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我が身を案ずることなかれ  作者: 水嶋つばき
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5-2

ラムセス様にお聞きしたことがある。

ラムセス様にお仕えする斥候が、普通の軍より少ないのはなぜかと。


『斥候は好まぬ。敵地に少数で行くなど、殺してくれと言っているようなものではないか。私は部下の命は大切にしたい。この時世で甘いと笑われても構わぬ。

……しかし情報は不可欠。ゆえに、私の使用する斥候は、すべてが立候補だ。強制ではない。』


そんなお方が腹心の部下を行けと命ずるはずがない。

カエムワセト様が強引に事を進めているのだ。


「アメンモセ様。着任はなさったのですか?」

「まだだ。遠征と同時に…とお考えだ。」


ラムセス様は今ごろ、悩んでおいでだろう。

カエムワセト様がその策を押し切るとなれば、これ以上ない防御となる。

しかし、ラムセス様の懐刀。弟君たちは一番厄介で消し去りたい人物。

毒殺でもご自分で手を下すことも出来るほどの近さに位置する場所に向かわせるのだ。

行かせたくないと言おうが、カエムワセト様は行くだろう。


(…良いときに帰ってこれたかも)


「……ムトナ。」

「…はっ。」

「もしや、ワセトを止める手段を考えてるか?」

「お任せくださいませ。」

「まったく…この跳ねっ返り娘。それも言えぬと申すか。」

「危険ゆえ。状況をお見守りくださいませ。」

「ならばホウジュを連れていくがよい。」

「いえ。これからは一人の方が動きやすいのでそうさせていただきます。それに首都では、ホウジュ様の顔見知りも多いことと存じます。それこそ無事にここへお返し出来ぬ事態になってしまうかもしれませぬ。そうなればアメンモセ様まで非難されます。それは絶対にあってはなりませぬ。」


丁寧に断ったが、数回繰り返された押し問答でやっと納得していただいた。


「それで、いつから行動を?」

「再戦間近ならば、直ぐにでも行動した方が良いでしょう。…今夜向かいます。」

「そうか。気を付けていくのだ。定期的にここへ報告に来るのだぞ。私に出来ることは何でもやろう。」

「…はっ。ありがとうございます。旅の出発前から多大なるご親切、わたくしは一生忘れませぬ。このご恩は必ずお返しいたします。」


少し寂しげな表情を浮かべながら、ご自室へと入って行かれた。



(まずは準備を整えなきゃ)


筆、インク、パピルス、弓矢。

とりあえずはそれだけで十分。

客室に戻りながら、手に入れるべきものを考えていると、カーテンの後ろからホウジュが出てきた。


「…行くのか?」

「うん。いろいろありがとう。楽しかった。」

「…俺も。…それで?必要なものは?」

「え?いいよ。自分で揃えるから。」

「俺たち、さっきまで一緒に旅してたろ。つまり今日までは俺たちはパートナー。遠慮するなよ。今までだってリーダーのお前に従ったろ?何でも言えよ。」

「…じゃ、甘えちゃおうかな。」

「ああ。何が欲しい?」

「私が引けるくらいの弓矢。…手に入れられそうかな?」

「任せとけ。直ぐに持って帰ってくる。」


ホウジュの表情が、あまりにも消沈していたために、つい甘えてしまった。

別れが辛いと物語っていた。

ホウジュが出ていってる間、ザフナテパネア様を呼び出して客室まで来ていただいた。


「お呼び立て致しまして申し訳ございませぬ。」

「よい。面を上げよ。」

「はっ。」

「私に話か?何用だ?」

「これをお渡ししたくて。」


この旅で得たお金と宝石類を見せた。ザフナテパネア様はそれを驚き見た。


「こんなに…どうしたのだ?」

「我々の旅は本当に潤っていた毎日でした。それもすべて、アメンモセ様のご慈悲、そしてザフナテパネア様の目利きによるものと心得ております。ホウジュ様とも話し合い、これらをアメンモセ様への感謝として献上致したく、ザフナテパネア様にお頼み申し上げます。」

