ゼラ・トートニウム
青の装いに身を包む、赤い瞳の少女。
彼女は、名前をゼラ・トートニウムと名乗った。
「私は昨年度、王都直属護衛隊の入隊試験に合格し、一年の研修としてここで教務をすることになった。皆の受験する魔導具使用許可2級、及び1級認定試験は、入隊の上での前提資格となるため私も合格している。この試験において教えられることは少なからずあるはずだと自負している」
凄いんだろう経歴を淡々と述べる彼女。
直属護衛隊、エリッサさんたちの所属してるところだ。
「それと、あくまでも教務という立場上、年齢を弁えずこのような口調になってしまうことについて先に謝らせて欲しい。不快に思えば、先と同様、返金に応じる。15の女だ、本来ならばこのような態度許されるはずもないが、どうか寛大な心で見守ってほしい」
15歳ってことは……僕よりも若い。
その年で先生なんて、なんか凄いな。
「さて、現時点で疑問等あれば聞くが…………無いようだな。ならば早速講義の方に移ろう」
彼女は、板書を始める。
素早く書き上げるも、勢いがあって真っ直ぐ読みやすい字。
「さて、まずは魔法の前提から入る。根源元素エーテル、大地より湧き出る魔術の源だ。全ての魔法はこのエーテルが変化した物、火炎も流水も魔術として生み出すならば大元はエーテルだ」
根源元素、エーテルの話はいつか神様から教えてもらったっけ。
あの時は結構大雑把な説明だったけど、今日は違う。
「エーテルには二種類の状態がある。活発状態と待機状態。空気中に点在しているのが活発状態、体内に取り込まれ変化を受け入れる状態が待機状態だ。活発状態は縦横無尽に、ただ一つの引力を除いてあらゆる物理法則の影響を受けずに飛び回る。対して、待機状態は比較的運動を停止しており、風や血流といった他の物体の運動の影響を受ける。どちらも共通するのが物体の貫通が可能だということだ。ただ待機状態に関しては先の説明の通り、他物体の影響を受ける。一見矛盾しているかに思えるが、待機状態のエーテルは静止物質に対してのみ波動のような振る舞い行う」
彼女は例えとして黒板に、手を伸ばす人体の図を軽く描く。
「自身の身体をイメージして欲しい。手から魔法を放つ際、まずは、空気中から体内にエーテルを取り入れる。活発状態のエーテルは、エーテル器官より発されるとある引力に従って体内へ。胸や腹、腰等様々な部位を貫通して、エーテルは、エーテル器官目掛けて集まる。そしてエーテル器官にたどり着いたそれらは待機状態へと移行する。その後、血中を辿り自らの掌にまで移動する訳だが、その際、エーテルは他の部位を通って体外には、ほぼ出ない。何度も話に出てくる引力の力も関係しているが、それ以上に、掌以外の身体は静止物質にないというのが大きい。人間は無意識のうちに呼吸等で運動をし続けている。集中しなければ静止など行うことは出来ない。逆に言うのならば、静止物質となっている掌以外からは待機状態のエーテルは体外に出ていないということになる。つまりそこに論理的な物はまだ無く、あくまでも観察した結果ということだ」
……………………?
