月 1
息を切らして走ったこの通り。あれからもう2日経つのだと思うと、懐かしさより驚きが勝ってしまう。
「突然呼び出してすまなかったな」
上を見上げたまま、語りかけてくるその女性。
暗闇の中、月の光を弾いて輝くブロンドの髪は、いつ見たって美しい。たった一日ぶりなのに、どこか恋しくなってしまうくらい。
先に待ち合わせ場所にいたエリッサさんは、いつもと変わらずの洗練された着こなし。
いつかの警備の時ですらこんな感じだったから、服装だけじゃ、用事がなんなのかまでは分からない。
「綺麗ですね。星とか月」
エリッサさんを追うように見た夜空は、日本のものとは全然違った。
ずっと広がる暗闇に散らばった光が、眩しいくらいにきらめいてる。端から端までを見通せて、澄んだ、なんて表現は青空以外で使うのは初めてだ。
「好きなんですか」
「何をだ」
「えっあっ、星を見るの」
言葉足らずの補足を聞いて、エリッサさんは驚いた顔をこっちに向ける。
目を見開いて口を半開きに、らしくない表情で止まったあと、下を向いて、ふっ、と笑う。
「君はいつも、私の尺度の外に連れ出してくれるな」
どうやら、また意図せず、異文化交流になったみたいだ。
「もしかして、すごく当たり前のことだったりとか」
「当たり前か。君を前にするとそんな言葉は、狭い世界をつくるだけの物だと気付かされるよ」
すごく関心してるっぽいからあんまり強く言えないけど、ちょっと大袈裟なところあるよな。
「星や月が綺麗か。確かに、偏見をとっぱらってしまえば、そう見えてくるのかもしれないな」
「偏見……? 」
「くだらない昔話のことだ」
エリッサさんは、もう一度、さっきと同じように空を見上げた。
「かつてこの空には星も月もなかったと言ったら、君は信じられるか」
「……」
直ぐには、言葉が出なかった。
僕も、また上を見る。
眩い光はさっきと変わらず、そこにあるように思える。
「君や私、その祖父が生まれるよりずっと昔には、この空にはそれらの光源はどこにも存在していなかった」
「どこにも……」
「歴史書には、こう記されている。
大昔、農村の時代を生きた頃に、人類は宵闇に光を求めた。外敵の接近を察知するため、農作や狩りの時間を増やすため。明かりを灯す方法も限られた時代、夜は、何よりの恐怖であり、人々の畏怖そのものだった。
夜を恐れ、朝を欲した人類は、いつからか、敬愛する神に贄を捧げだした。半日を覆うこの闇を祓って欲しいと。無謀に近しい願いのうちのひとつだった。
だが、なんの気まぐれか、神は、それを叶えだした。小さな光がひとつ、夜空に突然浮かぶ。それを見て、人は歓喜し、泣き叫び、その灯火を崇めた。
初めて形になった神を、薪をくべられた人々は縋らぬはずもなく、その土地では当たり前な物として、そして、激しいまでの信仰が行われた。
その欲望は加熱され、くべられた薪をくべかえすが如く、増えた信者は贄を増やし、それに伴って、空に燃える星の火力が増した。
1つだけでは収まらぬ欲求。増やすには、同等の贄。
また、既にある星の維持にも、それなりを有する贄がいる。
留まることを知らぬ人々に枷はなく、2つ、3つと星を灯す。
そして、とうとう、それに手を出した。
神の欲情を満たすための、肉の花束と評された代物。
材料は、100あまりの少女だった。
一度の贄としてくべられた物の中では最多であり、そしてその次の晩、夜空には、またたく巨大な円が浮かんだ」
「……それが、月」
「一時は、繁栄の象徴だったらしい。あの月が大きく、強く光る事こそが全てであり、同族を手にかけつづける愚行をさも当然の事として、贄とされる彼女たちですら笑顔で頷く。この世と地続きとは思えぬ、そんな記録が残っている」
話を聞いていた間、目を離すことなく捉えていたはずの月が、今は不気味が悪く、おどろおどろしく思えてくる。
綺麗だと思えた模様が開いた目のように見えて、まるで、僕らを覗き返してきているようだ。
「怖がらせてしまったか」
「ああいや、少しだけ……」
「価値のない恐怖で曇らせてしまうには勿体なさすぎる。どうか、話半分で聞き流してくれ。失えば、二度は戻らないからな」
そう言って、彼女はまた、空を見る。