「…そうか…それで良いのか?自分への褒美は取っておくがよい。」

「…私は生活できるお金さえあれば十分でございます。

…ただ、我が儘を一つ。」

「何だ?」

「今回、ホウジュ様には大変助けていただきました。感謝の気持ちでいっぱいでございます。アメンモセ様やザフナテパネア様よりの褒賞金を彼に差し上げてはもらえないでしょうか。」

「…なるほど、お前からとは言うなと?」

「はっ。ここからほんの少しだけでもよいのです。信頼していらっしゃるお二人からの褒美ならば、喜んで受けるでしょう。」

「…もしや、断られたか?」

「……………」

「はっはっはっ!あれはこういうものは受け取らぬ。一番喜ぶのは食であろう。」

「…し…食…ですか?」

「そうだ。王宮で食べるような珍しいものや、他国の食には飛び付く奴だ。それらをこの金で買い、ホウジュに振る舞おうぞ。それでよいか?」

「お心次第でご采配願います。」

「そうだな…もしくはお前だ。」

「…え…」

「お前を差し出せば、より一層喜ぶのでは?」

「……………」


さすがはアメンモセ様の側近。

鋭い目は、数ヵ月前ここで初めてお会いしたときと同じ。


「…わたくしはやらねばならぬことがございます。ホウジュ様もご理解くださいました。」

「未練の残る恋をさせたな。ムトナ。」

「申し訳ございませぬ。」

「…アメンモセ様がおっしゃっていた。お前を扱うのは難しいと。男が寄ってくる器量や美貌を持っていながら、男にまるで興味がない。その毒牙に嵌まったら最後、抜け出すのには時間が掛かる。と。」

