隠さないものと隠せないもの 2
「というわけで……」
エリナさんが話したその人は、昨日この図書館に居たそう。
僕より大きくエリナさんより小さいくらいの背丈の女の子。暗い茶色髪でダボッとしたフード付きの服を着てたって聞いたけど、果たして彼女は2日連続でここにいて、また会うことはできるんだろうか。
重厚な木の両扉を開けて、僕は中に入る。
目に飛び込んでくる、2階まで吹き抜けの広々とした本の世界。
点々と設置された椅子と机、1人でも複数人でも使いやすいよう大小様々用意されている。
座ってる人たちは身なりが整った人が多い。
子どもの姿はあまりなく、同い年くらいから大人、ご老人までがボリューム層。会話に花を咲かせながら、飲み物片手に本を読む。温かみのある内装も相まって、大型のカフェという方がイメージとしては近いんじゃないか。
奥には、案内係が数名いるカウンター。その周りに案内図と黒板が数枚。黒板には、時間と名前が表になっていて、学校の時間割のようにも見える。
今はちょうど、黒板の1番上に書かれてる時間の5分前だ。
すると、入口からさっきまでは見なかった少年たちの姿。彼らは手に本とペンを持ち、奥にあった扉へと進む。
「すいません、あれは……」
気になって、案内係の方に尋ねてみる。
入る彼らがいわゆるインテリ系のように見えたから、もしかして、もしかするんじゃないかと思った。
「ああっ、魔導講義にご参加ですか? 」
「魔導講義? 」
「はい、国が運営してる魔法の指導会です。主に、魔導具使用許可証発行の為の試験合格を目指して、全10回の講義を3つのランクから選んで受講していただけます」
「やっぱりだ……! 」
要するに魔法の学び屋、つまり学習塾。よく学校に勧誘のチラシが来てたから存在くらいは知ってるけど、まさか異世界にもこういうのがあるとは……。
独学で手探りに学ぶのも悪くないけど、やっぱりとっとと魔法打ってみたいし、頼るのも悪くは無いはず!
「今すぐって受けれたりします……!? 」
「あっ、はい! 大丈夫ですよ」
よしっ! 何たる幸運!
この最高にモチベーションが高まった時にやってしまうのが吉。基本面倒くさがりな僕だから、今からパパパッと駆け抜けてしまおうじゃないか。
「7650z、10回まとめてですと76500zになります」
「……え」
「ああっ、受講には料金が発生しまして、1回につき7000z、事務手数料含めますと7650zになってしまうんですよ」
駆け出す前に転んだ。
かかるかぁ……金。
しかも、だいぶリアルな金額だ。
とりあえず近くのイスに腰を下ろし、次々と登校してくる彼らを眺めた。
インテリなのはもちろんだけど、金の刺繍をあしらった紺色の上着を羽織ってたり、高飛車なツインテール風だったり、仕舞いには横に召使いらしき人を連れてたり……。
ありゃ、どう見てもお坊ちゃんじゃないか。
……そもそも一文無しな僕がそもそも踏み入れていい領域じゃなかったんだな。
貧乏人は大人しく参考書広げて、分からないなりに積み上げていくしかない。そしてわかんないとこはわかんないまま歪に出来上がっていって、結果が出た瞬間打ちのめされるんだ。あぁ、知ってるよそのルート!!! だから勉強なんか嫌いなんだ。
とりあえず近くにあった「魔道概論 Ⅰ 」っていうのを机の上に広げてみる。
……。
あーあれだ、本選びを間違えてるな。
次、次!
その横、「魔道概論 Ⅱ 」は続き物だろうからそのまた横「主婦にも使える簡単家事魔道」よし、これにしよう。
だいぶ現代っぽいタイトルに惹かれて、好奇心のまま表紙を開く。
主婦にもって書いてあるし、僕にだって使えるようにはなるはず。ああいや、決して主婦を下に見てるとかじゃないんだ。最近はこういうの鋭いからなぁ、意識しとかないとすぐにボロが出て叩かれて大炎上待ったナシだもんな……。全く、怖い時代を生きてたもんだ。
でも、それもこれももう一昨日までのお話。昨日から僕は異世界を生きる普通の若者。魔法を使ってバシバシ魔物を倒して稼ぐ、そんな生き方を志した一市民。
ここでまずは主婦レベルになって、スライムの2匹3匹倒してやろうじゃないか……!
ああ、査読って必要だ。
感覚の話しか書いてないよこれ。
なんじゃあこりゃ! ビューってやってバーン、ヒューってやってヒョイって、読者を馬鹿にしてるのか。
文字は読めるのに、全く本が読めない。前後で意味が通ってないし、試せそうな内容がほとんどない。
詠唱とか書いてあるけど、
「野をかける純白の兎を追い、かの頂きへ挑まんとする。せせらぎの中、流れに抗う定めと知りながら、それでも食らいつく者を喰らわんとする。夢は今も密かにめぐりて、そして今この場に再度顕現する、終わらぬ幼少! 」
で、気持ちを落ち着かせる魔法が出る……って嘘じゃん!!!
今凄い怒ってるんだけど! 唱えたところ見られて、授業帰りの坊ちゃんたちに鼻で笑われたんだけど!!!
落ち着きもせんわ! そもそも落ち着くって何、ただのおまじないじゃん!
てかこれふるさとの歌詞じゃねぇか、誰だ転移者!こんなものを紛れ込ませやがって!!!
