一丸の玉ねぎ
「ヒモ暮らしはもうすっかり慣れたの? 」
「ヒモっ……!? 」
事実、今僕はそう。
だけど、いざ言われるとなると萎縮するな。
「なんて言うか甘え上手っていうか、その気にさせるのが上手いなぁって、目線とか。エリッサさんって人にもそんな感じで泊めてさせてもらったの?」
「えっと、怒って……ます? 」
「あいやいやっ、そう思わせたならごめんね。そういうつもりは全くないんだ」
泊めてもらう立場だと、色々神経質になるのか言動にすら過敏になってしまう。
何して良くて、何しちゃまずくて、何をすれば不義理にならずに済むのか。
「あの……手伝いとかって」
「いいよ、そこで座ってて」
「はい……」
スパイスの匂いが漂う部屋の真ん中で、椅子に座ってテーブル上のロウソクを眺めて待つ。
果たして、僕はこのままでいいのだろうか。
焦れったい、悶えるようなこの感覚に慣れることはおそらく無い。
なんてことの無いはずの部屋の空気もピリピリして感じるし、煮える鍋の音が誰かの怒りを代弁しているように聴こえるし、かと言ってできることは何も無くて。
香る香辛料、おそらくカレーっぽいけれど、異世界にこの時代にそんなものがあるんだろうか。
一から調合していたようには見えない。暁音さんは固形の、まるでルーのような物をポトンっと鍋に落として野菜等の具材を入れていただけだ。
インド風の本格的なカレーじゃなくて、学校帰りにふと匂う感じの嗅ぎなれた香り。
スキルを使えば、この時代上に存在していたものであれば理論上は再現できる。だから、誰かがルーを作っていたなら今、僕の手の上に現れてくれるはず。出てこないということは、僕のイメージするルーと、この時代のルーが全然違うのか、もしくは代償が明らかに足りてないか。
『とうもろこしの粒は偶数で、髭の数とおなじ』みたいな、もう使う場所もない雑学を代償にしようとしてるが、一向に頭の中から消えていかない。
やっぱり、雑学の質が低いのだろうか。
もっと勉強しとけばよかったと、こんなことで後悔することになるとは……。
「お待ちどうさまぁ」
「あっ」
そうして運ばれてきてしまったカレーは、日本のものと変わらずのクオリティ。
結局、何もせずに晩御飯にありつくことになり、こうしてまた無自覚に一歩、僕はプロのヒモへと近づいていくのだ。
朝以来の食事。
鼻腔を通り、空腹なお腹に流れていくカレーの匂いがさらに食欲をかきたてる。空腹は最大のスパイスとか言ったりもするけど、いささか大袈裟じゃない。
目に飛び込んでくるのは、火の光を照り返す油の膜。
お米の傍のその奥には、にんじん、肉、じゃがいも。そして玉ねぎ。
「食べにくいかな、私は慣れちゃったからさ」
「そのままスプーン入れる感じでいいの」
「うん、十分火は通ってるはずだから、ほらっ」
旨みの溶け出た海に浮かぶ丸々一個の玉ねぎは、さほど力を入れなくとも裂けるように切れていく。
四つ切りにして口に運ぶと、ダイレクトに来る玉ねぎの甘さ。厚切りの肉をたべているかのような食感も、食べ応えに貢献してる。
「……美味しいな」
「ほんとっ? 良かったぁ」
そう言いながら、暁音さんは、ほっと胸を撫で下ろす。
「このカレーは、暁音さんが作ったの? 」
「見てなかったの? 」
「あ、いやっ」
「冗談。ルーとレシピの事だよね」
彼女は1度立ち上がり、キッチンの戸棚から色んな粉を一つの固形状にカッチリ纏めたものを持ってくる。
「これがルー。近くの料理屋さんから貰ってるの。だいたい1個、一万」
「いちまっ!?」
「オーダーメイドだからね」
危うく落としかけるルーと、食べかけのカレーを交互に眺める。
仮にひと皿一粒だとしても、今食べてるのは、CoCo十倍屋のカレーということになる。
「オーダーメイドでもそんなにいくものなの……?」
「物の価値は希少性だから。君のチケットもそうでしょ。本来この世界の人にとってはなんの価値もない紙切れなんだから、あんな莫大な値段付く理由なんてそれ以外ないよ」
にわかには信じ難い話だけど、彼女が語るのなら現実としてそうなんだろう。
「普通の人は使わない香辛料ばっかり寄せ集めて、大企業の工場でやる作業をハンドメイドでしてもらってるんだから、手間とか考えたら安いくらいなのかもね」
「いいの……食べちゃって」
「いいのいいの、気にしないで。私だって週に一回くらいのペースで食べてるから」
途端にキュッとしだす胃の中に、大ぶりの玉ねぎをスプーンで運ぶ。値段を聞いても、家庭の味は変わらない。
週一は、よっぽど好きなんだな……。
「レシピはね、お母さんのなの」
一瞬、身体に力が入った。また嫌な質問をしたんじゃないかと、身構えてしまった。
「って言っても、ルー入れて煮込むだけなんだけど。特徴らしい特徴は、やっぱりその玉ねぎなのかな」
「まるまる入ってて可愛らしいっていうか」
「でしょ。私もお気に入り」
僕の身体の緊張が解ける頃には元の暁音さんだったけれど、飾らないその言い方が、なんだか初めて顔を合わせたような気にさせた。
食べ終えて、魔導具の使い方が分からない僕は皿洗いすら彼女に任せ、すっかりヒモ暮らしを継続していた。
「どうする、寝るまでまだ時間はあるけど」
「あっと……ちょっとだけ外出したくて……」
居候の身で家事を全て家主に任せ、金銭も払わず、勝手に一人で外出したい。心象なんてすこぶる最悪だろう。
「どこに行くの? 」
「ちょっと……エリッサさん、ああっ手紙を貰ってて」
ごめんなさいと心の内で唱え続けながら、暁音さんに、昼間貰った手紙を見せる。
「急ぎっぽいしすぐ行ってきなよ」
「怒らないんですか……? 」
「どうして? 行ってきなって」
ああ、そうだよな。
どうやらヒモの気持ちになっていたのは僕の方だったらしい。
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