「…毒牙?…わたくしはそのようなつもりは!」

「分かっておる。それほど魅力的に育ったとおっしゃっていたのだ。ホウジュのことは私に任せておけ。お前に負けず劣らずの女を捜しだしてやろう。」

「ありがとうございます。安心いたしました…」

「用とはそれだけか?」

「はっ。…あ!タラプガエラムハ様にお会いしました。」

「タラプガエラムハ様?お元気でいらしたか?」

「はい。いろいろ助けていただきました。詳細はホウジュ様にお聞きくださいませ。」

「そうだな。では、珍味でもてなしながら聞き出すとしよう。ムトナ、ご苦労であった。ホウジュのことは心配するな。気を付けて。」

「はっ。ありがとうございます。」


深々と頭を下げて感謝を述べ、その背中を見送った。

入れ替わりにホウジュが戻ってきた。


「…ザフナテパネア様に言ったのか?」

「うん。アメンモセ様とザフナテパネア様にって。これでよかったんだよね?」

「ああ。…これ。」

「弓矢…ありがとう。」

「試し打ちしてみな。」

「うん。」


通常の弓より一回り小さい。

軽く引いてみると、手に馴染む。

的を作り矢を放つと、寸分の狂いなく的を射た。


「さすがはラムセス様の家臣。弓は得意だったか?」

「毎日のように特訓されたから。」


弓の名手として名高いラムセス様。

弓だけでなく剣術やただの殴り合いでも、その術を私に伝授していき、ネフェルタリ様をお助けせよと常におっしゃっていた。


「…他は揃えられたか?」


「大丈夫。」


机に向かってパピルスに手紙を書く。

インクが乾くと丁寧に折り畳み、懐に仕舞った。

その様子を黙って見ていたホウジュ。

私が立ち上がると同時に声を掛けた。


「ムトナ。頼みがある。」

「…何?」

「一度でいい。抱き締めていいか?」

「…ホウジュ…」

「これで最後にする。分かってる。だから最後に一度だけ…」


未練の残る恋は、こういうものか。

拒否を拒否し、最後まで抗う。

端から見ればカッコ悪すぎる。

でも、当事者になって分かる切ない思いの溢れ。

さらに未練を助長させると思い断ろうとして顔を上げた。

目をギュッと閉じ、身体全体に力の入っているホウジュが月明かりに照らされていた。

…ホウジュにはたくさん助けてもらった。

本当に楽しかった旅だった。

私が彼に出来ることは、彼の最後の望みを聞くことだけかもしれない。

ゆっくり近付くと、ホウジュの前に立つ。

まだ目を閉じているホウジュは、私が目の前にいることを分かってない。

コツン!と、ホウジュの胸に額を当てた。

瞬間、身体が大きく動いた。

どれくらいの時間だろうか。

ただ、ホウジュの心臓が激しく動いているのを感じているだけ。

そして、時間をかけてゆっくり私を抱き締めた。

演技以外、初めて触れ合った。

大きく包まれた私の身体。

暖かいホウジュの腕の中は、男を感じさせる。

私自身安心してホウジュに抱き締められていた。


「…ムトナ…ありがとう。…俺、やっぱり忘れられないかも…」

「もう!ホウジュったら。最後にするって言ったくせに。」

「いいだろ!俺の心は俺のものだ!」


ホウジュは最後までシン様と同じ台詞を言った。

これが男心というものだろうか?

そして、皮袋一つに荷物をすべて入れ、立ち上がる。


「ありがとう、ホウジュ。やって来たことは必ず報われる。私、頑張ってくる。」

「ああ。気を付けてな。」


別れ際、どちらともなく再度抱き締め合い、目に光るものを溜めながら、アメンモセ様のお屋敷を後にした。

暗くなって大分時間が経ち、家々から漏れる蝋燭の光も少なくなった。

長い葦の茂みに隠れ、皮袋の中から黒い服を取り出して着替えた。

時折人の通る姿が見える。

懐かしいラムセス邸。

門の前には、絶えず火が灯された松明。

そこの門番は二人。

様子を伺いながら、ゆっくり近付く。


「……誰だ!!」

「物音がした……って、ただの野犬か。」

「驚かせやがって。ほら、あっちに行け!」


小さな物音でも聞き逃さない訓練された門番は了解済み。

ここから入るわけもない。気付かれずに侵入する絶好ポイントは、門番の横にある川沿いの壁。

ナイルは毎年氾濫する。

ラムセス様のお屋敷は、氾濫に備え壁が高く造られている。

誰も侵入できない場所。

でも、ごく近い存在の人間数人しか知り得ない絶好の場所がある。

非常時のみ開かれる秘密の通路。

その入り口は、聳え立つ高い壁の根元、ナイルに潜り込んだそこにあった。

皮袋の口を固く閉じ、葦の茂みから壁までの数十メートル、波を立てぬように泳ぐ。


(確か…ここら辺に……あった!)


手探りで扉を見つけ、思いっきり引っ張る。

ゆっくりと開かれたドア。音を出さないように慎重に中へと入る。


(こういう場所をホウジュに知られるわけにいかないんだよね…)


頑なに断ったのは、こういった事情もあった。

信じてないわけではないけど、もし、ここの存在がふとしたミスでバレたなら、ラムセス様の信頼厚い方々に申し訳が立たない。

ラムセス様は、恐らく存在を知るすべての側近たちを裏切り者と見なし斬り棄てられる。

無論、その中にネフェルタリ様も含まれるのだ。


(…侵入成功!)


通路の中に入ると、まずは皮袋を水から上げ、新しい皮袋に移し替えて濡れた方はそのままナイルへ流す。

乾いた布の上に立ち、自分の濡れた服も流すと、身体の水滴を拭う。

新しい服に着替えると、布も流して証拠隠滅。

水から上がった形跡がないのなら、侵入が見付かったときに調べられても、そこからではないと判断される。

そして火を起こし、手に収まるくらいの小さな松明を作って奥へと進む。

五段ほどの階段を登ると、人一人が通れるほどの小さな扉。

そこからまた階段を登り、道が二手に別れる。

左はラムセス様自室前の暖炉へ。

右は地下牢へ。

迷わず右へと足を運び、人の気配がないことを確認して、これまた人一人が通れるほどの小さな扉を潜り抜ける。

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