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アカネの日記 4



 カウンセリング、児童相談所の介入、国による資金援助の手続きの勧誘など、私はそれら全てを突っ撥ねた。

 必要なんかあるはずない、だってこれは私が望んだことなんだから。


 必要なんか、あるはずがないだろう。


 だって、私と母は同じ屋根の下にいるのだから。


 だって、引きこもっていても、私の母なんだから。


――――――――――――――――――――――――



 中学一年の夏、私に何も言わずに引きこもり出した母を見て、安心できたのは、たった半日の間だけだった。

 夜になる頃には、不安でしょうがなかった。声をかけても帰ってこない返事に、どうしようかと悩み続けて夜が明けた。

 翌日になって、扉越しに聞こえたコントローラーの音で

安心するも、またすぐに不安が襲う。言葉にはできない、いいや、言葉にはしたくない可能性がどうしたって私を蝕んだ。


 それから毎日、どうすればいいのか考え続けた。

 我武者羅に勉強を続け、料理を作り続けて、それでも変わらない現状に、きっと私は疲弊して行ったんだと思う。

 そしてとうとう、めんどくさい手続きを突っぱねて、思ってしまった。



 どうして私がこんなになっているのに、

 母は、出てこないのだろうと。



 先生は、死相と言った。

 頷けた。化粧水も乳液も、つけたってそう易々と戻らない程に私の肌はボロボロになっていた。

 綺麗だと褒めてくれた髪も、目元も、もう原型はかろうじてしか残ってない。


 身体も、それ以上に心もだった。


 あれだけ頑張った結果は、4番。

 校内偏差値88、なのに4番。

 これ以上何を頑張ればいいのか、私には分からない。

 誰にだって分かられない。自慢だと言われ続け、悔しさは表情にすら出せない。

 得意でも好きでもない勉強を、これ以上頑張る理由も分からない。

 料理の時間を削れば、もっと勉強できるだろう。

 まだ、かろうじて点数はあげられるだろう。

 誰に食べられることもない、工夫を凝らした料理たちを調べ作る時間を削れば、もっともっと上がるはずだろう。

 でもそれは、何より削れない物なんだよ。


 もう限界なんだ、もう終わりたいんだ。


 母の一声さえあれば、何千時間の勉強も、実るから。

 毎日胃の中に押し込んだ残飯も、その顔が見れれば糧になるから。


 だからお願い、扉を開けてよ。







 レンジを使って野菜に火を通し、肉と一緒に鍋の中へ。

 炒めるのは豚肉で、乱雑に切った野菜たちで、玉ねぎは切り方を知らないからそのまま。

 水と煮込んで、ルーを入れ、黙って見つめて、そうしてできる歪んだカレー。

 今までで一番の手抜き、一丸の玉ねぎがふたつ浮かんだ乱雑なカレーライス。

 お盆の上に水と乗せて、私は廊下へと出る。


 今まで私の作るご飯に手をつけず、母はどうやって生き延びているのかなんて目を向けないできた。

 目を向けてしまえば、何かが壊れてしまう気がしていたから。


 ホコリが舞う廊下。

 いつもは置いていたスペースを踏みつけ、私は言った。


「お母さん、ご飯だよ」


 呼びかけても、返事は無い。


「お母さん、ねぇ、ご飯の時間だからそろそろやめてよ」


 鳴るのは、コントローラーの音だけ。


「まだ、素材が足りないの?