「気狂いなまでの信仰は、そう長くは続かなかった。神に変わる技術の訪れ、ロウソクや、エーテル器官の加工法の確立。夜に光をもたらす事は、そう大袈裟なことではなくなった。奇跡なき神を崇め続ける者はいない。土地に根付く宗教は次第に移り変わっていき、神への贄は、いつしか止んだ。その頃には、月や星の明るさも今ほどのものに落ち着いていたことだろう」
「待ってください。今もまだ、月と星は空にある。維持には贄がいるって。信仰は、まだ止んでないんじゃ」
「止んださ」
いつになく寂しげな声でエリッサさんが呟いた。
「抑止力、と言えばいいか。現代で星々を神と崇めることは、悪魔崇拝と同義になっている。発見され次第、それは罪となり、死に相当する罰を受ける。今を生きる人々がそれを望んだ。人だとて、命あるうちの生き物だ。全うこそが望むべき生き方だろう。選民も圧制も、誤ちなるものはいつか途絶える。そして後の世に続くのは、誰かが流した悔いだけだ」
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「ただ、事実として、今も空には星や月浮かんだまま。年々数が減っているとは言え、依然として月に関しては、断固と己を保とうとしている。月の意志と言ってもいい」
「意志……」
「現段階では、月は星々が寄せ集まった集合体であると考えられている。そんなものに自我が芽ばえるとは思えないが、現にやつは、人為的手段に頼れなくなったゆえ、己の使いとも思える魔物を、決まって、日蝕の日に放ち続けている。君が懸念したものとは違うが、ただ、月の餌食はまだ続いてしまっている」
餌食という言葉を選んでいる以上、それは、望んでなんかない不本意な死。
「文字通りの天災に巻き込まれてるってこと」
「天災……と呼ぶには、少し無責任な気もするな。元を辿れば、人々が望まなければ起こらなかった犠牲。予知せぬものだったとはいえ、この世界に産み落としてしまったのは我々、人類だ」
「そう、ですかね」
「我々にとっての障壁は、我々が取り除く他ない。それが祖先が引き起こした物だと言うのなら、背負って立つのが通りだろう」
「でも今の人たちには、やっぱり責任なんてないんじゃ」
「優しいな、君は」
「えっ」
「たとえ、本当は背負うべき物では無かったとしても、現実はそこにあって、それは誰かが手を撃たねばならない物だ。行動を起こす以上、所在不明は許されない。背負って庇う、それは次を繋ぐために、人々がこれまで選び続けてきたただひとつの方法だ。この世界で生きるというのは、その繰り返し。その差に認めきれぬ大小はあるだろうが、それを埋めてくれる可能性は、そんな優しさくらいなものだ。それに、責任という形で自身に杭を打たねば、油断した時にでも間違いかねない。忘れれば、人は、きっとまた誤ちを繰り返す。少なくとも、私はそういう人間なんだ」
エリッサさんは最後に笑ってそう言ったけど、僕には少し厳しすぎるように思えた。
「君は、好きか、ときいていたな」
「えっ、ああ、そういえば」
色々語ってくれたのも、元はと言えば僕のそんな質問からだった。
「はっきり言えば、私は嫌いだ」
「やっぱり、その昔話が理由で」
「大元をたどればそうだが、最も端的に言うのなら、特にあの月は、まるで私そのものに思えるんだ」
さっきまでの話の中に、エリッサさんらしいようなエピソードは無かったはず。
責任の話からそう思ってるのかもだけど、それなら色々背負う立場上、何でもかんでもがエリッサさんになってしまう。
ただまあ、日本人が月にうさぎを自然と思うように、エリッサさんにも見えるものがあって、それが自分を思わせてるのかもと、そう考えれば不思議なことでは無いかな。
エリッサさんは長い髪の端を持って、僕の前に見えるように差し出す。
「この髪色も、まるでそっくり。忌々しいくらいだ」
目をつむって軽く微笑む、そのキリッとした目元も薄柔らかな唇も彫刻くらい整った頬から顎にかけたラインも、嫌う理由が分からない。
なんだか、嫌味なくらいに美しい。
なんだかんだ言って、本当はその美貌を自慢したかっただけなんじゃないのかと、つい、そう思ってしまうほどに、あい変わらず、今日の月は綺麗だった。
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