アカネの日記 1
私の母は、喪女だったらしい。
母は、裏表もないような正直な人で、よく言えば素直、悪く言えば自分勝手。
「ほらっ!これ、アカネんに絶対似合うよ!」
アカネんとは、7歳までの私の呼び名。ラブラブなカップルの呼び合う痛いあだ名、というより、ゲームとかで使うようなハンドルネームの感覚で、幼いわが子をそう呼んでいた。
「うんうん、いいじゃん!似合ってんじゃん!」
くすんだ赤色のパーカーを試着させ、大袈裟くらいに喜ぶ母。その横で、ブスッと死んだ目をしてる私。
母の傍若無人っぷりにはだんだんと慣れていったけど、この時の私には明るく振る舞う余裕なんてまだなくて、なんとも言えない表情で収まってる。
この時の写真は、今でもリビングの隅に飾ってある。娘のこんな顔を飾るなんて悪趣味としか言えないけど、でも、この写真くらいしか、母とのツーショットなんてないから、しょうがないとも思ってる。
家族構成は、父、母、私の三人家族。兄も妹も、その逆もいない。ペットと呼べるほどじゃないけど、半年前くらいに友達といった夏祭りで捕った金魚が3匹ほど。餌を独り占めする大きいやつを、そのわがままさから、たまに母と重ねて眺めたりしているけど、実際は、そこまでじゃない。
ちゃんと洗濯とか、料理とか、家事って家事はしてくれている。3日にいっぺん轟音をかき鳴らす洗濯機や、7割レトルトのディナー、父の買ってきた食洗機と、私の少しの手伝いで、我が家は何とか回っている。
「ねぇママ、今日は晩御飯私?」
「ん!あーちょっと待って!あとちょいで上がるから!」
扉の後ろからカチャカチャと、コントローラーを操作する音。わぁ!とか、ちょっと!とか、独り言も混じる。
「今の絶対当たってないってもう……! ごめん、晩御飯できるの15分遅れそう!」
「えーまたやられたの? 昨日もじゃなかった?」
「だってさ、範囲バグってるってこれ!」
「我が家の敵はタイタンか。変な家だねホント」
私が部屋に戻る時も、後ろから絶えずに独り言。12年前、この世に私が生まれる前に、VTuberという職があったとしたら、きっと母は数億円くらい余裕で稼いでいたと思う。今からでも遅くないと思うけど、「2人がいれば十分だよ」なんて言うから、あれだけやってても収益はゼロ。撮影すらさせてくれない。嬉しいことは言ってくれるけど、一日の半分部屋にこもってたら、説得力ないんだよなぁ。
塾の復習を終えて部屋から戻ると、リビングにはカレーのいい匂い。
カレーは母の得意料理。理由は、一つ。1番手間がかからないから。
「おっ!ナイスタイミング!出来てるからお皿盛って食べてねーママ縄跳びしてくるから」
「はいはい。今度は死なないでね、明日、朝ごはん抜きだとマラソンで倒れちゃうから」
「わーってるよ。少しやったらたら、ちゃんと寝るって」
親と子が反対みたいなこの会話も、我が家じゃ日常茶飯事。友達とかに聞かれたら、縄跳び?ってきっと首をかしげられちゃうことだろう。
母と入れ違いで入ったキッチンで、ご飯をお皿に盛って、鍋蓋を開ける。
ひと目でわかる、我が家のカレー。ひと月前の冷凍豚バラに、乱切りのじゃがいもとにんじん。そして、一丸のままな玉ねぎが3つ。
しっかりと火が通って、というより熱が通ってて、スプーンがすんなり入るくらいのやわらかさ。こんなズボラな逸品がカレーとして成り立っているのは、間違いなく電子レンジのおかげ。
「コツはね……ラップをかけて、二回チンチン!」とかなんとか。
大抵の料理は乱切りで成り立つから、じゃがいもとにんじんは、買ってきた時にまとめて切る。玉ねぎは、みじんだったり、くしだったり、用途がありすぎるから基本使わない。使う時はカレーだけで、こんなふうにまるまるドポン。おかげさまで、NO包丁。面倒くさがりの編み出した、本人曰く、究極の料理だそう。
めんどくさかっただけなのに、盛り付けてみると不思議と映えを狙ったみたいに見える。写真には撮ってみるけど、インスタにはさすがにはあげない。お母さんいつもありがとうをみんなに見えるところでなんて、私はそういうキャラじゃない。
食べ終わって、ドラマみながら勉強してると、10時半くらいに父が帰ってくる。
「ただいま」
「ん、おかえりー」
「今日もカレー?」
「うん、我が家のカレー」
「そっか」
父との会話はいつもこんな感じ。小さい頃から、父とはあんまり会話が弾まない。厳格な人かって言われたら、全くって言っていいくらい正反対。スーツが似合わない、いつまでたっても新入社員みたいな見た目で、ちょっと頼りない。地毛の茶髪も相まって、こんなこと思っちゃいけないんだろうけど、昔は結構な遊び人だったように見える。
