「初恋」小さな花
その日は金曜日で体育の授業は、1500メートル走だった。
クラスの男女全員で1500メートル走るのだが、ヤマトは憂鬱だった。
「1500メートルかぁ。物足りないくらいだぜ!」
どこかで陸上部の男子が冗談めかして言った。
「なぁ、水島は長距離って得意なの?」
「いやぁ、得意ではないけど、それはこの体次第だな。ちょっと楽しみ」
「???」
ヤマトは水島瞬に入れ替わった東一郎の言葉を理解できなかった。
「オレは嫌だなぁ。絶対遅いし…」
ヤマトはボソリといった。
「まぁ、こればかりはいきなり早くはならないからなぁ」
東一郎はふーっとため息を付きながら言った。
「なんかコツとかあるんだろうか?」
ヤマトは独り言のように言った。
「聞いた話だと、マラソンランナーとかも始まって結構すぐにバテてるらしいぞ。だけど、そこから結構頑張るっていう感覚らしい」
東一郎は昔ボクシングジムで聞いた話をそのまました。
「へぇ、そういう感じでやるんだ。バテないのかと思ったよ」
ヤマトは少し意外そうな顔をした。
「あとは、景色を見ながらとか言うけど、グランドを走ってりゃ景色も変わらんわな」
東一郎はアキレス腱を伸ばしながら言った。結構やる気のようだ。
景色を見ながらかぁ…ヤマトはあたりを見渡したが、何か気になるものはなかった。
1500メートル走は、女子から始まった。
体育教師がストップウォッチを片手に女子生徒が一斉にスタートするのだ。
2つのクラス合同で行うため、走り出す人数は40名程度の結構な人数だ。
体育教師のスタートの合図に、女子生徒が一斉に走り出した。
スタートしてまもなくやはり体育会の部活の生徒が先行するからたちになった。
ヤマトはぼんやりと女子生徒が走っているのを眺めていたが、普段と違い皆真剣な表情だった。
そんな中、ふと目についたのが、山口あかりの姿だった。
先頭集団に紛れて一際小さい身体で走っていた。
「おー、アカリちゃん早いなぁ」
東一郎に突然声をかけられてヤマトはビクッと驚いた。
「本当だ。ビックリだわ。山口さん意外と早いんだな!」
ヤマトは慌てて東一郎に言った。
懸命に走る山口あかりの姿を見て、ヤマトは心がざわついた。
同じく身体の小さな彼女が、堂々と大柄な体育会の生徒と渡り合っている事が意外で、驚きと同時に置いていかれるような焦燥感のようなものを感じた。
小柄だけども整った顔立ちの彼女は、一部の男子生徒から人気を得ていた。でもあまり目立つ方ではないし、いつも並び順が同じでヤマトと会話するくらいしか男子生徒と話している姿は見かけなかった。
ヤマトは勝手に彼女を身近に感じていただけに、彼女の走る姿から目を離す事が出来なかった。
結局山口あかりは、堂々のトップでゴールした。
見ていたクラスの男子は驚きと賞賛の声を上げた。
女子が終わると今度は男子がスタート地点に向かった。
東一郎とヤマトもスタート地点に向かったが、戻ってきた女子の中に山口あかりを見つけると、東一郎は声をかけた。
「アカリちゃん、凄いじゃん!かっこよかったよ!」
東一郎はにこやかに言った。
あかりは少し照れくさそうに笑うと、ありがとうと言った。
ヤマトはその笑顔に、胸が押し潰される感覚を得た。
あれ?これってなんだろう?ヤマトが意識した最初の瞬間だったのかも知れない。
男子のスタートも同様に40名程度が走る。
東一郎は基本、こういった体育や美術・工芸の授業は妙にテンションが高い。
特に体育の授業は負けず嫌いなのだろうか、いつも何かしらの作戦や改善ポイントを探して臨もうとする。一方で普段の授業は英語以外は、苦労しているのだ。以前は全く逆だったのに…とヤマトのみならず、クラスメイトは不思議がった。
1500メートル走がスタートすると、東一郎は先頭の集団近くに入っていった。ヤマトはマイペースで走り始めた。
走り始めると早速息が上がってきた。東一郎が言った「マラソンランナーも開始早々にバテてる」という言葉を思い返し慌てずに走り始めた。
すると周りの生徒達の息遣いも聞こえてくる余裕が生まれた。
といっても、別に早く走れるわけでもなく、気を紛らわそうとあたりを見渡した。
グラウンドの中を走っているので周りは校舎や部室、倉庫が見えるだけで、特に変わった景色はない。
ただグラウンドの地面をよく見てみると、そこには小さな花が咲いていた。
恐らく雑草なのであろう、人の手によって植えられたわけではなく、そこに自生して花がたまたま咲いたのだろう。
小さな花だが、意外にもきれいな花だった。
何だか山口あかりのことをヤマトは思っていた。
この花は何という花だろう?
小さなきれい花があって、山口あかりみたいだよって言ったら怒るかな?雑草だもんな…。でも綺麗な花なんだけどな…。
ヤマトはそんな事を思いながらふと顔を上げた。
パッと見た視線の先には山口あかりが居て、はっきりと目があった。
山口あかりはヤマトを見るとニッコリと微笑みながら小さく手を振った。実際にヤマトに手を振ったかは正直わからないが、小さくて綺麗な花のイメージが山口あかりと完全に一致した。
「あ…」
ヤマトは疲れも感じないほどに、言葉にならない衝撃を受けた。
とても綺麗な小さな花だ。ヤマトはそう思った。