 ならさ、後で一緒にやろうよ。一緒にやれば直ぐに集まるよ。ほら、私は新しく始めるから足でまといかもしれないけど、でも直ぐに追いつくから。お母さんを埋めてくれたキャラクターと同じくらいになれるように、頑張ってレベル上げるから。そりゃ、私が産まれる前からだから差はだいぶあるんだろうけど……でも頑張るからさ。横に立って、支えられるように頑張るから。

 だから今は、扉を開けてよ……」

 

 扉の先からは、何も聞こえてこなかった。


 ツンと鼻にきた香辛料。


「うぼっ……!ぐえっくっあっ……!」


扉越しに、母が吐いた。

嘔吐く音。カレーを前に、固形混じりの液の音。

途端にくる刺激臭。

下の隙間から、じわりと滲む粒の波。



見えたときには、涙が漏れてた。

嗚咽しながら、泣いていた。


何してたんだ、こんなのつくって。


吐く程なの、ねぇ。これだけたっても吐いちゃうの。

私を見ると、まだあの人を思い出しちゃうの。

この匂いを嗅ぐと、まだあの日々を思い出しちゃうの。

じゃあ、なんで私を産んだの。あの人が一番なら、私はいらなかったんじゃないの。二番目も欲しかったの。欲張っただけなの。妥協できないくらいの二番目を作って、何がしたかったの。


「大好きなんて、嘘つき……」


それは私もだ。母が笑っていたらなんて、欺瞞だ。誰かの幸せなんて、自分に余裕が無くなれば毒だ。笑えるか。

無理だ。無理だよ……。



 まだわずかな可能性にかけてかけていたくて、開かずの扉にカレーを置き、加速する鼓動に身を任せ、私は衝動的に台所へ向かった。

 そんなつもりは最後までなかった。だけど、思いと事実は比例するわけじゃない。

 とうとう最後の1匹になっていた金魚を前に、私は握った。

 こういう時に備えて包丁を使い方をちゃんと学んでおくんだったと、強く、強く後悔した。



――――――――――――――――――――――



気づいたら知らない部屋だった。

何も無いただ広い真っ白な部屋。


「応急処置はした。目が覚めた以上、これ以上の悪化もないだろう」


目の前の男にそう言われて、私は左腕の包帯に気づく。


「無事、なんですか」

「いや、残念ながら断言はできない。悪いけど、僕は医者じゃない。傷口は塞がろうと、乱暴な傷だ、どこかしら異常が残ってしまう場合だってある。今の君の腕は極値を通過しただけ。範囲の外じゃで連続かどうかすら判別できてない、言うなれば、概形未定の状態さ」


 男に言われて、何度か手を握りこむけど、彼の言うほど異常があるようには思えない。止血してくれた手前、こんなこと思うのはいけないと思うが、少し大袈裟がすぎる。見た目の割に、臆病なんだろうか。


「一応確認だけさせてくれ、これは君が望んでの事かい」

「……そこまでのつもりはありませんでした」


 深く届きすぎた事故だった。

 と言っても、何を気をつけていればと言われれば分からない。手の震えが止まらなかったとかそんな事だろうか。


「どうだい今の気分は、嬉しいとか悲しいとか」

「いえ、特には」

「おぉ、生死をさまよった割には随分肝が据わってる。まあ、いちいち驚いてもられないか。そんなことに時間を割いてたら話も進まないからね」



 彼は自分を神様だと言った。

 不思議な力があるのは本当らしく、手品では済まされないような奇跡を目の前で起こす。

 私をここに連れてきたのは、言うまでもないこの傷のせい。一度死んでしまえば、神を持ってしても助からないらしく、後一歩という状況まで追い込まれたこの身体を思ってのことだったらしい。


「秋野暁音、中学3年、15歳。間違いないね」


 手帳のようなものから私の情報を読み上げる彼。

 片手に収まるサイズで100ページにも満たないそれには、私以外も書かれているんだろうか。神が扱う道具にしてはやけに親しみを感じる装丁で、とてもじゃないが大多数の人間は抜け落ちているはず。あのサイズのものを仮に何万と持っているのならば、図鑑のようにひとまとめにしてしまう方がよっぽど合理的だろう。


