メアリィと兄 その2
「で、なんでいるの。お前来れないんじゃなかったっけ」
「予定がなくなって……」
相変わらずな降圧的態度……。
今日はリナさんがいないから歯止めがかからないだろうなぁ……。
「予定って勉強のでしょ。まさかわかんなくなって逃げたとか? 」
「そうじゃなくて、改修工事があって場所が使えないみたいで」
「ふーん。ああそう。なら、今日はいっぱい働けそうだ」
「えっ、まあ、はい……」
曖昧な返事を鼻で笑うメアさん。
「ほら、行った行った」
ケツを蹴られて、僕は今日も僕は穴底へと向かう。
「よ、新入り。またいばら姫に手出されて、良かったな」
「どこがいいんですか」
無駄話は最小限に。
じゃないと、いつかみたいに鉄球が飛んでくる。
黙々と掘り続ける作業も、前ほどは苦手じゃなくなってきたが、依然として苦痛であることには変わりない。
無心でいればいい、というのも難しいもので、一秒一秒刻む時間のノロマさに嫌気がさす。
中学生までは、一時間で千円なんて夢みたいだと思っていたアルバイトも、経験してみると苦しみしかないのだとわかる。
なんでこうも精神的に辟易するのか未だに分からない。
もしかして自分は働くのに向いてないんじゃなんて思う時もあるけど、多分皆同じこと思って仕事してるんだろうな。
しばらく経って休憩に入る。
火照る身体に吹く風の冷たさが何より心地よくて、なんというか生きてるんだなぁと、生を実感させられる。
地面に寝転がっていると、上の方に黒い影が。
今日も日傘をさした彼女は、僕を文字通り見下す。
「何気持ちよさそうにしてるんだよ。穴掘って、苦しいはずだろ」
「いやぁ、なんて言うか、いいんですよ、なんか」
「返事になってない。語彙力捨ててきた? 」
「捨ててきたんじゃ、ないですかね……」
「はぁダメだこれ」
ひとしきり呆れた後、メアさんは悲しげに言う。
「とうとうお前もあっち側か」
「あっち側って? 」
「前にも言ったでしょ。ここにいるヤツら、みんな狂ってるって」
そういえば、そんなこと言ってたっけ。
「こんな穴に一日の大半を捧げて、それを当たり前の事のように毎日毎日繰り返して、なんで気がくるわないのか私には分かんない」
「メアさんだって、毎日のようにここに居るじゃないですか」
「それはお金のためだもん。稼がなきゃ生きていけない」
「ならみんなも同じなんじゃないですか。生きるために働いてるだけで、そこに何か考えたりしてる訳じゃ……」
自分で言ってて、違和感があった。
「やっぱ、お前変わったんだよ」
「えっ? 」
「前のお前、泣きながら働いてたじゃん。それが、今じゃこんなに楽しそうでさ。慣れたんだよ。仕事に、この環境に」
「そう、ですかね……」
「でも褒めてるんじゃないから。私にとって慣れは裏切り。人類は労働そのものにもっと嫌悪を抱かなきゃいけないの。あっという間に過ぎゆく人生を邪魔する障害に、笑顔で従うんじゃなくて、中指立てて飛び蹴りしてやらなきゃいけないんだ」
真顔で淡々と言うメアさんは、どうやら相当働くことが嫌いらしい。
「僕だってできることなら辞めたいですよ」
「ならなんで辞めないの」
「障害超えてでも、したいことがあるんです」
「ふーん、変わってるね」
「そういうメアさんは、なんで辞めないんですか」
「稼がなきゃってのはそうなんだけど、私は、私は……」
珍しく歯切れの悪い彼女。
言葉を待つと、最後ぽつりと呟いたのは……。
「兄貴が、死んだから……」
――――――――――――――――――――――――
馬車の降車場所は、毎日異なった。
街を護る外壁に空いた東西南北、4つの入口。
それらのどこかに僕らは下ろされ、そこで報酬を受け取り解散となる。
なんでそんな面倒なことをと最初の頃は思ったが、今となれば穴の位置を方角単位ですら特定されたくないのだろうと、何となくな推測ができる。
今日降ろされたのは、街の北側。
