アカネの日記2
5月末、初めての中間テストが終わった。
結果としては、真ん中よりほんのちょっと上くらい。
私立の中学ということもあって学校自体のレベルはそれなりに高く、油断すれば一瞬で最下層まで転げ落ちてしまうほど。
あの日から、私は放課後を勉強にあてていた。
入学早々行われる様々なイベント事を突っぱねて、母が待つ家へと帰り、団欒が済めばあとは勉強。趣味は読書くらいに減って、あまり味のしない生活だと自分でも思う。
でも、そんな日々の成果が壁に書かれてるこの順位。
自惚れていたんだと痛感した。
「学校で何かあった? 」と、晩御飯時に母にきかれた。
そんな表情をした覚えは無いのに、ついうっかり漏れ出てしまっていたんだろうか。
玉ねぎと人参が入ったトマト色のスープを喉にくぐらせてから、私は「ううん」と返す。
心配させない。そう決めてたった2ヶ月目でボロがでる。
自分という人間のだらしなさも痛感する。
だらしなさで言うなら、見た目にもだった。
身だしなみは毎朝整えている、寝癖も治すし顔も洗う。
髪型は校則を破らない範囲に抑えてるし、シャツやスカートも毛玉はとってシワはのばす。
これといって意識して変えたことは無いけれど、最低限、今風の女子中学生を演じられている自信はあった。
だけど、演技は天然には適わなくて、徐々に浮き彫りになっていく。
梅雨入り間近、むし暑いこの季節の体育を好んでる人はいない。その中でも私は特に嫌い、いや大嫌いになった。
体育終わり、教室の角で着替える私を、周囲の彼女たちは奇妙な目で見ていた。
他人よりは汗をかくこの身体をタオルで拭う。その行動におかしな点は、無かったはず。
一足先に着替え終わった私は、制服に身を包み、次の授業の予習に入る。
一方で、周りのクラスメイトはヒソヒソと私を笑う。
ガリ勉がそんなに悪いか、と半ば反骨心で無視を決め込んでいたが、「本当は、男なんじゃない……? 」というどこかから聞こえたその声がきっかけで、私は自分を恥じた。
彼女たちの手には、アルミ素材であろうカラカラと音が鳴るスプレー缶があった。
シューっと音をたて、自分の体に霧を吹きかける。
意識すると途端に香り出す、花を煮つめたような匂い。
まだ下着姿の彼女たちは、首元や脇のあたりに、もう二度と汗をかかぬよう、念入りに吹く。
誰の目から見てもやりすぎな量なのは分かったが、そんな事は私にとってどうでもよかった。
制汗スプレー、ドラッグストアで見かけた事はあった。
存在だって知っていた。効果だって分かってた。
でも、そんなの、私の日常にはなかったんだ。
小学校までの六年、男女が共に着替えるようなあの空間には、そんなものはどこにもなかったんだ。
公立の小学校から、私立の中学へ。
単に学校が変わってルールが変わった、それだけのことだけど、女の子である彼女たちは、女の子であろうとする彼女たちは、自ら手に取ったんだ。
自分をよく見せるためかもしれない、汗なんてかきたくないって最もな理由かもしれない。
でも、それは意図してなくても、この空間においては、自分が女の子である何よりの証拠だった。
仮に手元になかったとしても、きっと忘れたと言って振る舞うだろうし、もっと素直な子なら、ありのままで友達のそれに手を伸ばすんだろう。
今の私みたいな、完全に孤立した私のような存在にはならない為に。
みんなの範疇の内の、女の子であり続けるために。
スプレー缶ひとつで他人を見下す愚かさは、今はいい。
ただ、今まで無意識に乗れていた波の上に、今は自分はいない事に初めて向き合ってしまっただけ。
教室の外から聞こえる男子の声を気にもとめず、彼女たちはおしゃべりを続けていた。
もちろん、その輪の中に私はいない。
どうやら私は、女子中学生になり損ねていたみたいだ。
本格的に梅雨が始まって、外に出ることは学校以外じゃめっきり無くなった。
お休みの日は母が決まって私に尋ねる。
「どこか、お出かけする? 」
万年引きこもりだった母からは到底出るのことの無かったであろうセリフも、2ヶ月と続けば徐々に慣れてしまう。
私に気を使ってくれてるのはすごく嬉しいけど、私としては母のしたい事をしていて欲しい。でも、母の好意を無下にするのも……なんてぐるぐるを続ける2ヶ月。
作ってくれたサンドイッチを持ってピクニックとか、一緒にアウトレットに行ってみたりとか、柄にもないことを色々してみた。だけど、会話もなんだかぎこちなくてだいたいヘトヘトで帰ってきて、お休みのはずが毎回体育祭の日くらい疲れる。
……まあ、楽しく無かったわけじゃないけど。
不覚にも親子らしいなんて思ったりもした。
でも違う。私たちはこういう最もらしい母子に収まる関係じゃないの。
とまあ、そんなこんなで訪れた肩慣らしには絶好の機会。
この梅雨で、母には引きこもりとしての感を取り戻してもらおうじゃないか。
「うっし!」
早朝朝5時、洗面所にて私は1人で手を握りしめる。
ビニール袋から乳液と化粧水取り出して、初めて塗って、よし、気合いも十分引き締まった。
これよりお母さん・引きこもり・大作戦、開始だ!
