玉石混交
「さて、ここが私の家だ」
エリッサさんの後ろを付いていき、案内されたのは何の変哲もない住宅街の中にある、たくさんの扉のある建物。
各部屋に郵便受けみたいなものが着いているし、きっとアパートみたいなもののはず。
「一軒家とかじゃないんですね」
「意外か? 」
「……まあ、少しだけ」
「独り身だからな。あまり広くても、場所を持て余して仕方がない。それに立場上、領土各地を転々としなければならないから、荷物が多いと色々手間なんだ」
「そうなんですか」
「まあ、人を招くなら、広いに越したことはないんだがな。狭い部屋で申し訳ない」
「いえいえそんな! お邪魔させていただくのは僕の方なので」
「なら、お互い無礼講だ。貸しも借りも、身分も立場も、今夜は気にせず過ごしてくれ」
エリッサさんが、クローバーみたいな記号の書かれた扉にかかった錠に鍵を差し込む。
もといた日本に比べるとだいぶ簡素なものだったけど、十分役割は果たしているようだ。
「さあ、中へ。自分の家だと思って、遠慮せずくつろいでくれ」
「それじゃあすいません、お邪魔します」
その時の僕はすごく緊張していた。
異世界の部屋の内装はどんな感じなんだろう。
大人のお姉さんの生活感はどんな風なんだろう。
そんな期待とちょっとした怖さを抱えてた。
なんせ、あのエリッサさんの部屋だ。
きっと、想像なんかよりずっとすごい何かを見せてくれるに違いない。
そんな確信をしてたんだ。
だけど、そこにあったのは、
「…すまない、完全に失念していた」
「一体何があったんです、これ」
とんでもなくちらかった、想像なんかよりずっとすごい
汚部屋だった。
床に落ちているのは、脱ぎっぱなしの衣服。雪崩が起きたように散乱する書類の数々。飲みかけのコップに、お皿まで。いたるどころに色とりどりが置かれていて、いまにも目が疲れそう。
「いや、何があったという訳では無いんだが…」
「え? 」
「その、別に、忙しくって片付ける暇がなかったとか、半年間留守にしてたとか、そういう訳じゃないんだ」
「言い訳するなら、普通逆ですよ」
「ああっ、そうか……すまない」
目線を下に向けるエリッサさん。
「ええと、つまるところ…」
「察する通り、その、片付けが苦手なんだ…」
その、どこか恥じらうような様子が意外で、ちょっとだけ可愛く見えたけど、後ろの光景が相殺して、1ミリも心がうごかされない。
「すまなかった。今すぐ代わりの宿を手配するよう要請して来る」
「いや、だ、大丈夫ですよ。ほら、そことか物をどかせば座れそうですし、僕はそんな、気にしないですから」
「しかし…ほんとにいいのか」
「な、慣れてますから」
男なら、なんて言い方をするのは今どきあまり良くないのかもしれないが、男子高校生にもなれば、部屋中に物が散らかった経験なんていくらでもあるはず。小中高と山のように配られる教科書とプリントの数々。それら以外の学習道具含め、全てを常に、かつ完璧に配置と処理をすることなんてできるわけ無い。学期の変わり目なんて、まとめて持ち帰った物を部屋の真ん中に全て投げ出して放置することがざらもざら。その中で生活することなど、日々積み重ねた経験の前では、造作でもない……!