ああ……なんだか力が抜けてく。
僕、一文無しなんだ。家もないんだ。学もなければやる気も消えてく。どうしたらいいんだマジで。
というか今自分、もしかしてかなり詰んでるんじゃ…。
現実を直視しだしたら、まずい、なんにも出来なくなってく。
異世界に来て変わらないどころか、だいぶピンチに陥ってる……。
「姉ちゃん! 」
「……ん? 」
ため息でもつこうとしていたら、入口の方から聞き覚えのある声がする。
可愛らしい声変わり前の高めの少年声、って言っても僕もあんまり高さ変わらないんだけど。
彼は、図書館内をぐるっと見回して、あっ、こっちと目が合った。
「ねぇ、姉ちゃん見なかった!? 」
「えっあ、姉ちゃんって、アカネさん……だよね。僕も探してるんだけど、今日はまだ」
彼、ことシナス君もどうやらアカネさんを探してるらしい。
割と深刻そうな様子。まだ朝も早い、イベント事も街では無いしはぐれたとかでは無いはず。
「あの後、昨日はどこで別れたの」
「姉ちゃんが大丈夫だって言うから、ここの前で別れたんだ。だけど、フラフラしてたしあんな傷すぐに治るはずないくて、だから心配なんだけど、ここ以外知らなくて…」
今にも泣き出しそうな目で語る実情。
向かう場所が自宅ではなくここって事はやっぱり。
「1個だけ確認したいんだけど。アカネさんと姉弟では無いんだよね」
「えっ、うん」
その返事で推測が確信に変わる。
エリナさんから聞いた人の特徴は、髪の色、服装、少し血の滲んだ様相と背丈までアカネさんと一緒だった。
仮にその人物にアカネさんが当てはまるとしたら、彼女は転移者だと言うこと。
シナス君と一緒にこっちに来たっていう可能性もあるのかもだけど、彼とアカネさんが実の姉弟というには色々相違点があったし、確認したらやはりだった。
初めて会った時の違和感も、彼女がここの人じゃないのなら大体は納得がいく。
「俺のせいだ……。俺のせいで姉ちゃんは」
途端に涙ぐむ彼。考え事をしてる場合ではなくなった。
公共の場で泣いてるなんて、目線を集めてしょうがない。泣きたくなる原因も気持ちもうんと分かる。だから、同情が勝つ。宥めようにも一緒に泣きたくなる気持ちの方が、強い。だからあえて一枚皮を被ったような、お芝居芝居がかった方法しかとれない。
「よーしよし、だっ、大丈夫だからねぇ……」
……そう、こんなふうに。
シナス君が赤ん坊ほどの年齢じゃないのは承知も承知。
でも、褒めるも叱るも出来やしないから、あやす様にしか対応が取れない。
ドラマに出てくるようなダメな父親っていうのはきっとこういう気持ちだったんだなと、親になったわけでもないのについ思う。
「あ、アカネさんなら治るよ、たぶん」
「なんで言いきれんだよ! 」
「ああ、えっと、エーテルって言ってね」
と、彼に説明しようとしたところで口が止まる。
軽い説明うけただけの僕が、彼にどう説明すればいいんだ。子供相手に、仕組みを語ってもしょうがないと思うし、かと言って押し通っても何の解決にもならないし。
「そうだ、ほら、シナス君の傷だって」
論より証拠だ。
こういうのは見た方が早い、自分の体のことなら否が応でも納得するはず。そこそこ大きかった足の傷、あれが治ってればアカネさんも無事ではあると思って泣き止んでくれる。
そう思って、彼の足首に目を向けたんだ。
だけど、彼の足には、
まだ乾いただけの赤い傷跡があった。
「……その、足」
やっと出た言葉はそれだけで、僕は何も言えなかった。
傷の治りには個人差がある、それはエーテルに頼ろうと同じこと。でも、彼の傷は昨日とほぼ変わらずのまま。
まるで、元の世界の人間。日本で見慣れた傷の様。
「なんで言いきれるんだよ、治るって。姉ちゃんは怯えてたんだぞ、他のみんなみたいに気軽に治るなんて一回も言ったことないんだ。いっつも心の中じゃ怯えてたんだ」
「治らない場合が、あるってこと」
背筋が凍った。
昨日倒した盗賊たちが、もしシナス君と同じだったら。
あのまま放置されて、治るような人間じゃなかったら。
「……! 」
咄嗟に近くにあったあの駄本を代償に、彼の傷を治してしまった。
一刻も早く視界から消してしまいたかった。
理由はそれだけで、それ以上も以下もない。
シナス君の泣き顔が、より深刻に見える。
そうさせたのはきっと僕の様子が原因だ。
慌ててる、焦りが滲み出てるんだ。
「うぐっ……ぐっ……」
「ああ、大丈夫、大丈夫だから」
白線の外に出たことない人間が、まさかこんなに弱い奴だとは。
人殺し、自分がそうなったのかもしれないという事実から目を背けたくてしょうがない。
気づかなければ、僕は無意識に記憶の隅に押し込む。
嫌なこと、辛いこと。あの日テレビを見る前までもそうだった。自分がどんな人間なのかすら、押し込んでいく。
辺りの視線が徐々にこちらを向く。
どうしたらいいのかまるで分からない。
昨日もこんなことがあった、寄りかかられて支え続けるだけでどうすればいいのか分からないまま。
その時打破してくれたのは、
目の前の彼で、
昨日倒れていたのは、
「ほらっ、泣いちゃダメ」
ああ、彼女だ。
「涙と本音は、大事な人の前だけだよ」




