人殺し 3
言葉もでない。
実感も無い。
自分があと3年で死ぬ、3年で朽ちる。
「正確に言えば誤差があるはずだけど、そこはもう個人差だから。年齢か体格か、理由は色々あるんだろうけど、どのみち死んじゃうことには変わらないよ。この瞬間も、身体の寿命は一秒ごとにすごいスピードで消えていってる。行き着く先は、その、彼みたいに…」
「どうにかする方法はないの」
「無いよ。元の身体に戻すにも、この世界にはエーテル器官のない人間なんていないから、スキルじゃ再現できなかった。多分、あの神様に会わな無きゃ、元には戻れないんじゃないかな」
つまり、あのチケットは僕の寿命そのものだった。
生涯を全うするための権利、それを僕は知らず知らずに手放してしまった。
今なら全部わかる、暁音さんがここにいるべきじゃないと言った理由も、あのチケットが250億なんてバカげた価値をしているのも。
冷や汗すらかけない失態の大きさに、今更何を言えばいいのか。正解らしい正解も思いつけない。
「じゃあ、戻らないと」
驚くほどスっとでた言葉は、紛れもないこの口から。
自分が何をしでかして、どんな状況に置かれているのか、余命を聞いてすぐよりかは冷静に理解できてるつもりだ。
その上で、この口は、そんな言葉を声にしていたんだ。
「……本気で言ってるの? もう、手遅れなんだよ。君にはもうなんにも残ってないんだよ。貰い物は全部使い切ったでしょ」
「そうだね、なんも無い。だけど、このまま死ぬのは嫌だなって」
僕の人生が250億より価値があるなんて、そんなはずは無い。もしも言い切れるヤツがいるなら、それはよっぽどの偽善者だろう。生きたい、でもそれだけのお金が貰えるのなら遊んでそのまま死んでもいいと思える自分はいる。
「嫌だなって、ホントに分かってるの……!」
「分かってはいるつもりだよ」
「なら、そんなこと言えるわけっ! 」
「あと数日で死ぬってわかっててあんな言葉、僕なら言えない、嘘でも吐けない。もし僕に発破かけるためだけの言葉だったとしても、あの日の僕を動かしたのは紛れもない事実なんだ。今僕は、あの人の言葉に応えたいんだ。それには、日本に戻らなきゃ時間が足らない。だから、戻らなきゃ」
「……ッ! 」
拳を震わせながら、眼前を睨む。
彼女にこんな表情をさせるなんて、僕の言動はよっぽどなんだろう。
計画性もなく、現実味もない。躊躇う事すら躊躇う選択肢に、躊躇いなく進もうとする奴なんて、傍からはネジも百本外れて見える。
いつの間に、僕はそんな大立ち回りを演じられる、いや、客席から奇声をあげられるような人になってしまったのだろう。
道を踏み外すという表現すら、使うことがおこがましい。
踏み外しようがないくらいしっかり舗装されていた将来を、ドリルかなんかで穴開けて逃げ出して、それでまたそこに戻ってこようというのだから、大馬鹿者と言わずに何と言う。
「……君、甘いよ。人生ってそんな簡単じゃ無いんだよ」
今更何を言われても、この決断を変えるつもりは無い。
でも、彼女の言葉はちゃんと届いてこの胸を震わす。
「分かってる。でもっ……!?」
それは、突然の事だった。
まるで彼女の言葉が真になるように、地響きがなって、大地が揺れて、そして、本たちを守るこの遮蔽に巨大な穴が空く。
「ぐるるるるるるるぉおおおおおおおおおおおん?!」
前触れのない叫び声。
哀しみにもとれる竜の一声は、この場にいた全ての人間の鼓膜を強烈に震わせ、身動きどころか思考すら釘付けにする。
どこからともなく現れた混じり色のその竜は、そのまま図書館の天蓋を破り、その下にいた何もかもを圧死させる。
煉瓦も本も人も虫も、皆平等に竜の足元。
質量により四分の一が消え失せた図書館は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化した。
「ねぇ、悠里くん。人が死ぬってあんな感じなんだよ。涙は出た? 何か湧いた? 」
