第5話:生活魔術士見習い、森に入る
お待たせしましたー……モニュモニュ。
「ごめん、私は攻撃魔術使えないから戦力にならないんだ……。でも、ドノバーグの町まで送ることはできるし」
セキは落胆した。やはり攻撃魔術を当てにされていたらしい。
魔術士といえば、火、水、風、土の4属性攻撃魔術を使い、派手に戦うイメージがあるのだろう。ミカーゴ村からは出たことはないカケルだが、蔵書の冒険物語でよく詠われるのは属性魔術で戦う呪言魔術士が多いことからも一般のイメージが推測できる。
申し訳ないと繰り返すカケルに、セキはあからさまな落胆の態度を取ってしまったことに気づいて慌てて謝った。
「魔術士様に出会えたからこそ、まともに歩けるまで回復する事ができましたし、無駄足をせずに済みました。一番近いドノバークの町へ伝達の鳥で救援の連絡をしたはずですが、届かなかった事は仕方ありません。今度は直に助けを求めればきっと、衛士を派遣してくれるはずです。町まで宜しくお願いします……!」
早速出発しようとするセキにカケルは小鍋を片手にウエストポートから金属板を出しつつ待ったと声をかける。
「今更だけど自己紹介。私はマルス・リングソーの弟子の魔術師見習いのカケル・リングソー。カケルって呼んで。こっちはモエギ。習得魔術は紋章魔術専門。生活魔術ならまかして!!」
「生活……魔術?」
立ち止まって振り返るセキを横目に、カケルは小鍋の上にカードをかざして発動させた。カードの下に薄らと霧が出現する。ゆっくりと霧が集まり雫がポタンと落ちた。「空気が乾燥してるから少ないな……」とカケルがぼやきながら魔力をカードに送り続けると霧の塊から小雨が小鍋に振った。
「これが生活魔術。日常生活を楽に豊かにする魔術の総称ね。今使ってるのはカードに刻紋した脱水術。水袋の水を補給するために空中の湿気を集めて抽出してる。あまり集められないみたいだけど、今はしょうがないか」
水をじょうごで水袋に注ぎ、道具を仕舞う。部屋の隅に立てかけた弓と矢筒をセキに渡す。
「食料も自分の分しかないし。弓が使えるなら獲物を獲ってね」
「ではノエの森に入りましょう。狩猟で歩きなれていますし、賊から身を隠しながら近づいて、村の様子を確認できます」
「森かぁ。地元の民とモエギ居るし。了解ー」
一行は廃村を後にした。
セキは矢筒を背負い弓を手に先頭を。
カケルの横にモエギが尻尾を揺らし並ぶ。
廃村を振り返った。
空は風に流されてきた千切れ雲で溢れた。陽が届かない雲陰に、廃村と荒地が溶けて見えなくなっていた。
道を外れて進む。同じ荒地でも随分様変わりするものだ。
背の低い野草が紫、黄、と一斉に咲き誇って涼しい風に揺れている。
その先に、森の影が海原に浮かぶ島のように現れた。ノエの森だ。
森としては小規模ながらも、村に恩恵をもたらしてくれる。狩猟の獲物、木の実、野草、木材。村で見込みのある者はノエの森に入る猟人となる。森で歩く術、獲物を狩る弓の腕、森の主を避ける知識を叩き込まれる。セキは故郷の森の事を弾むように話す。戻ってきたことで、少し安堵したようでもあった。
「森の主?!」
ノエの森の前で、カケルはギョっとした。思い切り不吉な用語だと思った。
「はい。ノエの森の動物の頂点に立つ魔物で、ジャイアント・レッドスパイダー、通称赤主と呼ばれています。巣は森を移動しますが、近づいて巣糸に触れない限り大人しいですよ」
「セキは猟人だし、赤主を避ける方法とかもちろん……?」
「心得てるつもりです。しかし巣に掛かる猟人も全く居ない訳ではなく……数年前にも……」
「なんでそげな事、言うのー!!」
カケルは大声でセキの声を遮って睨んだ。これからその森に入るというのに気力を削がれるのはごめんだ。セキはため息をついた。