「ねぇお父さん、なんでママと結婚したの」
「え、あー、うん。まあ、色々あるんだよ、色々」
とまあ、こんな感じの。弾まない、以前に会話にならない。私のこと嫌いなんじゃないかって思うのは、私が思春期だからだけど、それでも昔からこんな返事しかもらえないと、そんなことも思っちゃう。
中学の同窓会で付き合ったって聞いたけど、なんで母は、この父と結婚したんだろうと、今でも疑問に思う。趣味なんて全く合わないし、中学時代は、一言も会話したこと無かったらしいし。
「パパね、すっごい良い人だった!だったって、今もそうなんだけどね。私なんかを貰ってくれてさ、似合わないって言ってるのに、結構するバッグとか、無理してまで買ってくれてね……! それにね、その、結構かっこいいでしょ?」
「いや、まあ、そうだけど……」
「暁音もパパに似たから、こんなに可愛くなっちゃって……!私と違って頭もいいし、くれぐれも私みたいにならずに、パパみたいにいい人になって、出来れば、私みたいなのを救ってあげてね」
直接理由を聞いても、母はいつも惚気話に帰着させてしまう。喪女ってのも、この時きいた。辞書にも載ってなくてなんなのか検索までしたけど、モテない女だったなんて、娘に話す内容じゃないと思うし。父も父だけど、やっぱり、母も母だ。
こんな我が家でも、意外と季節行事は行われてる。
「ちょっと、クリスマスは何もしなくていいのか?」
こういう時にだけ、父は私に話しかける。お祭り好きなだけなのかとも思うけど、毎年、笑顔ではあるけど楽しそうには見えない。
「うん、あー、ケーキくらいは食べたいかも」
「そっか、いつものところのでいいかな」
「うん、ありがと」
金魚に餌をやりながら、一、二言。簡素に見えるけど、これでも普段より会話がある方。
運動会とか、ひな祭りとか、その時期になると、数日前にだけど、欠かさず聞いてくる。夏休みに旅行、とかは、「遠出なら、私はパスしたいかも!」って言う母が居るし、最近は仕事も忙しいみたいで泊まり込みがちょうどあるらしいから無いけど、家の前で手持ち花火をやったりはする。
……考えてみても、分からない。案外、不器用なだけなのかも、なんて。
そんな会話を皮切りに、家の中がクリスマスムードに。
扉の奥で盗み聞きしていたのか、翌日には、リビングにちいさなツリーが、リースの飾りが。
「おはよう、とりあえずこれ被って。期間中は、ポイントにバフかかるから」
「それ、何の話?」
「いいからいいから」
ルンルンで手渡されたサンタの帽子。100円で買ったのを二、三年使い回してるから、さすがにほつれてる。
「うんうん、パーカーともあっていい感じ!まさか、5年も着れるなんてね」
「おっきいのに、似合うの一点張りで着せたのはママでしょ? 」
「だって、膝まで隠れて、袖が垂れてて可愛くって……」
「そんなファッションの子、ゲームの中くらいだよ」
今では笑い草だけど、当時はすっごく嫌だったこのパーカー。もっと明るい、ピンクとかスカイブルーとかが良かったし、サイズが何より不便過ぎて、ハサミかなんかで切ってしまおうかと思ったこともあった。
外に着ていくには、ちょっと小さくなってきたからパジャマ代わりにはなっているけど、こうして未だに着れている。思い返してみると、このパーカーが記憶にある中でいちばん古いプレゼントかも。
「ゲームと言えば、プレゼント、サンタにお願いするのほんとにこれでよかったの?」
そう言って母が取り出したのは、丸書いてお豆2つおむすび1つのピンクの異星人がパッケージなゲームソフト。
「そういうのって、当日まで隠しておくものじゃないの? 」
「まあ、いいじゃない。どうせ、当日まで私がソロプレイするんだから、家にあるのは分かっちゃうでしょ」
「じゃあ、どうせやるなら3人で。貰うの25だと、お父さん、その日から泊まり込みらしいし」
「……!それ採用! お父さんとゲームなんていつぶりよ」
こういう時、母は嬉しさを隠さない。
無邪気に笑って、私よりも子供っぽく笑う。
そんな母を見ると、少し嬉しくなる。
それから数日、少し夜更かしでゲーム大会。
おぼつかない操作の父を、格別の指さばきで助ける母。
その時は、1年の中で最も働き者になる、母。
「やっぱり配信しようよ、顔とか出さなくてもいいんだよ」
