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「ネフェルタリ様!お待ちください!」
「ムトナ!こっちよ!早く!」
「ネフェルタリ様!!」
私の名はムトナ。歳は12。
幼き日より、貴族家臣としてお仕えし、同じ歳のネフェルタリ様の女官として2年になる。
姉妹のように仲良く、一番の親友。
そして、我が主。
「ネフェルタリ!」
「…あ…!も、申し訳ございませぬ!御前に出るなど…!」
「良い。面を上げよ。共にあの跳ねっ返りを捕まえてくれぬか?」
「はっ。畏まりました。」
背後から現れた人物にひれ伏し、恩情深きお言葉でお許しをいただいた。
現れたこのお方は、王子殿下のラムセス様。
お二人は、1年前に御両親ゆかりの地で出会われ、それ以来、仲むつまじくお過ごしであらせられる。
運命のような出会いでした。
燃えるような日の昇ったエジプトは、灼熱地獄と化す。
ネフェルタリ様が木陰で休んでおられたとき、その木の上から落ちてきた少年。
それがラムセス様。
『きゃああ!!』
『いってーー…』
『ネフェルタリ様!こちらへ!誰だ貴様!』
『おいおい。怪しいもんじゃねぇよ。』
『名を名乗れ!』
瞬間、目に飛び込んできたのは、王家の紋章。
『ご!ご無礼を!申し訳ございませぬ!
わたくしはどうなっても構いませぬ!何卒このお方だけのお命はご容赦くださいませ!』
足許にひれ伏し、せめてネフェルタリ様だけはと許しを乞う。
『構わぬ。元はと言えば、俺が木の上で寝てたのが悪いんだ。…お前も罰することはしないから面を上げよ。』
貴族に対する無礼な振る舞いは、極刑と決まっていた。
だが、このお方は許してくれた。
『……………』
と、急に黙り込んだ殿方。
顔は伏せつつ、目だけで確認すると、ネフェルタリ様にお目を奪われているご様子。
そうだろう。
ネフェルタリ様は、優れた美貌の持ち主ゆえ愛らしき者の意味を持つネフェルタリと名付けられた。
『…娘、お前の名前は?』
『ネフェルタリと申します。』
『ネフェルタリ…そうか。俺はラムセス。』
『ラムセス…様…?…お…王子殿下!!』
『はっはっはっ!』
ネフェルタリ様は、ここで初めて目の前の方が王家の者であることを認識された。
キリッとした顔立ち
人間とは思えぬほどの長身
武将として既に名高いラムセス様との出会い
初めは恐れおののき、言葉を交わすのもやっとだったネフェルタリ様。
しかし、ラムセス様は毎日のようにネフェルタリ様の元へ通われ、その明るい太陽のような笑顔と優しい人柄に心を開いていった。
『…ねぇ、ムトナ。』
『はい。』
『ラムセス様は、今日は来られるかしら?』
『ええ。姫様がお望みになられたら、ラムセス様はお越しくださいます。』
『どうしよう…ドキドキしてきちゃった…』
お二人はこうして愛を育み、現在に至る。
「ネフェルタリ!コラ!このおてんば娘!」
「きゃあ!ラムセス様!いつの間に!」
「今来たところだ。元気にしていたか?」
「はい。戦勝、おめでとうございます。ご無事で何よりです。」
「ああ。ありがとう。」
笑顔いっぱいのネフェルタリ様。
14歳になって軍を纏めるまでに成長されたラムセス様は、戦の度に最前線に立っている。
そのご帰還は、ネフェルタリ様にとって涙を流すほどのこと。
「…ムトナ。少し遠出がしたい。」
「はっ。どちらへ?」
「知らん。」
「…は?」
「とにかくどこでもいいんだ!行きたい。」
「…畏まりました。ご用意致します。少々お待ちくださいませ。」
「ああ。馬も引け。」
こういうところは、ラムセス様の横暴なところであり、愛情でもある。
