「雪女」ナイター
「じゃあ、帰りはバスで近くのバス停で降りるので、これで大丈夫です。ありがとうございます」
遥は時田さんに礼を言った。
「そうですか。もしバスが捕まらなかったら電話してくださいね。迎えに来ますから。今日はこの後結構雪が降るみたいだから…」
時田さんはやや心配そうに言った。
「最悪はタクシーを呼んでそれで帰りますから大丈夫ですよ」
遥は笑みを含んで元気よく言った。時田さんは何かあったら必ず電話するようにと念を押して帰っていった。
「さて!滑りますか!」
「オー!」
「頑張るぞー!」
「夜のスキーも素敵ですね」
東一郎を除く5人は、ナイター設備の整ったゲレンデのリフト乗り場に向かった。
昼間の疲労も残ってはいたが、最後の滑走とあって皆気合を入れて滑り始めた!
夜の雪ははじめ固く圧雪されていたが、降り始めた雪が徐々にスキー場に積もりつつあった。人もやや少なく疎らで皆存分にスノーボードを楽しんでいたのだった。
滑り始めてから1時間もたつ頃には、雪はかなりの量降り始めた。その上風も強くなってきており、時折ナイター設備のあるリフトも止まっていたりした。
20時の時点で、ほぼ吹雪状態になってきた為、リフトの営業停止を5人は知らされた。
「うーん、仕方ない。これはもうどうにもならないね。ちょっと早いけど帰ろうか」
ヤマトは残りのメンバーに声をかけた。
「しょうがないよね。帰ろー」
遥は残念という表情をありありと出しながら言った。
「そうですね。リフトが止まれば何もできませんしね…」
こころがそういうと、皆諦めてレンタルしていたお店に道具を返却に向かった。
「明日、もしこれたら来るかもしれないので、一応キープだけしておいてください」
遥はレンタルボードの店員に、最終日の最後の最後滑るかもしれない事を見越してお願いしていた。
「何か雪がすごくて、車も通れないところがあるみたいだよ。気をつけて帰ってね」
お店の店員さんは5人のメンバーに対して声をかけた。
5人は宿の近くまで行くというバス乗り場まで向かったが、雪が急に降り始めたため、道路状況が悪くしばらくは到着しない見込みと聞かされた。
タクシー乗り場に向かって見たが、タクシーの姿は全く見当たらず、とても待っていられる状態でもなかった。
「うーん、困ったね」
「どうする?歩く?」
「歩くのもちょっと厳しくない?」
「タクシー待ってたらいつになるかわからないよね」
「時田さんを呼ぼう!」
遥はそう言って携帯電話を取り出したが、エマが言った。
「ちょっとこの状況で時田さん呼ぶの、辛くない?」
「でも、しょうがないじゃない。これじゃ帰れないし…」
「時田さんだってこの雪で来るの大変だよ」
エマもユリに賛同したが、ややトーンは低かった。
「うーん、歩いてみるか?」
ヤマトは意を決していった。
「大丈夫でしょうか?あまり無理な行動は取らないほうがいいかと…」
こころは心配げにヤマトに言った。
「そうだねぇ。無理して遭難なんてシャレにならないもの」
ユリはこころに同意した。
ヤマトは正直心のなかで思った。
もしこの場に東一郎がいたら、皆きっと東一郎の言うことを聞くのだろう。だが自分では皆の信頼を得られない。ヤマトの中で嫉妬というか、自分を無視されたような切ない気持ちになった。
「でも、このままじゃ、ずーっとここにいることになるよ。バスやタクシーが本当に来るかもわからないし、もし来なかったらどこで一晩明かすの?」
ヤマトはあまり普段は見せないような強引な言い方をした。
「でも…」
こころが何かをいいかけたが、途中でやめてしまった。誰も何も言わなかった。
「歩く?」
遥は時田さんを呼ぶ事も難しそうだと少し考えいてた。
「だったらすぐにでも行ったほうがいい。このままだとどんどん雪が積もっちゃうかもだし!」
ヤマトの一言で、皆頷くと別荘のある方向へと歩き始めたのだった。
車で10分の距離、歩いて30分と言われたが雪なので1時間位は掛かるだろうか?
5人は誰一人として油断していたり、慢心しているものは居なかった。
だが都会育ちの彼らは、自然の雪の恐ろしさをこの時まだ知らなかった。
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東一郎は一人遥の別荘に残ったのだが、実は目的が2つあった。
一つは温泉を堪能するつもりであったこと。
もう一つはこの宿のワインセラーに入っていた日本酒を発見したことだった。この辺りは水島瞬ではなく、神崎東一郎としてのおっさんの思考が働いた結果だった。
珍しい地元の日本酒を見た東一郎は時田さんに頼み込んで1瓶だけ飲んでも良いという許可をもらっていた。
もちろん皆で一杯ずつ飲むのと言っておいた事と、責任を持った行動をするからという事で納得してもらった。
彼は頑なにナイターに行くことを拒んだし、行くつもりもサラサラ無かった。
そのため5人を見送った直後、東一郎は結構浮かれていた。
まずこの広い空間に一人であるという開放感を楽しみ、ワインセラーから飲んでもいいと言われた日本酒を持ってきた。四合瓶で酒好きの東一郎としては余裕で飲みきれるレベルであったが、水島瞬の身体でどこまで飲めるかは未知であった。
テレビをつけて時田さんが残してくれたツマミを堪能しながら、冷えた日本酒を手にとって眺めていた。それだけで東一郎は幸せな気分だった。
グラスに半分ほど日本酒を注ぐ。
そう言えば、水島瞬としてこの世界で生きてきてアルコールを飲むのは初めてに近かった。正月にお屠蘇を少しのんだが、まるで料理酒のようなまずさの酒だったし、そもそも家族の前で飲んで良いのかも分からなかった。
思わず見入ってしまう位の透明な液体に口をつけてみる。
一口で分かった柔らかい口当たりながら、すっと後味が良い良質の日本酒だった。
東一郎は一気に最初の一杯目を飲み干した。
ふーっと息をつく東一郎は恍惚とした表情を浮かべて夢心地であった。
「くー!言うことねぇなこりゃ…」
満面の笑みと幸福感を味わいながらおっさん丸出しの感想を述べると、酒をまたコップに注ぎツマミをつまんだ。