ただ、まあ、ここまで散らかってはなかったんだけど…。
「そう言ってくれるなら…今回はこちらが言葉に甘えさせてもらおう。代わりにはならないだろうが、精一杯の供応をしよう。期待はしない程度に、楽しみにしててくれ」
内開きの扉をくぐり、まず立ちはだかったのは靴の山。
脱ぎっぱなしという表現が似合う有様で、踏み場もないくらい足元に転がっていた。
そのうちの何足かは巻き込まれて、開いた扉と壁の間で挟まれていた。
「恥ずかしいかもしれないが、靴はそこで脱いでもらえるか」
「はい、大丈夫ですけど」
「すまないな。この部屋の中には、汚したらまずい物がわりと眠っているがゆえ、万が一があったら困るのだ」
「なら尚更片付けた方がいいのでは…? 」
「……他人に責任を感じさせる訳にはいかないな。善処してみようか。善処…」
そう言う彼女は、なにか大事な決断をする前かのように顔をしかめていた。
そんなに嫌なのか、片付け。
履いていた靴を脱ぐ。神様から貰ったばかりなのに、結構くたびれてしまっていた。今日一日で色々あったし、無理もないか。
先に奥へいくエリッサさん。僕もあとを追いたかったが、脱いだ靴をそのままにしておく訳にもいかず、散乱する靴もまとめて整頓することにした。
外に出ているものだけで10は超える数の靴。意匠の凝ったデザインのものや、装飾に宝石が使われていたりするものなど、どれも値の張る履き物だと見てとれる。初対面の時からオシャレな人だと思うくらいだ。足元まで気を使っていて当然だろう。
ただ、この部屋を見てからだと、ここにこの靴達があるのが違和感でしかない。整頓したのはいいものの、この区画だけ綺麗になっているのも、やっぱり違和感がある。あの乱雑な感じが、この部屋には適していたのだろうか…。それが正解ならこの靴たちはとんでもなく可哀想だ。こんな秀麗な見た目をしていながら求められる振る舞いが、雑多の一部になることなんて。ものに感情移入なんてあんまりしないけど、ちょっとだけ悲しい気持ちになった。
玄関から先に少し進むと、散らかりの全貌が見えてくる。キッチン付きの部屋の隅には、入口からは見えなかった諸々がごろごろと捨てられていた。
「うげぇ…」
と思わず口に出したくなる光景は、これ以上描写したくないと思うくらい酷かった。
先に部屋に入っていたエリッサさんは、キッチンでなにか作業をしている。
「私の粗相を、わざわざ片付けさせてすまない。そこにテーブルがあるから、先に腰を下ろしてくつろいでいてくれ」
そう言われ、部屋の中央にテーブルに目を向ける。木製のそれはちゃぶ台くらいの高さと大きさで、どこか馴染み深かった。
テーブルのそばの荷物を軽くどかし、席を確保。
途中、山の中からエリッサさんのものらしき下着を見つけたが、キッチンでなにか調理中のエリッサさんがこちらを振り向いたため、咄嗟にテーブルの下へ隠した。
多分、その判断は正解だったと思う。持っているところを見られたら即刻アウト。見える場所なら後で気まずくなるだろう。
ポケットの中という選択肢も一瞬よぎったが、きっと手放すという選択が出来なくなり、持ち帰ってしまうだろう。そんなことをしたら、そのパンツを生涯御神体として崇め奉るとんでも変態野郎になるところだった。異世界転生者として彼を見習うとしても、習うところはそこじゃないはず。踏みとどまれて良かったと、心の底からほっとしている。
「本当にすまないな。座る椅子もないところで」
調理を終えたエリッサさんが、お盆みたいな板を持って
こっちへ来た。
「その様子、わりとしっくりくると言うか、慣れている感じがするな」
「ええ、まあ。僕の故郷でもこんな感じに、床に座って食事すること割とあったので」
「なに…? それは驚きだな。まさか私以外に、こんなスタイルで食事をする人々が居たとはな」
「こっちだとわりとメジャーですよ」
まあ日本の場合、ものが散らかりすぎて椅子が置けないからって理由じゃないと思うけど…
「ほぉ…。やはり文化交流は面白いな。知らないことや、意外と共通することろがあったり、それだけで好奇心がそそられる」