――――――――――――――――――――――――
6時半、リビングのドアが開く。
入ってきたのは、母、――日子。
入ってそうそう、何やら目を見開いて驚いている様子。
「おはようお母さん」
「……どうしたの朝早くから」
「たまにあるでしょ? 早く目が覚めちゃう日」
はぁ……と、半分納得したような表情をした後、今度は肌で異変を感じる。
「なんか、肌寒く、ない? 」
6月、雨が降っているとはいえ、暦の上ではだいたい夏に位置する季節。いくら朝と言えど、寒いなんて口にすることは滅多にない。
季節外れもいいところの気温。
こんな温度の部屋、自然にはできない。
それこそ、人為的に操作でもしなければ……。
そう、犯人は私。
「エアコンつけたの。16度、風量マックス、ハイパワー」
「……え? 」
暑がりでも凍えるほどの冷房は、このエアコンが出せる最も低い温度。
昨晩から用意したキンキンの空気は、声をにぶらせ、身の毛を震えさせ、細胞の一つ一つをも凍らせる絶対零度。
……いや、さすがに大袈裟だね。
ともかく、このリビングはただ事じゃないほど寒い状態。
「なんで、暁音ってそんなに暑がりだった……? 」
久々に気が動転している母を見られて、私も研究の成果があったというものだ。
「いやぁ、最近肉付きが良くなってきちゃってね……。いやでも、さすがに寒すぎだわ。お母さんも使う? ブランケット」
そうして私は、この手に持っていた桃色のブランケットを母に差し出す。
これこそが、だらける為の必須アイテム其ノ壱。
上半身を覆えるだけの一品だが、その実力は折り紙つき。
なんせ、去年の冬には引きこもり日本代表クラスだった母本人が愛用していたのだから。
歩く時には、必ず両手で端を持って身を包みながら。
ミノムシのような見た目さえ気にしなければ、人がとれる強化フォームの内でもトップクラスの有用性だろう。
母は「う、うん」と、少し戸惑いながらも受け取ったブランケットで自分の体を包み、どうにかこうにか暖をとる。
「ほら、頭まで被って! こうだよ! 」
「えっ、うん……」
そうして2匹のミノムシが出来上がった。
母がピンクで、私のがミドリ。
並ぶとますますマスコット感がでる。
たしか、こんなポケモンもいた気がする。虫タイプ? だったっけ、後で母に聞いてみよう。
さて、それなりの電気代をかけてまで用意したこの寒さ。
寒さこそ、生き物による引きこもりの本質。
冬眠とはなにか、今一度分析することで見えてきた結果。
それがこの領域、強制引きこもり空間。
朝のまだ覚めきらない眠気も相まって、必中必殺。
確実な引きこもり欲の促進が約束されるのだ!
