村上陽喜という担任教師
村上陽喜は最近とても違和感を感じていた。
10年に及ぶ教員生活、色々なことがあった。色々な生徒が居た。
私立高校であるこの学校では転勤というものが無い。同じような生徒、同じような成績、同じような生活を10年続けてきたのだ。
10年も繰り返せば多少は生徒たちのことは分かってくる。
進学校であるこの学校においては、余程無茶をする生徒は居なかったし、問題行動というのもテレビでやるような大きな事件とかは無縁だった。
数学の教師として教員生活10年、これほどまでに違和感を覚える生徒は居なかった。
違和感の正体は一人の男子生徒だ。
それ以前は普通のあまり喋らない、その他大勢の内の一人という位置づけだった。
だが数ヶ月前から明らかに変化した彼に陽喜は困惑を隠しきれなかった。
「せんせー、これ教えてー」
「ああ、いいぞ。これはこうして…わかった?」
「村上先生。すみません。解けない問題があって…」
「おお、感心だな!僕がみてやるよ!」
「先生先生!きいてきいてー!」
「おいおい、恋愛相談までは受けられないぞ!ははは」
「先生、昔バンド組んでたんでしょ!?」
「ああ、大学の頃だな。今でもギターは行けるぞ!」
このように村上陽喜は、31才にしては若く見えて兄貴キャラとして定着している。学生時代は所謂リア充生活を送っていたこともあり、高校生の扱いも問題なくこなしていた。多少問題のある生徒ともすぐに打ち解け馴染んできた。
ポイントはクラスのリーダー的な立場の人間を抑えること。
これは群れとしてリーダーを掌握するとその群れは組織として機能するというものだ。
そうすることで、彼は学級運営を行ってきたこれまでそれが上手くいったし、これからも有効に活用できるものと信じていた。
ところがこのある男子生徒には通用しない。
「違和感の男子生徒」とは水島瞬のことだ。
殆ど目立たなかった彼が、今ではクラスのリーダー的な立場に居ると踏んだ。村上はいつもどおりにリーダー的な立場の水島瞬に接近した。
「なあ、水島!最近頑張っているか?」
普通の生徒であれば、人気の教師からこう聞かれると嬉しげに返答するものだ。
「は?何を?」
水島は素で返してくる。会話が続かない。
「どうだ水島?最近彼女は出来たか?」
普通の生徒であれば、イケてる教師から聞かれれば、色々とアドバイスを求めてくるはずだ。
「は?いない」
水島からは最低限の言葉しか返してこない。会話が続かない。
「おい、水島!お前趣味とか無いのか?」
普通の生徒であれば、あれこれと趣味の話を自慢気に語ってくるものだ。それに同意するだけで、年上の教師という立場からの同意を得られたことで、誇らしく思うはずだ。
「は?あー多分わかんねーと思う」
「何だよ。水島!照れくさいぞ!先生に言ってみろよ。一通りは経験しているぞ」
「あーじゃあ言うけど、日本酒の飲み比べ」
「え?日本酒…!?」
「あー、地方ごとに日本酒ってあるじゃん。例えば有名所で山口の獺祭ってあるじゃんか、獺祭も大吟醸と吟醸だと味が結構違うし、例えば金沢・富山の地酒が結構飲みやすいけど、同じ北陸でも米どころとして有名な新潟の…同じ米どころの福島にはまた多くの地元の酒があって…」
「!!?」
水島の知識量とそもそも回答のしようが無かった。会話が続かない…というか、話題が高校生の趣味と言えるものではなかった。
彼から感じる違和感。
何か見透かされているような奇妙な感覚。
ある日のこと、中心的な生徒とのコミュニケーションを取ろうとした村上は水島瞬に話しかけた。
「水島!元気にやってるか?青春してるか?」
「あー、先生いいよ。そういうの。俺に気を使わなくて…」
「何いってんだよ。俺はお前ら皆可愛いからな!」
「あー、先生。そういうの要らない。薄っぺらさを感じちまうよ」
「!?」
「まぁ、先生も色々大変だろうから、何かあったら言ってくれりゃ協力するからさ。ガキはガキ同士仲良くやるもんだから」
「!!?」
「あー、そう言った意味で、お互い大人な感じでいい関係保てりゃいいんじゃね?お互いウィンウィンでいこうぜ。なぁ!せんせ!」
「!!!?」
村上陽喜はこの生徒が全くわからない。見た目は普通の高校生だが、態度がまるで同世代。もしくはベテランの教師と話をしているようだった。すべてがバレているようなすべてがから回るような、そんな恐ろしさを感じざるを得ない。水島瞬に恐怖の感情を頂いていた。
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だが、村上陽喜は水島瞬を恐れる理由はもう一つあった。
「今日も疲れた。こういう時は…♬」
村上陽喜には思い焦がれる女性が居た。
放課後の部活動もなく比較的空いている時間帯に訪れる部屋。彼女の前に出るととても心が踊りだす。イケてる教師、少なくともこの学校に彼女に見合う教師は自分だけだと思っていた。
週に1回か2回、そこに訪れるのが村上陽喜の密かな楽しみであった。
保健室の前についた村上は、部屋の中から笑い声が聞こえてくるのが分かった。
「あはは!それ本当に!?」
村上の意中の人、小倉里美の楽しげな声が聞こえてくる。村上は意外な思いで保健室の中を窺った。
「いやいや、里美ちゃん!絶対モテるよ!行けるって!」
水島瞬が養護教諭の里美と談笑している事を理解し、村上は激しく狼狽した。
「えー、モテないよ!私は昔っから苦手でさー」
「いやいや、そんなのもったいないって!こことか最高じゃん!」
「いやーヤメてー!ぷにぷにしてるから!私!うふふ」
「ほらほら、そこがこんなに固くなるんだよ。どう?これどう?」
「す…すっごいね…はずかし…」
「年とか関係ないって、先生も生徒ももちろん関係ないよ…」
「そ、そうなの…じゃあ、ちょっとやっちゃおうかな。教えてくれる?」
「もちろん!俺に委ねて…」
「わ、分かった…優しくね…」
「うん。俺もこっちで…先にやるから…」
「…うん…」
村上は途中まで固まっていたが、慌てて保健室に飛び込んで、叫んだ!
「な、、何をやってるんですか!?小倉先生!」
「え?」
「は?」
そこには5キロのダンベルを片手に筋トレに励む小倉里美と、そこから5メートルも離れた位置で片手で腕立てをする水島瞬の姿があった。
「あ、あれ?」
村上陽喜は狼狽した。想像した内容と見た内容が違いすぎる。
「あら?村上先生、どうしたんです?」
里美はきょとんとした顔で聞いた。
「え?あれ、これは??」
「あー、これは筋トレグッズ最近買ったんですけど、イマイチ続かなくて、水島くんが詳しいから教えてもらっていたんです。ああ、水島君て先生のクラスでしたね」
里美は屈託のない笑顔で村上に言った。村上は恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になった。
「あれー、先生、勘違いしちゃった?」
水島瞬は村上の肩に手を置くと、笑いを噛み殺しながらそう言った。
村上陽喜は明確に理解した。
水島瞬に感じる違和感の正体。それはこの生徒に対する強烈な劣等感と嫌悪感であった。彼は水島瞬を制する事こそが、学校のため、そして小倉里美と自分のためであると悟ったのであった。




