クリスマス
「お疲れ様!皆!気をつけて帰ってね!」
雑誌の撮影を終えて、モデル達に声をかけたのは珍しく現場にやってきた編集長の長田咲だった。まだ入社10年程度の若手の編集者が編集長の大役を任される程の「できる女」だ。
「エマちゃん!ちょっと大人っぽくなったね!いい感じよ」
長田はエマに声をかけた。
「ありがとうございます。嬉しいです」
エマはビジネス用の笑顔を編集長に向けて言った。
「年内はこれでおしまい!クリスマスだから楽しんでね!」
長田はそう言うとエマの方にぽんと手を置いて去っていった。
「楽しんで…か…」
エマはそう呟いてからクリスマスイブで賑わう街から帰路につくため駅に向かった。
雑誌のモデルの世界はあくまでビジネスライクだ。同年代の女の子が集まるとは言え、必要以上に馴れ合わない。
たまに仲良くなる子もいたが、すぐに入れ替わってしまう。実力と運がないと生き残れない不安定な環境であった。
エマがモデルの事務所に入ったのは、中学2年の頃。
スタイル抜群で学校でも歴代一番と言われる顔立ちで目立つ存在だったエマも、雑誌に載るのは難しかった。
たまたま編集者の目に止まった雑誌に出て、評判が良かった事で人気雑誌のモデルにまで成れたのは、正直言って強運だったと本人も思っている。
高校生である彼女が行うモデルの活動は、限定的にならざるを得ず、立場は弱かった。禁止されている日焼けや、激しいスポーツなども厳禁であった。それを忠実に守ったし、仕事を断ることはしなかった。クリスマスだろうと関係なく求められるだけ仕事である撮影に参加した。
撮影場所であった駅から地元の駅までは30分程度の電車の時間だ。
エマは時計を見ると時間は、19:00だった。
24日のクリスマスイブが終業式ということもあり、ユリが水島瞬(神崎東一郎)達を誘ってパーティーをしようと言っていたが、エマは仕事があったし、東一郎はクリスマスパーティーに少なくとも3件誘われているのをユリ経由で聞かされた。
ユリはニヤニヤしながら、早めに声掛けた方が良いんじゃないかと言っていたが、それは無視した。素直に成れない自分へのもどかしさと同時にヘラヘラとしている東一郎に腹が立っていたのも事実だ。
「なんなのよ!アイツ!調子ノリすぎ!」
エマは思わずそう呟いた。
保健の養護教諭の里美にヘラヘラとしていた東一郎を思い切りビンタして以来仕事が入りまくったこともあり、話もしていない。
「あれはちょっとマズかったか…」
エマは思わずひっぱたいたものの、そもそも東一郎の彼女でもないわけで、何となく仲良くしているだけで、一人で勝手に怒っているだけという現実を受け入れざるを得なかった。
最近の東一郎はやたらと人気者だった。
男女問わず、裏表なく話をする東一郎は、学年でも相当に目立っていた。何故特定の彼女がいないのか不思議だと誰もが噂したし、実はそれに一番近いのが自分だと自負していた面もあった。
だが、東一郎は別にエマでなくても、誰にでも同じ態度であり、エマに対して特別な感情があるようには思えなかった。エマだけが東一郎が気になって仕方ないという状況は、彼女の人生で少なくとも一度も感じたことのない焦燥感と不安感となって襲いかかっていた。
こうしている間に、誰かが東一郎と仲良くなったらどうしよう。クリスマスの雰囲気にアテられて、自分の知らない誰かに告白されてOKしてしまったらどうしよう。
そんな事を思わず考えてしまう自分にまたイライラとした。
街のイルミネーションを横目に、冷たい風を避けるように寄り添う恋人たちが、とても疎ましく思えて、自分がとても小さく感じた。
自分がいなくとも皆楽しくクリスマスのイベントを楽しんで、それを皆が青春として記憶されるのだろう。
私は仕事!好きで、望んでやっているモデルの仕事。
とても誇りに思っているし、やれるところまでやるつもりだ。
だけども、こんな日は流石に「サガる」沢山人がいるのに一人ぼっち。とても孤独に感じた。
知らない内に涙が流れてきた。
エマは涙を拭きながら、家路を急いだ。帰りのバスを待つ為に、バス停の前に移動しようと思ってふと思い出した。
この先は、確か東一郎に連れて行かれたラーメン屋がある。たったの数ヶ月前のことだが随分前のことに感じた。何だか懐かしく感じてフラフラとラーメン屋のある区画に歩いていった。
こんな思いをするなら、アイツに関わらなければよかった。
そしたら辛くないし、私はきっと前と同じく一番で楽しくて、世界は私中心に回っていたと勘違いできてた。
もうそんな勘違いもさせてもらえない。エマは悔しくて、切なくて、視界が涙でぼやけた。
ラーメン屋には10名程度の行列が出来ていた。クリスマスなのでか、カップルで並んでいる人たちもいた。
「クリスマスにラーメンとか…バカじゃないの…」
エマはそう言って、くるりと回れ右をしてバス停に戻ろうとした。
「あれ?エマか??」
聞き覚えのある声、声を聞くだけで胸がチクチクと痛む感じ。嬉しくて切なくて、悔しくて、複雑な感情にさせられる水島瞬の声だった。
「お前、何やってんの?こんなところで?」
「いや、バイトの帰りたまたま通ったの…」
エマは平静を装って、さっと返した。普段は言わないモデルの仕事をバイトと表現していた。
「水島君はどうしたの?クリパは?」
「え?何クリパって?」
「クラスの子達とやったんじゃないの?クリスマスパーティ?」
「ああ、クリパってそういう事ね。おっちゃんよくわかんないよ!クリパって言われても。なんで最近の子は略したがるかな?あと悪いけど、子供たちのパーティよりもラーメンだわ。俺ってば」
「え?良いの?パーティ抜け出すとか失礼じゃない?」
「ん?いやいや、俺はそもそもクリパとやらに行ってないぞ」
「は?だって誘われまくったんでしょ?」
「なんで誘われたら絶対行くことになるんだよ?言ったろ、子供たちのパーティーにそんなに興味がないって、酒も出ないし、仮に出たら出たらチョットマズイだろ大人として…」
東一郎は当然のように、エマに言った。エマは違和感を感じつつもそれ以上は何も言わなかった。
「寂しくないの?クリスマスイブなのに…」
「ある程度年取ると、どうでもよく感じるんだよ。アレはまぁ、子供の為のイベントだって実感する…」
東一郎は実感を込めてため息を付きながら言った。エマは理解できずに首を傾げた。
「てか、俺腹減ってるからラーメン食べるけど?行くか?そろそろ閉店時間に近い!」
東一郎は時計を気にしながら、エマに突然聞いた。
エマは何だかとても嬉しくて、東一郎の肩をぽんと叩くとラーメン屋に走り出した。
「今日こそ完食しちゃうぞ!」
エマはなんだか浮かれた気分になってそう言った。
「こないだは引っ叩いちゃってごめん!だいぶイラッとした!」
エマは大笑いしながら言った。
「こないだ?なんだっけ??」
東一郎はぽかんとした顔をしてから言った。
クリスマスイブの夜だから多くのイルミネーションで街が明るかったが、冬の空に昇った満月が街を一層明るく照らしていた。




