙った場所はラムセス様の足下。


「ハハッ!やはりまだいたか。…まぁいい。」

「ラムセス様!捕らえないのですか!」

「足下に矢を放つなど、殺意がない表れではないか。しかも我が屋敷に忍び込むなど、決死の覚悟で来た奴だ。お前の心配もしている賊に、俺が刃を向けられまい。もうよい。中に入れ。」

「……はっ。」

「賊よ!さっさと逃げろよ。警備に捕まっても助けはせぬぞ!」


カエムワセト様からも逃れられるよう、自室に連れていかれた。


(ありがとうございます。ラムセス様)


出ていく前に、ネフェルタリ様の部屋に向かって頭を下げ、それから屋敷を脱出した。

ラムセス様に伝わった。

後は、その様子を見守り、再度噂を流すだけ。

これでカエムワセト様が王宮へと向かわれることもなくなる。

なぜならば、弟君たちが流された噂そのままをラムセス様が実行されたとあらば、私とホウジュが旅して流した噂が民に証明されるのだから。

エジプト全土の支援を受けるラムセス様になる。

誰がどう言おうが、皇太子として異議を申す者などいなくなる。

無事に脱出するとナイルの畔に向かい、そこでひと休みする。

懐かしい雰囲気に、懐かしい匂い。

あの場所で暮らし、ネフェルタリ様と過ごした日々を思い出していた。



「ネフェルタリ様…どうかお守りください…」


たくさんの人を傷付けた私の罪は消えない。

ラムセス様やネフェルタリ様。

カエムワセト様にも、ネフェルタリ様への嘘を言わせた。

お母さん。

とても親切に私を受け入れてくれたのに、目的を達成したらさっさと去ってしまった。

シン様やホウジュ。

こんな私を愛してくれた。

みんなの許を去り、苦しめた罪。

それらを背負って生きていかなければ。


「……おい!大丈夫か?」

「!!……!?」

「あ、起きた。良かった。こんな場所でどうした?」

「あ…ちょっと疲れて…ウトウトしてて…」

「女のくせに不用心な奴だな。」

「すみません…」


既に明るくなっていて、私が寝ていた場所は船着き場の側だった。

でも、まだ明けて間もない。

太陽の位置は、その全体が見えたばかり。


「すみません。船頭さんですか?」

「ああ。この船は俺のものだ。」

「今日、船をチャーター出来ますか?」

「いつ頃だい?」

「まだ分からないのですが。」

「うーーん。今日はいつ船が出せるか分からないからね。うんとは言えないな。」

「え?どういうことですか?」

「上からのお達しだ。どうやらラムセス様が上エジプトに向かわれるとか。ラムセス様の船が河路優先だ。それが過ぎたら船を出せるだろうな。」


ラムセス様は即決してくださったらしい。

どこまで見に行かれるのか定かではないが、後を追っていけば私も行動しやすい。


「おじさん、買った!今日は私の貸し切りにしてもらえる?」

「いいぞ。」

「じゃ、また後でここに来るね。」


とりあえず船を確保し、ラムセス様のお屋敷近くで見張る。

お屋敷の様子はちょっとだけ騒々しい。

舟の点検をしている数人の人と、荷物を運び込んでいる侍女たち。

直ぐ側には、櫂を手に待機する乗組員。

ラムセス様は用意が出来次第、直ぐに出発されそうだ。


(…しかしなぁ…)


ラムセス様の所有している舟は軍用の舟。

大きさも違えばスピードも違う。

慌てて船着き場に戻り、おじさんに聞いてみる。


「おじさん!この舟は、スピード早い?」

「嬢ちゃん。おじさんを舐めちゃいけないよ?そこらの舟より早く走るさ。」

「じゃあ、軍の舟より早く走る?」

「……うぐっ!…それは無理だ。」

「アハハ!正直なおじさんだね。」

「何だ?軍の舟と追いかけっこでもするのか?」

「ちょっと近いかも。」

「まったく。何を考えてるのか分からない嬢ちゃんだな。」

「ない頭捻って考えてるよ。…ね、人を増やせばスピード出る?」

「まぁね。あと5,6人いれば…」

「5,6人?分かった。ちょっと待ってて。」

「ちょっと待て!嬢ちゃん!」

「え?」

「まさか、誰か連れてくる気かい?」

「うん。」

「ダメだよ。櫂を動かす呼吸が合わなきゃ逆に遅くなっちまう。他から連れてきても無駄だ。」


…あ、そうか。

舟には漕ぎ手のタイミングがあると聞く。

それは船頭によって多少のズレがあり、タイミングによってスピードも違ってくる。

浅はかだったと落ち込んでいると、大笑いして見下ろしていた船頭さん。


「嬢ちゃん、本当に分かりやすい子だな!」

「…え?」

「ワシの部下を休みなく働かせるわけにいくまい。漕ぎ手ならいくらでもいる。だが、ちょっとだけ高くなるぞ。それでもいいか?」

「……!!うん!ありがとうございます!」

「じゃ、ここでちょっと待ってな。直ぐ近くに住んでるから。」

「お願いします!急いで!」


結局おじさんが揃えてくださって、みんなが船着き場へ来てくれた。


「オヤジ、この子か?」

「そうだ。」

「お前、貴族か?舟を一人でチャーターするなんて、どこのもんだ?」

「お。かわいい娘だ。」

「お…おじさん!答える必要ないよね?」

「ない。コラ!お前らお客さんに根掘り葉掘り聞くとは無礼だぞ!」


…ちょっと警戒したが、珍しい客にちょっかい出してきてるだけらしい。

…と、目の端にものすごい早さでこちらに向かってくるものを捉えた。

黒い船首、金の縁取り、茶の船体。


(ラムセス様の舟だ!!)


「おじさん!あの舟!」

「…ええ!!あれはラムセス様の舟だ!追い付けねぇよ!」

「んーー。頑張って!!」

「そんな簡単に…」


舟が出せるのは、優先権が解除されてから。

つまり、ラムセス様の舟が目の前を通過した瞬間。


「…ええい!こうなりゃ自棄だ!準備しろ!」

「オヤジ!本気かよ!!」

「嬢ちゃんが頼んでる!限界まで頑張るさ!」


風と一体化したように颯爽と通りすぎたラムセス様の舟。

同時におじさんの舟も動き出す。


「スピードに乗るまで手を緩めるな!」


おじさんの声に誰もがおう!と言って気合いを入れた。

しかし、さすがはラムセス様の舟。

どんどん遠くなっていき、米粒くらいの大きさになってしまった。


「どうしよう…」

「大丈夫さ。」

「え?」

「追い付けはしないが、米粒くらいから小さくならないだろう?こっちもスピードに乗ってる証拠だ。」

「……あ!!」

「船頭は目がいいんだ。今日は天気もいいし、あれから目を離さないから安心しな。中で寛いでるといい。」

「ありがとうございます!」

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