「事情は大方分かってる。君が何をしてきたかも大体はここに。数学、好きなんだってね」

「嫌いです」


 想定外の返事だったんだろう、瞳孔が少し開いてた。


「毎日数時間と相手して、愛着も湧かなかったのかい」

「仮に湧いたのだとしたら、それは、数学にじゃなくて、周りより優れてる自分へです」

「なかなか手厳しいね。どっちも一緒くたにして愛着で括れれば、代物入れる以外の介抱を自分にしてあげられたんだろうけど」

「……それは、あの人との事を言ってるんですか」

「あの人」


 口に出し反芻するような振りをするけど、本当に事情がわかってるならわざわざ明確にしなくたって分かってるはずだ。


「悪いのは、私です。あの人は、ちゃんと母親でした。

 あの人がくれた言葉は、忘れることなく全部親の包みの中、害するものなんて何もない。破いたのは、私です」

「自白らしくに言う必要は無いさ。君を責めたいわけでも、罰したいわけでもない。僕は安楽死だって肯定するタチだ。命を粗末にするな、なんて死んでも言わない。自分の物だ、好きに使うのが一番だろう」


 そうはいったけど、私をこの世に繋ぎ止めたのはこの男。彼が言葉通りの振る舞いをしていたのなら、今頃、私はここにいない。

 赤黒く染まった生地の面積が何よりの証明。




「さて、君はこれからどうするつもりだい」


 私より高い目線で、彼は問いかける。


「どうは、しないと思います」

「じゃあ、ずっとここかい?」

「それでも、別にいいって思ってます」


 私の言葉に彼は、お腹すいたらどうするとか、お風呂や洗濯はどうやるとか、そんな、求めてなんかない現実を持ち出して指摘した。

 私はそれをのらりくらりと、子どもっぽい理屈で返す。

 「その時になったら考える」なんて、その場しのぎでしかない回答だけを繰り返して、ただ時間はすぎていく。

 彼も彼で、私を純粋無垢な女の子だとでも思っているのか、平行線の進まない会話に、荒らげたり、手を出したりもせず、無数にある粗を少しづつあげ続けるだけ。


 何も生まないこのやり取りに嫌気は刺さないし、かと言って面白みを見いだしたりもしない。時間が過ぎていくのを、俯瞰的に眺めているような気分。日の短さを憂いだのが嘘のように、なんの罪悪感もない。


 スっとでて来る言葉たちは、空の肺から何個でも。



 途中、男から聞かれた質問の一個。


「やり残したことは無いのかい」



 その時だけは、グッと堪えて


「ありません」


 私はそう答えるので精一杯だった。







「僕の本心を言うならば、選んで欲しくは無い。だけど、一つだけ道を示してあげられる」


 彼の言葉に導かれ、私は緑の切符を手に取った。

 異世界、あの人がどこにもいない世界。

 もうひとつの現実がそこにはあるんだと、彼は言う。


 私がほんとに欲しかったものはきっとそこには無い。 

 なのに気の迷いなのか、私はそこに足を踏み入れた。

 待っていたのは、何不自由無い理想郷。

 多額の現金と自由な環境、私の悩みの全ては打たれるように吹き飛んだ。


 三年の寿命の知ったのは、それから1ヶ月後のこと。

 だけど今更、戻ろうとは思えなかった。

 悩み方を忘れ、痛がり方を知らぬ私は、ここでこのまま朽ちたくなっていた。

 少しずつ豊かに、楽しくなっていく心を私は抱きしめたままでいたかった。


 自分の節々にふと垣間見える母の姿に、いつしか怒りではなく懐かしさを覚えるようになった。

 ああ、きっと私はあの人を許したんだろう、そう思ったけれど未だ私は異世界のまま。

 日に日に遅くなる就寝に何かを感じながら、私は今日も目を閉じる。

 目を開けた先が、変わらないことを祈りながら。

読んでいただきありがとうございます!!!

よろしければ評価の方よろしくお願いします!

作者のモチベーションに大いに繋がります……なにとぞm(*_ _)m

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