ムーンシャフト
あーあ、酷いこと言っちゃったな。
甘いとか簡単じゃないとか、一体どの口が言うんだろう。私だって、ただ逃げてきただけだって言うのに、説教なんて。…………笑っちゃうね。
狭い檻の中から見えるのは一面の荒野。
これが悠里くんがやったやつかと初めて見た時は驚いたけど、半日も経てばもうすっかり見慣れた。
荒野の真ん中に四角い檻が一つ、夜風がびゅーびゅーに吹いて少し寒いけれど、鉄格子の前にいる彼の方がパーカー姿の私より薄着で寒いだろう。悪いなぁ、私のために無理させて。
「ねぇ、寒くない? 着る?」
私は彼に話しかけた。
「……」
だけど、背を向けたまま返事は無い。
それもそうか、だって見張りと囚人だもん。
あって十数時間、交わした言葉は数える程しか。
関係が深まるタイミングなんてどこにもなかった。
残念、最後の話し相手になって欲しかったんだけどな。
「貰えるものは貰うが」
「……うそ、喋った!?」
私を攫ってからほとんど喋らなかったのに、なんで、このタイミングで……。
「そんなに寒かったの」
「そうじゃない。退屈そうにしていただろう、慈善だ」
「……ああ、そう」
「麁雑に扱われるならまた黙る。俺はただ貰えればそれでいい」
とは言いながら、こうして雑談に乗ろうとしてくれる。
あの自称神様といい、男っていうのはどうしてこう正直じゃないんだろう。
「じゃあ、少しだけ話してもいい」
黙ったままの背中を肯定と捉えて、私は話し続ける。
「私ね、お母さんになってみたかったんだ」
誰かに相談しようと思ったことなんかない話題でも、いざって時には、スっと出るものなんだと少し驚く。
「知らない」
「聞いてよ最後まで」
多分、相談相手は間違えてるけど今さらチェンジなんて出来ない。添い遂げる相手はこの人だって、もう決めたから。
「もし、子供が産まれたら、その子が一番ってなるものなのかな。
私、孤児院の手伝いしてたんだけど、それでもこの子達の為に自分が犠牲になれるかって思ったら、やっぱり無理だったの。いつまでたっても、自分が一番なんて指針が揺らぐことは無いもの。親になんてなれそうもない」
「犠牲になろうと思う親などいない」
「ほんと? 色々犠牲にしてると思うけど」
「するもしないも親の勝手だ。エゴだと思え」
「エゴって……。薄情者。あなただって、子供だった時代があるでしょうに」
子供の頃に迷惑かけたことないなんて子、いるはずないもの。
「だから言える。親という役割に縛られたごときで、人の心が変わるはずが無い」
「子供が出来ても? 」
「己が責任を果たすために役割を演じているに過ぎない。安易な心変わりなど出来るものか」
「……それも、そうなのかな」
私の知る実例は2つだけど、どちらもそう言われたらそうだったのかもと納得してしまえた。
「じゃあ、もし両親が優しく接してくれたなら、それも演技ってことなのかな」
「知らない」
「発言に責任をもってよ」
彼はため息をついてから言った。
「ただ、その時のそいつが優しかったってだけだろう」
「ふーん、曖昧だね」
お母さんは、優しかった。世間的に見れば、ガサツで不真面目な手本にしちゃいけない種類の母だったけれど、私に接するあの時の笑顔は何よりの愛情が籠っていた。2人で畳む洗濯物も、電子レンジの音が鳴ってからやっと気づく料理も、どれも大事な思い出で、かけがえのない大切な私の宝物。
いつまでたっても忘れられなくて、いつまでたってもあの時のことを思い出して、いつまでもあの日の母を夢に見る。
決して嘘じゃない、偽りなんかじゃない、役割とか演技とかそんなんでもない。
だけどでも、あの日からの母が本物なんだ。
私が産まれる前からずっと抱えてた心が、酷く傷んで耐えきれなくて、私を見る度締め付けられて苦しくて吐いてしまうほどに、私を拒絶する。
私より父に救われて、父を愛して、父に抱きしめられていたかった母が、ほんとのほんとのお母さんなんだ。
「あなたは、どうして帰るの? 」
どこか諦めがつき始めた私は、彼の方に話題を移した。
「命を貰うんだ……言う義理はあるか」
星が瞬く寒空の下、白い息を吐いてから彼はただ一言。
「女を一人、置いてきた」
また曖昧な返答だったけれど、今はそれでもいいと思えた。
「そっか、なら仕方ない」
「決心は着いたか」
「もう少しだけ、待って欲しいな」
こうして待たせていく間にも、時間はちゃんと過ぎていく。
早く渡しちゃえばお互いのためなんだけど、まだもう少しだけ、生きてるって味を噛み締めていたい。
最後のわがまま、ごめんね。
「ねぇ、お名前聞いてもいい」
「……新田」
「娘さんは?」
ほんのわずか、だけど背中でわかるくらいには驚く彼。
「馨」
「そっか、かおりちゃんか。いいお名前」
それからは、お互いそれ以上何にも言わないでまた、無言の時間が過ぎていく。
ああ、月明かりが綺麗だな。