「いいのよ、私はお父さんの横でゲーム出来ればそれで」
クリスマスイブには、父はいつもよりもずっと早く帰ってきた。左手には、注文の通り、ケーキ。
ちょっと豪華な晩御飯の後、3等分して、囲んで食べる。
こんな時でも、父はどこか居心地悪そうに、あんまり喋らないでいる。
「そだ、暁音。今更だけど、ほんとに私立受けてくれるの? お友達とか、離れちゃうでしょ? 」
「うん、大丈夫だよ」
「最近も、遅くまで付き合わせちゃって大丈夫? 」
「平気だよ、急にどうしたの? 」
「なんかね、急に不安になっちゃって」
「らしくないよ、ね、お父さん」
「……ん、ああ、うん。そうだね」
やっぱり、へんなの。
食べ終わったら、今日が最後の、冒険者三人。
数日やれば父も少しは上手くなってて、足引っ張っることはなくなった。それでも、母には遠く及ばない。
この数日で得た経験値も、きっと来年にはパーになってる。でもまあ、それでもいいのかな。年に1回くらいでも、こうしてらしい事できるなら。
家族で過ごせたら。母が、横で笑っていてくれるのなら。
それは、春先の事だった。
「心配かけたくなくて、こんな時期まで、黙っててごめん……」
ケーキを囲んだあのテーブルで、父は頭を下げていた。
自宅には似合わない他所向きの格好で、私達に深々と、10秒くらい。
「非常識、よね。本当に申し訳ないわ……」
その横には、父が連れてきた知らない女性。
まだ、起きて3時間もたってない。
客観的に見て、綺麗な人だった。
納得がいった。父に感じてた違和感が消えた。
2人は3年も前から、でも厳密に言えば、20年前から。
彼らはいわゆる元カレカノの関係で、母と会う頃には終わっていた。再開は、これまた同窓会。高校時代が忘れられなかったらしく、至るまでは時間もかからなかった。
やっぱりとは思わなかった。けど、驚きもしなかった。
ショックとかそんな気持ちもないけど、心配だけはずっとあった。
だって父は、あの人は、母にとってどれだけ大切な存在だったか。嬉しそうに、にやけて語る母の顔は、どんな母よりいきいきしてて、たのしそうで。
怒りたかった、怒鳴ってやりたかった。
胸元掴んで、12年分の思いつくだけの罵倒をあびせてやりたかった。
でも、出来なかった。
だって、母は、何も言わなかった。
母は二人の前で、私の前で、涙一滴、見せ無かったから。
二人が消えて、数日後には荷物も消えて、味気ない部屋になってしまった。
入学手続きも重なってバタバタの数日間。うっかりじゃあ済まないけれど、水の入れ替えも、餌やりも忘れてた水槽の金魚は、いつの間にか2匹に減っていた。まるで、私と母のようだと、また勝手に重ねてるけど、やっぱり水槽とは違う。そう簡単に、この空気は入れ替わったりしない。
あの日から、母はゲームをやめた。
カレーもやめた。
ずぼらをやめて、手抜きをやめて、"ママ"であることをやめた。
「お母さん……」
「どうしたの、暁音」
「いや、その、大丈夫……疲れてない? 」
「ううん、心配しなくていいよ。それより、お友達はできた? 」
「えっと……まだ、かな」
「そう」
優しい口調は、すごく似合わなくて、リビングにいるのが違和感でしかなくて、窓からは日が差してきて、どうも落ちつかない。
「ごめんね、携帯、名義がどうとかで番号も変わっちゃって。前のお友達とも連絡取れくなっちゃったから、寂しくないかなって……」
「……大丈夫だよ、お母さん」
いつの間にか、母への思いは大きくなってたみたい。
友達なんて、最悪できなくったって構わなかった。私だけが楽しくするなんて、そんなの望んでもいなかった。
いつもみたいに、思いのままに、生きて欲しかった。
何をしてあげられるのかは、分からなかった。
また一緒にゲームに誘ってみたけど、無理をさせてるのは表情からも明らかで、家事を変わろうかと申し出ても、「大丈夫、暁音がしたいことを優先して」とらしくない返事が返ってきてしまった。
私にあるのは、中学生という地位だけ。
できることなんて、目の前にある本分をこなすことくらいしかない。
何かは出来なくても、せめて、何かは起こしたくは無い。
心配も不安もかけさせない、そんな娘になれたなら、きっと、少しは楽になってくれるはず。
掛けてみるしかなかった。いちばん地道で、愚直な進路に。
読んでいただきありがとうございます!!!
よろしければ評価の方よろしくお願いします!
作者のモチベーションに大いに繋がります……なにとぞm(*_ _)m