そして私は尽かさず二の矢を放つ。
「ごめんね、ほら、暖かいスープでも飲もうよ。テスト勉強の時にお夜食用で買ってたあまりが有るから」
わざと寒くさせたのに、ここで手渡すホカホカスープ。
矛盾しているように思うけど、凍えるような私たちにとっては砂漠における水と同価値、目の前にあったら飲まずにはいられない、初めからそれが狙い。
ポットでお湯を沸かしたら、2つに注いでテーブルに持ってく。
ちなみに、カップスープなのがキモ。
引きこもるのにわざわざ洗い物を出すのはナンセンス。
真にだらけるのなら辛さの前借りは必須、前日に買いに行く手間を惜しんじゃいけない。
「久々だね、レトルトっぽいの」
「そう……だったね」
ズズズッと、少しずつ喉を通ってスープはお腹の辺りまで。中から感じる優しい温かみで、不思議と気分までポカポカしだす。
「はわぁ……お母さんのスープには敵わないけど、こういうのも悪くないね」
そんな言葉も、ついとび出る心地良さ。
子供の頃は朝の味噌汁とか何が良いのか分からなかったけど、楽しむべきは味じゃなくて、このゆるふわな脱力感。
ダイニングチェアに四肢を投げ出して、温かみだけに包まれる幸せ。夢でも叶ったような気分にさせられて、目の前にチワワとポメラニアンのまぼろしまで見えてきちゃう。
……いや違う、今回の被験者は、私じゃない。
肝心の母はと言うと、私ほどは進んでない様子だった。
まあ、朝一番だし食欲が湧かなくても不思議じゃない。
最終的には、全部飲んでいたし、結果オーライと言ったところかな。
さすがにずっとこのままだと逆にストレスが溜まるから、エアコンは後で止めるけど、身体がだらけきるまではなるべく保つ。
リラックスするなら、周りを冷やして、自分を温める。
これが私なりに研究した、だらけるための環境整備。
母は気づかないかもだけど、地味な工夫も実はあって、例えば部屋にある時計を外してあったり、エアコンの消費電力表示をテープで隠してあったり。
普段は役立つ情報も、だらける時に限ってはノイズでしかないから徹底的に排除する。
机の上に置いてある物も、スーパーとかのチラシは捨てて、雑誌とか漫画とか。
勉強する時はスマホを部屋に持ち込まないのと逆の発想。
現実から遠ざけて、気が散るものしか部屋に置かない。
そんな研究の成果があったのか、普段よりはリラックスしているのかな、カーテンを締め切った部屋の中で今日の母は手元にあったゴシップ系の雑誌を読んでいた。
ザアザア降りになってきた雨の音は、確実に外出欲を減らしている。
さて残すところ、あと一歩。
あとは母が自発的に、テレビ下のSwitchに手を伸ばしてくれれば、今日の目的は達成、パーフェクトクリア、ゲームセット、オールオーバー!
母の目の前で平然を装いつつ、ノンカフェインのコーヒーをちびちび飲みながらマンガを読んでいると、
「暁音……」
雑誌から顔を上げた母が、私の名前を呼んだ。
少し油断してうわずった声で「えっ、な、何ぃ……? 」と私は返事。
ゲームのお誘いが来たのかと、爆発しそうな期待を抑え込む。
だけど次の瞬間には、私は、母の顔を見ながら自然と、指で押えていた読みかけのマンガをパタリと閉じていた。
母のブランケットは気づいたら膝の上。
もうぬるくなった部屋の空気。
今は魅力を感じられないカップスープの空き容器。
あの雨は何故かあがり、曇り空には光が差し込む。
私が醸した邪気は払われた。
「えっとね、お買い物行こうと思うんだけど、一緒に行く? 」
そう言って母は、吊り上げたような笑みを浮かべる。
無理に笑い慣れてないのだ、母は。
「……うん、行こう」
いつの間にか床に逸らしてた顔を上げて、私も笑う。
そして多分、私も似たような笑みなんだろう。
「それなら早く準備しないと。ちょうど今、雨、上がってるし。私、カバンとってくる」
自然を演じたくて、足早に私は部屋を出ようとした。
「必要なものがあったら言ってね。お友達付き合いにだって、きっと少しくらいはお金かかるでしょう? 」
だけど、不意の言葉にブレーキをかけられた。
「えっ、うん、そうだね」
きっと今1人になったら、私はどうしようもない虚しさに襲われる。
母が知る私は、たった少しのお金さえあれば友好関係を維持できる女の子。お祭りに行く時に千円だけあれば、笑顔で帰って来れるような、そんな女の子。
けど、実際は、ビニールに入れっぱの制汗スプレーを持っていく勇気すら出せず、もとより築ける間柄の友人もいない、思い立った事の結果も出せなくて、こうして母を働かせてしまう。
「暁音……? 」
「ううん、なんでもない」
何がなんでもないんだろう。
いつまで立ち尽くすんだろうと、不安になるほど動けないでいる私の体。
でも、それを動かしてくれたのも、また母だった。
「……ありがとうね」
何がって、そう言いかけたけど、今はその言葉が身に染みて、黙ったままだった。
やっと部屋を出られた私。
その後ろでボソッとだけど聞こえた言葉は、私の足をさらに進ませた。
「でもね、ごめんねこんなお母さんで」
もう二度と、そんなことを言わせたくない。
もう一度、母を引きこもらせる。
決意を固めるために、私は洗面所に走った。
そして、それから1ヶ月後。
ある日を境に、母は、部屋から出てこなくなった。
読んでいただきありがとうございます!!!
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