まだ手付かずの自然が多少残り、空気が澄んで静かな場所。
人の気配も、本当ならあまりないはずだけど、そこにはとある建物が。
「あっ、悠里くん」
馬車から降りた僕を真っ先に見つけたのは、暁音さん。
「お疲れ様、お仕事はもう終わり? 」
「うん、あとは報酬受け取るだけかな。暁音さんは? 」
「私はもう少しだけ。この子たちのご飯作らないと」
この子たち、というのは暁音さんの周りにいる子供たち。
今も僕に「誰ー? 」と声をかけるその子たちは、暁音さんがお手伝いしている孤児院の子。
街の北部、そこにある大きな孤児院は、街中の行き場の失った孤児たちの面倒を見るために、数十年前に建てられたのだそう。
「そういえば、シナス君は。しばらく会ってないからどうしたかなって」
「ああっ、彼なら中にいると思うよ。シナス君、シャイだから。みんなに混じってって事しないんだよ」
「元気かな……? 」
「元気だとは思うよ。相変わらず悠里くんのことは嫌いみたいだけど……」
そっか……。まあ、元気ならいい、かな。
暁音さんと喋っていると、馬車からメアさんが。
「あっ、アカネ」
「ああっメアリィちゃん。そっか、悠里くんと一緒だったんだね」
「2人は知り合いなの? 」
「えっとまあ。リナ姉がここで手伝いしてるから、その流れで」
何か、世界は狭いんだなぁと実感させられた。
「じゃあ、またね」と、暁音さんは子供たちを連れて室内へ。
ぞろぞろと後を続く姿に微笑ましくなっていたが、その中に僕は"彼ら"をみつけた。
「……あっ」
いつか僕が開けた大穴、黒龍によって抉れた岩盤の大地、元は家屋のゴミ置き場だったあの場所にいた2人の宿無しの子。
エリッサさんと話をした夜の日に見かけた彼らが、そこにいた。
やせ細った手足は相変わらずだが、身なりは見違えるほどに整っている。
ご飯を食べ、湯船に浸かり、いわゆる人並みの毎日が送れているのだろう。
少なくともここに来て彼らの人生に彩りが咲いたはずだ。
だが幸せかどうかは分からない。
彼らはかけがえのないものを奪われている。
「どうした」
「いえ、なんでも」
孤児院に背を向けようとすると、メアさんは、その場にしゃがんだ。
「昔、私もここに入れられそうになったんだよ」
珍しく自分語りをする彼女に、思わず耳を傾ける。
「昼の話覚えてる? 兄貴が死んだって。ウチはさ、生まれつき両親不在で、私の面倒を年の離れた兄貴がみてくれてた。兄貴はさ、自由奔放で、よくイタズラばかりしていてさ、周囲からは醜悪の擬人化とまで呼ばれてた」
「醜悪の擬人化……」
何しでかしたらそんな呼ばれ方するんだろう。
「でもさ、兄貴死んじゃったんだ。街のために、街の英雄として、死んじゃった。詳しいことは誰も教えてくれない。けど、みんな言うんだ。彼は英雄だ、国に立ち向かった正義そのものだって」
「正義……? 」
「訳分からないでしょ? 言ってる私も分からないんだから。兄貴がなんのために、何を思って何と戦ったのかすら不明瞭。だけど、祭り上げられてるんだ。街の英雄だって、彼の死は革命の第一歩だって」
しゃがんだまま、孤児院を眺めるメアさんの姿はどこか哀愁が漂う。
「本当だったら兄貴の居なくなった私はここに入るはずだった。だけどリナ姉が引き取ってくれた。従姉妹の私が面倒見るからって。あの頃のリナ姉、まだ16歳だって言うのに、今の私なんかよりずっと立派で、眩しいくらいのお姉さんしてた。そんな子に引き取ってもらえて、私はきっと恵まれてるんだと思う。……だからなのかな、私は兄貴が居ない寂しさってのを味わう暇がなかったんだ」
「それは、良かったんじゃなくて……? 」
「うん。よかったはず。でも、だから知らないんだよ。ほんとに兄貴が居ないんだ事を。私はいつまでもあの頃のままなんだよ、兄貴が傍にいたあの頃のまま」
しばらくそのままだったメアさんを眺めていると、不思議と少し幼い彼女の姿が霞んで見えた。