「脅してるように聞こえるかもしれませんが、心して欲しかったんです。森に入ったら、珍しい草が生えていてもどうか足を止めて私から離れないように。赤主の巣は地面に掘られた穴の上に作られますが、見つけにくい巣もありますから」
カケルに噛んで含めるように諭す。カケルは苦い表情で目を反らした。荒地を歩いている間にも、立ち止まり、ウロウロし薬効の有る草を摘んでいたのだ。
「喰われたくないし。分かったよ……」
森の植物に興味津々だったようだった。
ふてくされながらリュックを漁り、金属製の柄と頭部を組み立て始めた。
「ハンマー? 細くて脆そうで武器にはなりそうにも……」
怪訝な顔で作業を見つめるセキに、念のためだよと答えながら伸縮式柄を伸ばして振った。パーツがしっかり固定されていることを確かめる。頭部の打ちつけ面に、ウエストポーチの金属板を四方についた留め金でパチンとはめた。
「んじゃ行きますか。のんびりしてらんないし」
視界の通る村の周囲の草原を歩けば、見張りの賊に見つかってしまう。ノエの森の中を進み、村の牧場近くまで行き様子を伺う。森は格好の隠れ蓑になるはずだ。
カケルたちは森へ踏み込んだ。
森の中は薄暗かった。
曇天の森の中は背の高い木々の葉が雲灯りを遮って、足元が見えにくく、進む方向を見失いそうだ。
カケルはフカフカした枯葉と小枝を踏みしめ、木々の根と慎重に越え、羊歯をかき分け遅れがちに進む。
モエギが身軽に何度も戻ってきては、カケルの様子を伺う。セキは常に周囲に警戒しながら先導する。赤主を避けつつ、夜になる前に森で安全に野営できる場所まで進まなければいけない。早足気味になったセキに、カケルは何も言わず付いて行った。
「とりあえず、此処で野宿しましょうか」
巨木の側、比較的羊歯が生えていない開けた場所に着いた。
カケルはドスっと腰を下ろしフーと長い息を吐いた。健脚だと思っていたが、プロの足には到底敵わない。水を得た魚だなぁと、セキを見て思った。
「そいえば、森には水場ないの?」
無くても飲料水には困らないが、火照った脚を冷やしたい。顔も洗いたい。
セキは指し示しながら、
「泉が少し先にありますが、足場が悪いので独りで行かないでくださいね? 私は獲物を狩ってきます。ここで野営の準備をして待っていてください」
念を押し、身軽に木々の間へ消えていった。
この時期の森には、冬に備えて猪(森で育つ猪のような動物。気性が荒く、たまに畑に被害が出たりする。森地域の村で狩猟対象になる動物。食肉になる)が活発になるらしい。久しぶりにまともな量の生肉を調理できそうだと期待が高まる。モエギに付いていってもらえば、確実に成果が上がるだろう。モエギに付いて行くよう促す。
「クゥ?」
「うん。半分は心配してくれるのは分かってるよー。だぁいじょーぶ、野営の準備しながら待ってるし」
興味の有る事に、まっしぐらになるカケルを何度も連れ戻した経験のあるモエギは、行っておいでと手を振り野営の準備をするカケルを未練気味に眺め、セキを追って駆けて行った。モエギも久しぶりに大きな獲物の生肉を食べたかったのかもしれない。
羊歯の葉を刈って山盛りにし、槌を打ち付けた。装着した脱水術のカードが輝きジュワっと一気に乾燥した。火種捧で薪代わりの羊歯に火を点け、テキパキと警報術の糸を回りに。セキとモエギが帰るのを待ちながら一晩分の焚き火の燃料を作った。
「むぅ。暇だ」
準備がすっかり終わって、聞こえた夜の虫と鳥の声の回数を数えて待つのもすっかり飽きてしまった。そうなると、暇をつぶすために一番やりたいことは一つしかなかった。
「あー、確か近くなんだよね泉。様子見ならいいよね?」
泉がある方へ歩く。半分心配気のモエギ、独りで行かないでと念を押したセキの記憶は退屈にすっかり上書きされたようだった。
「水辺に珍しい薬草あるかもしんないしねー♪」