話をしながら、楽しそうに配膳するエリッサさん。真面目そうな人だと思ったけど、わりといろんな表情を見せてくれる。根が明るい人なんだろう。部下からあれだけ信頼されてるのも納得だ。
「他の家庭だとやっぱり椅子に座って? 」
「そうだな。ほとんど、というかほぼ全ての家が椅子に座って、その高さに合わせたテーブルで食事してるな。このテーブルも私以外に需要がないからな、わざわざ自分で足を切って加工したくらいだ」
「そこはこだわるのに片付けはしないんですね……」
「くっ…」
痛い所を突かれたのがわかりやすいリアクション。
「べっ、別にどこに何があるかわかってるから、片付けなくてもいいじゃないか…!」
金の髪を指でクルクルしながらの言い訳。さっきまでとは打って変わって、分かりやすくツンデレヒロインみたいな振る舞いだ。
でも、言ってることはだらしない男子高校生なんだよな……ていうか、エリッサさん、絶対そういうキャラじゃないでしょ。
なんて会話をしてると、僕の前にもグラスが置かれる。
「あの、これ…」
日常的にはあまり使われることがない、というか僕は使ったことの無い食器。
「ん、どうかしたか?」
「いや、これワインとか飲む用のやつじゃ…」
脚が高く、底の丸まった細長いグラス。僕の両親はお酒を飲まない人だったから、テーブルに並ぶ姿を間近で見るのは初めてだ。
「そうだが……そうか、君はアルコールの類いは苦手か」
「ああ、いえ、そういう事ではなくて。飲んだことないんです、お酒」
「…!?」
そう言った後のエリッサさんは目を丸くして、口をぽかーんと開けていて、なんというかマンガのキャラクターみたいな表情だった。
「ああ、いや、んんっ」
数秒の静止の後に、突然意識が戻ってきたかのように咳払いをする。
「すまない。外国から来たとはいえ、そんな人に会った事がなかったものだから」
「そんなに珍しいですか…?」
「ああ、よくアルコール無しで今まで生きてこれた、と感心するくらいには」
「へぇ… ん? 」
なんか違和感。
「子供の頃から祝いの席では欠かせなかったからな。毎日とはいかないにしてもそれなりの頻度で飲んでたからな、こいつ無しの生活なんて考えられん」
「こっちじゃ、成人してから……みたいな決まりもないんですか」
「成人…15か。そんな歳まで飲めなかったとしたら、私は王都公務の試験なぞ、突破することすら出来なかっただろうな」
なんか色々と常識が違う。15で、お酒か…。
「身体になんか影響とかって……」
「影響か……確かに、アルコールが人体に害だと言うのは近年の研究で判明していたが。まあ、国が禁止してない事と、それを国民が求めてる以上、多少の害あれどやめないだろうな」
エリッサさんが、自分のグラスにワインを注ぎ終えると僕にきいてくる。
「君はどうする。ここで初めてを捨ててみるか? 」
「そうですね…せっかくだし、いただきます」
「ふふっ そうか。口に合わなければ遠慮せず吐き出してくれ。恐らくあの区画なら大丈夫なはずだ」
そうやって目を向けたのは、あの隅の方。ゴミ袋とかがないにしても、あんなふうにゴミがそのまま積まれていたら、美味しいものでも食う気が失せるよな……。
注がれていくぶどうの匂い香る赤ワイン。
日本で見るより寸胴な容器からでるその液体に、少しのためらい、少しの期待。
目の前に並ぶ料理と合わせてみると、ちょっと粋なレストランのよう。
「さて、そろそろいただこうか。料理も冷めては可哀想だ」
「そうですね」
僕は、料理に向かって両手を合わせる。
そして、ぽつりと呟いた。
「いただきます」
蔑ろにしがちだったけど、かしこまった場所だと自然とやってしまう。どこへ行っても、日本人であることからは離れなれないんだろうな。
「それも君の国の風習か」
「ええ、そうです。調理してくれた人や、食材たちに感謝を込めるんです」
「感謝か…私らにはない発想だ。ふふっ、これだから文化交流は面白い」
そう言いながら、エリッサさんは子供の頃から慣れ親しんだであろう赤ワインを口にした。
その後にみせた彼女の笑顔は今日1番の美しさだった。