「混乱し始めるのは大体ここらからだろう。難しく考える必要は無い、要するに人が意識して静止を試みた部位からのみ待機状態のエーテルが漏れ出すのだ。その認識さえあればいい。そして対外に出た待機状態のエーテルは、後はそのまま射出される。これが俗に言う魔光弾という攻撃魔法の一連動作だ」
僕の理解もまだ追いつかぬところに彼女は、何やら式を書き始める。
EA=F
「近年定義された引力の式だ。これを魔術方程式とよぶ。Eという記号は大気中1m³の区画にある平均エーテル量に対して何倍あるかを表し、Aはエーテルの収束発散加速度を表す。そしてF、これは"フォース方程式"における外力と同じ、どれだけの力かといえば分かりやすいだろうか」
分かりやすくは無いだろう。
やばい、内容が一気に難しくなった。
「ねぇねぇ、言ってること分かる? 」
おば様が僕に耳打ちするも、僕も分からずブンブンと首を横に振る。
「Aは、それぞれFに比例し、Eに反比例する。要するに取り込んだエーテルEが一定ならば、Aが大きくなればなるほどFも増加するということだ。この図で例えをあげるならば、射出する魔法、ここに含まれるエーテル量が平均値の3倍で固定されるとするならば、魔法の威力Fは、Aにのみ決まるという事だ。納得できただろうか」
………………………………。
講義室内は静まり返ったまま。
返事らしい返事もなく、沈黙だけが続いている。
それを見て、先生も流石にまずいと思ったようで……。
「もう少しだけ噛み砕こう、Aと言うのはいわばその個人がどれだけエーテルを集められるかの指標だと思ってくれ。速度とはまた違うのだが、要はどれだけエーテルを加速させられるかという時間の変化のベクトルなんだ」
もっとわけわかんなくなった……。
「余談にはなるが、今では個人のエーテルの収束発散加速度Aはギルドにて計測を行っているらしい。平均値を1としてどれほど離れているか、一度計測してみるといい」
と、軽い雑談を挟んで別の話題へと移る。
そこでも僕らの力量を超えた内容が、次々と襲いかかって来て、為す術もなく解説が頭の中を流れて行ってしまった。
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「……と、今日の講義はここまでになる。全十回の講義故、駆け足になってしまったこと、申し訳ない。恐らく理解に至ったのは半数にも満たないとは思うが、めげずに習学を続けて欲しい。やれるだけをやりきれば、必ず明日は開けるだろう」
と、彼女は書類をまとめて退室してしまった。
聞きたいことは山ほどあったが、何を聞いていいのかも分からず、ただ頭から湯気を出して固まるしか出来ない僕。
彼女の後を追う、なんてことは今の実力では到底無理に思えて、この場に座り尽くすしかない。
「お嬢様、お焦りになる必要はありません。講義を4〜5周してようやく掴めてくるのだと、アネア様が仰っておりました」
ふと耳に入る、貴族と従者との会話。
4〜5周ね……。
そこまでしなきゃ分からないのかと、今から絶望が走る。
「あれが、リッサ・A・フォルフォードの再来と言われたゼラ・トートニウムか。あんな解説だけの授業じゃ、今期も無理そうだな」
聞こえてくる雑談は、また後ろの別の席から。
エリッサさんの再来、わざわざそう呼ばれるってことは彼女に似通う何かがあるのか、その実力が既に認められるほどってことなのか。
確かに凄い人だった、年下とは思えない風格と経歴。
しゃべり方はエリッサさんっぽかったかな。
ひとまず講義室から退室した僕は、図書館の席に座って頭を抱える。
とりあえず復習しなきゃなんだけど、何からしていいのやら…………。
帰ったら暁音さんに聞くとしても、それまでどうしようか。
「悩み事か」
その声は……。
「ゼラ、さん……? 」
顔を上げると、赤い瞳の少女がいた。
講義外でも背筋を伸ばし凛とした態度の彼女は、やはり大人じみていて、むしろ高貴さすら感じてしまう。
「もし返金に関することならば受付に行くといい。私に遠慮はしないでくれ。皆の理解に至らないような授業をしてしまった私にだけ責任がある」
「いや、自分が不甲斐ないだけなんです……」
「不甲斐ないなんてことは無い。君は真面目に講義を受けていたじゃないか。あの時、君は限りを尽くしたんだろう。ならば、そこに悔いを持つ必要は無いよ」
「でも、ほとんど分からなくて…………」
「この講義を受けるのは初めてか」
「はい」
「ならば理解を得られなくても仕方がない。学びとは深めるものだ。見て聞いて得たものを、自らの世界にに落とし込む。点と点を繋ぐように、散らばる知識の間を自らの頭で思考し結ぶ。その時間をとることで初めて理解へと至るんだ」
「はあ……」
ありがたいアドバイスを貰った、けど正直貰ったからと言って、それをどう活かせばいいのかは分からない。
だって現状僕は何が分かんないのかが分からないのだから。
「その様子だともっと具体的な助言が欲しいみたいだな」
……!?