長期に渡り、寂しい思いをさせてしまった謝意を行動で表す。
二人の時間を大切にされる。
ラムセス様はネフェルタリ様を本当に愛してくださっている。
お二人を見ていると、いい雰囲気にこちらまで優しい気持ちになる。
「…ムトナ。」
「カエムワセト様。」
「お互い、あのお二人の側近は疲れますね。どこにいかれるか分かりゃしない。」
「でも、ラムセス様とカエムワセト様がご一緒だからこそ、ネフェルタリ様もわたくしも安心なのでございます。
カエムワセト様も、戦、お疲れさまでございました。ご無事で何よりです。」
「ありがとう。…さ、我々も行こうか。」
「はい。」
カエムワセト様はラムセス様の腹心の部下。
後に賢者カエムワセトを攻略出来ねば、ラムセスは倒れぬと言われるほど、エジプト第19王朝でなくてはならない人である。
「ネフェルタリ様。お召し替えを。」
「…え?…あ、そうか。馬に乗るものね。ラムセス様、少々お時間を頂いて宜しいでしょうか。」
「よい。」
「ありがとうございます。ムトナ、行きましょう。」
「違う。召し替えずともよいと言っている。」
そう言うと、ネフェルタリ様を抱いて同じ馬に乗せられたラムセス様。
それを見て呆れ顔のカエムワセト様が可笑しくて、クスクス笑ってしまった。
カエムワセト様や私がいようと関係なく、ラムセス様とネフェルタリ様はお二人の世界に入る。
お互い以外、誰もいない。
お互い以外、見れない。
触れて、愛を語らい、キスをして、想いを確認。
「ラムセス様…お会いしたかったです…」
「俺もだ。やっと戻れた。」
「傷など召されませんでしたか?」
「少々の傷など、戦いには付き物だ。」
「わたくしは、夜も眠れませんでした。心配で心配で…生きてご帰還されて…涙が止まりませんでした…」
「…そんなに?」
「え?」
「そんなに俺が恋しかった?」
「やだ…ラムセス様!」
「ほら。言って。ネフェルタリ。」
「…はい。恋しかった…」
「俺もだ。お前が待っていると思って、必死で戦った。父上が考えていた以上の早さで戦勝を掴んだんだ。」
「本当ですか?」
「ああ。俺には…お前だけだ。」
このエジプトに、ここまで愛を語り合う王家の者がいるだろうか。
愛のない結婚を繰り返し、近親結婚を繰り返し、ただ権力と名声欲しさに利用された王家の者。
ラムセス様は、今までのファラオとはひと味違う感じがしていた。
知略に長け、武将としての力もある。
金に対する欲もなく、人望も厚い。
親や家に頼るのではなく、自分の力でファラオの座を狙っている。
「なぁ、ネフェルタリ。」
「はい。」
「俺は王家の王子だ。いずれ、皇太子の座を兄弟と争い、ファラオの座を兄弟と争う。」
「はい。」
「その時に必要なものはなんだと思う?」
「必要なもの?」
「そうだ。」
王家には王家の困難な状況があると言う。
崩御した先代のファラオたちは、その権力争いに呑まれ、暗殺されたファラオもいると聞く。
少年王と呼ばれたツタンカーメン王も、毒殺ではないかと噂されていた。
つまり、エジプトでは誰にも気を許せない。
特に王家では。
国外にも国内にも、命を狙われるのだから。
ラムセス様の心の中はきっと不安だらけだろう。
こうしてネフェルタリ様とお会いになるのも、心の安らぎを得るため。
「ラムセス様。わたくしは、ラムセス様のご心痛は計り知れませぬ。申し訳ございません。」
「…そうだろうな。謝らずともよい。」
「はい。…ラムセス様はそのままのラムセス様で良いかと存じます。」
「どういうことだ?」
「力もファラオには必要でしょう。強き力は弱き者を征していける。しかし、上に立つものはそれだけでは長続きしないと思います。」