あまりこりていない様子でランプと槌を持って立ち上がった。
水の音を目指し、ランプの灯りを頼りに歩くとチャプチャプと音がした。
足場が悪いと聞いていたので、ソロソロ近づくと水の匂いがし、視界が開ける。
そこは湧き水で潤った狭いが深そうな泉だった。溢れた水が小さな沢を作って地面を削って伸びていた。
カケルは沢のほうへゆっくり慎重に回り込んだ。
「やっと洗える! ……ん?」
水に手を伸ばしたとき、ザリっと足音を聞いた。顔を上げランプをかざすと夜の闇の中、ユラユラと揺れながら人型らしきそれは呻いてこちらに手を伸ばした。
「ひっ!」
体が強張りつつ、ソロソロ後ろ歩きで遠ざかろうとした。
熊なら目をそらさずにゆっくりと後退すると良いとは聞いたが、アレは熊じゃなさそうだから見逃してくれるのか分からない。
「ぞ……歩く死体……?」
「あ~~……」
「ぎいやぁー!!」
低く間延びした声を聞いてカケルは絶叫し、ランプを投げつけて怒涛の勢いで退却した。
振り返らずに来た道をひた走る。灯りが無いので木に付けた目印も見えない。ザカザカと腐葉土を蹴って走る音が瞬く間に近づいた。
後ろから灯りが射し、振り返る前に肩を捕まれて躓いた。がむしゃらに振りかぶった槌はあっさり手で押さえられ恐怖で固まる。
「ガアァァ!!」
カケルの後ろからモエギが飛びかかった。悲鳴と足音を追ってすぐ駆けつけてくれたようだ。強靭な前足で押さえられる前に、その人は飛びのいて避けた。
「…………あれ?」
座り込んだまま呟く。
「モエギ!」
シュッと空を切り矢が飛んで、避けた相手の後の木に突き刺さった。
「……やっと会えた、のに」
ボソボソと低い声で話したのは、薄汚れた大男だった。
鎖帷子鎧の上に無紋の藍チュニック(袖無しの膝下まである緩やかな上着)を着て腰のベルトでしめている。ボサボサの青みがかった黒髪で眉間に皺を寄せ仏頂面で暗紫の目を細めてカケルを見つめている。
動けないカケルに手を差し出す。モエギが唸ると引っ込めて、逃げる時に投げつけたランプをカケルの前にそっと置いた。
ガサガサと弓を構えたセキが息を整えながら歩いてきた。
「武器を捨てて、何の目的で近づいたか言え」
そうか、賊かもしれないんだ。
ぼんやりと見つめていると、大男はあっさりと腰に帯びていた剣を地面に置いた。ずっしりとして華美でない流麗な細工を施した鞘に収まったままの長剣だった。
「違う。殺すとか、そんな事は……しない」
「信用できませんね。その鎧も欺くためのダミーもしれませんし」
モエギは唸るのを止めた。隙なく大男を見つめている。カケルはモエギの態度の変化を見てフラリと立ち上がった。
「なんで追っかけてきたの?」
悲鳴を出しすぎ痛めた喉を押さえつつ尋ねると、大男は頭を下げた。
「迷って困っていた。一緒に連れて行ってくれないか? これを預かって……村に」
懐を探る大男の動作に弓の弦をキリリと引き絞るセキに、カケルは待ったと手を上げた。
取り出したのは、羊皮紙で折られた鳥のような物。羽の部分に紋章が描かれている。カケルは男に近づいて羊皮紙を摘まんで凝視した。
「師匠の作った伝達鳥だ」
「それは、村長がドノバーグの町に飛ばした魔法の品です! なぜ貴方が持っているんですか?!」
「預かった。要請を受けた自衛団から。引き受けた……から」
どうやら詳しい話を聞く必要がありそうだと、やっと解れた緊張と体に深く息を吐いた。
「……まぁ、あれだよ。詳しいことは野営地でね」
態度を軟化させたカケルに大男は屈みこんだ。
「怖がらせて、済まない……」
スッと大きくて硬い手が目じりをすくう。少し眉間の皺が薄くなっている。
覗きこんだ大男を見つめて――。
カケルは叫んで槌を横なぎスイングさせた。
剣士登場です。こっちもお待たせしました(笑)
誤字脱字指摘、感想、アドバイスお待ちしてます