「なんでわかったんですか」
「……少しな、洞察力には自信がある。けど今回に関しては、君が少しわかりやすい人なのが大きいかな」
そう、なのか。分かりやすいかなぁ、自分……。
「具体的な策と言うなら、まずは用語の暗記から始めてみるといい。意味や理由が分からずとも、とりあえず知識として閉まっておくだけで十分効果はある。理解が後に起こることはざらだ。その時のために備えておくといい」
「暗記から、ですね。ありがとうございます」
「役に立てたなら何よりだ」
彼女は笑みを見せた。
だが途端、何か思い出したかのように表情を元に戻した。
「……ゼラさん? 」
その態度は、まるで己を律する騎士かのようだ。
「すまない、なんでもない。勉強頑張ってくれ」
そういうと、彼女は講義室奥の扉へと行ってしまった。
何かあったんだろうか、と僕には勘ぐることぐらいしか出来ない。
ひとまず日が暮れるまでは、彼女のアドバイス通りにしよう。
図書館の本を広げながら、今日やった範囲をぼそぼそ呟きながら頭に入れる。
5分もやれば飽きが来る凄まじく退屈な作業だが、彼女もここからああなったのだと思うと、ちょっぴりやる気が湧いてでた。
――――――――――――――――――――――――
「だから、ここはこうで――」
「えっはっ? どういう事? だって待機状態も貫通するって言ってたよね」
「だから、静止物質に対してだけ振る舞いが波動になるの。ここはなんでとかじゃなくて、そのまま覚えればいいんだって」
「えぇ……」
そのまま覚えろって、そういうもんなのかな。
考えなくていいところと、そうじゃないところの違いが全くわからないや。
暁音さんの教えに従いながらひたすら頭に叩き込む事しかしてないけど、ほんとにこれでいいんだろうか。
「ふぅ、今日はここまでにしよっか。疲れたら頭も回らないからね」
「えっ、いいの。まだ半分くらい余ってるけど」
「いいのいいのペースで言うなら少し遅れてるけど、まあ無理してもいいことないし」
「焦んなきゃ行けないんじゃないの? 」
「あくまでも持論、かつ勉強に関してだけだけどね、いい悠里くん、焦っていいことなんて一個もないんだから。無理して継続が途切れる方がよっぽど怖いからね」
頭脳明晰な暁音さんが言うのならそれであってるんだろうけど、やっぱり不安は拭いきれないな……。
「あーっ、教えるって難しいね! 初めてにしては上出来かもだけど、これじゃ先生は名乗れないなぁ」
「暁音さんなら、友達に教えたりとかしたことなかったの? 」
「ああっ、私、友達ほとんどいなかったから」
「あっごめん」
やっちゃったぁ……。
「ちょっと! そんな俯いてシーンってされると、そっちの方が悲しい雰囲気漂うでしょ!? もう、おりゃっ! 」
突然近づいたかと思いきや、僕の脇腹をくすぐる暁音さん。
くすぐりには割と耐性がある方だからあんまり効かないけれど、そんなにグッと来られると、別の方でむず痒くなる。
こんな距離の詰め方できるんなら、暁音さん友達できそうなんだけどなぁ。
満足いくまでくすぐり終えた暁音さんは、うんと伸びをした後、思い出したみたいに口を開いた。
「そうだ明日空けといてね」
わざわざこんなこと言われたのは、今回が初めてだ。
「何かするの? 」
今日の復習とかかな。
なんて呑気にそんな事を思っていると、彼女は手を後ろに組んで前かがみになってこう言ったんだ。
「えっとね……デート、しよ?」