「……続けよ。」
「…人は人の心に惹かれるものでございます。あなた様のお持ちになる愛情こそ、民には必要なのです。」
「…心に…」
「他国には強き力が必要でしょう。しかし、民には愛情が必要なのです。必要とあらば、あなた様は行動されるお方。必ずや、良きファラオに即位されます。」
「そう思ってくれるか?」
「はい。知略はそちらのカエムワセトが。軍事攻略は軍の4師団が。殿に控えるは、才知行動に長けたラムセス様が執り行うでしょう。軍事に関してエジプトは安泰ですね。」
「……………」
「国民の心は王妃様にご指導願いませ。あなた様の妃になられるお方は、あなた様の愛を一心に受けられるでしょう。そこから民へ注ぐ愛情を学び、心に惹かれる治世を治めれば良いのです。
……出過ぎた物の言い方、ご無礼をお許しくださいませ。」
(…すごい…ネフェルタリ様…)
我が主、ネフェルタリ様を改めて尊敬できる言葉だった。
貴族の娘は、それなりの政略結婚の道具とされることが多い。
だからこそ、娘には物心ついたときに婚姻は諦めだと教えられる。
ある程度の教養を強いられるも、精進する者はごく一部のみ。
あとは権力ある立場で自由奔放に生きる。
しかし、ネフェルタリ様はしっかりと物事を把握しておられる。
自国の不安定さ、他国からの侵略、王家に必要なものや、押すべき時と退くべき時を弁えておいでだ。
少しの間を開けて、ラムセス様が口を開いた。
「ネフェルタリ。」
「はい。」
「我が后は、愛情を持てると言うか。」
「はい。ラムセス様が愛をお持ちですから。」
「そうか。…お前はそれでいいのか?」
「…ラムセス様は、これから王妃様やご側室を持たれます。わたくしが口を出す権利はございません。」
「お前の気持ちを聞いている。お前はそれでいいのか?」
「申し上げられません。…わたくしはいずれ、政略婚をする身。蔑まれた者です。」
ネフェルタリ様のとても切ない気持ちが流れているようで、直視できないほど胸が痛かった。
すると、ラムセス様がクスクス笑い出して、とうとう涙を流された。
「ら…ラムセス様!なぜ笑うのです!」
「本当に鈍感な奴だ。」
私の隣にいるカエムワセト様も笑っていて。
私もつられて笑ってしまった。
「みんなまで!…もう!」
「悪い。…まったく呆れた娘だ。」
「なっ!…もういいですわ。ムトナ!帰りましょう。」
「待てよ。話はまだ。座って。」
「……何でしょう。」
「俺は、俺の理想があるんだ。
今のエジプトは荒れている。豪遊するだけの無能なファラオだったジジイどもが最悪な爪痕を残して消えた。父上が頑張っているが…まだまだだろう。
…俺は俺の生まれ育った祖国を豊かにさせ、そして屈強な国にしたい。」
「……はい。」
「そのために必要な人材は、俺の手元で俺が育てた。残るは妃のみ。」
「……はい。」
「俺を支え、時には国まで支えられるような賢い女。それを求めてきた。」
「……はい。」
「ネフェルタリ。俺の妃になってくれぬか。」
「………………はい!?」
「お前が言った愛情は、俺がお前にやるから。お前は俺に愛情を教えてくれ。」
「ら…ラムセス様…?」
「お前は俺の妃だ。ネフェルタリ。よいな。」
ナイルのほとり、穏やかな時間だった。
翌年、盛大な催しと共に婚礼の儀が執り行われた。
この時、ラムセス15歳、ネフェルタリ13歳。
若き二人は、通常のような政略的なものではなく、愛し合って結婚できたカップルだった。
近隣諸国の王室や貴族たちを迎え、盛大に開かれた婚儀。
そうしてラムセス二世は、その生涯を通じて愛したと言われるネフェルタリを妻に迎えた。
第一王妃、ネフェルタリの誕生である。