「……! 」
彼女の言葉で、僕は正気に戻される。
それは、目の前の光景を理解するということ。
目の前の現実を、現実だと認めるということ。
僅か先には、さっきまで人だった物。
初めて目の当たりにする人の死に、僕は何を思うことも出来ず、ただ怯えることしか出来ない。
「君がしようとしてることは、こんな出来事を受け止め続けるってことなんだよ。怖いとか辛いとか、君の中にあるその感度をずっと揺さぶり続けていくんだよ。抱えきれるの? 彼の死も、今の死も、この先訪れる身内の死も」
「……」
「死ぬだけじゃないよ。もっと辛いことも、もっと悲しいことも、きっと全部君を揺さぶる。それでもまだ、戻るなんて口にする? 」
正体不明の竜を背に彼女が問うのは、僕が口にした無責任のホントの姿。
憧れや、理想を全て剥がして表れる、生きるという行為の正体。
「動くな。……ひとまず、お前でいい。人質になれ」
「ひっ……!?」
竜の背から一人、みすぼらしい服装の男が飛び降り、運良く潰れなかった受付の彼女に近づいて、そのこめかみに指をあてる。
「俺も転移者だ。事情は分かってる。帰りたいだけだ、譲ってくれ」
男はこの場にいる誰かに問いかけるように、話す。
「無駄かもしれないが、俺は殺す。ここの人間に躊躇は無い」
パンッと放った光線は、僕の後方にいた老人を貫く。
こめかみに当てられた手はそのまま。
時間が経てば彼女もそうなる。
「多分、用がないってわかったらここ一面焼かれちゃうだろうね」
「……えっ」
暁音さんはそう言うと、机の上になにか置いて、おもむろに席を立ち上がる。そして、二色が歪に混ざりあったあの竜の元へと、視線をぶらさず歩いていく。
「……、」
「その人から手を離して。渡すものは渡す、場所を変えましょう」
臆することなく彼女はその男の提案に乗り、あろう事か抵抗することも無く、その身体を鎖で縛られる。
そして竜の背に乗せられた。
「いけ」
「あああああああああああああああああぁぁあうぅ?!」
竜のはばたきで、抑えを失った彼女の居た椅子は吹き飛び壊れる。
幾度の風圧の度に、本が、紙が舞う。
太陽の光が射す最中、純白が散り、その中心にあの竜。
逆光を浴びて影になる怪物に、恐れ戦き、全てがひれ伏す。
僕も当然、例外では無い。
連れ去られていく彼女に、捧げる言葉は何も出ない。
死に嘆く螺旋混じりの骸龍。
ああ、仰ぎ見よ。あれが僕らの焚べる果てだ。
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全てが去り、今手元にあるのは彼女が置いていった家の鍵だけ。日が沈むまで現場に佇んだ僕は、その足で彼女いない家へと帰った。
放心と埋め尽くす絶望。
もしも僕があんなことを口にしなければこうはならなかったんじゃないかなと、意味不明な問答がばかりが頭の中に繰り返し流れる。
あの景色はなんだったのか、あの男はあの竜は。
「帰りたいだけだって……」
あの男も僕と同じ。チケットを失った転移者。
つまり、彼が求めているのは暁音さん本人じゃない、彼女の持つチケット。
あれさえ渡せば暁音さんは帰ってくる、だけどそれはつまり彼女の命が3年で確定するということ。
助けに行く以外の道は無いはず、だけど、この短剣で何が出来る。
居場所も不明、手がかりなんてない。
何より足を踏みとどまらせるのは、
彼女はこんな事、望んでなんか無いということ。
だって最後に見た彼女の横顔は、まるで憑き物が取れたかのような、今までで一番美しい表情だったんだ。
あれが本来の、幸せな未来を生きた暁音さんなんだと思ったら、僕は彼女を引き戻すことなんて出来やしない。
引かれるみたいに、導かれていくみたいに、彼女は自分からその道を選んだ。
二度と戻らずの逃避行。
そんな彼女に、僕は、どんな言葉でおかえりを言えばいい。
ダメ元だった。
縋るしか無かった。
そうして僕は、彼女の部屋の扉を開いた。




