平日 3
昼食を挟んでも、講義は続いた。
「であるからにして、BV=nQTという式が成り立つという訳だ」
かれこれ四、五時間の間に説明された理論は、山のようにあった。
まずエーテル以前の物理現象の話。そこから派生して、エーテルの基本式、エーテルの収束発散加速度とかエーテルエネルギーとか。そして今、エーテルと温度の関係式。
膨大な量の理論の上に成り立つ公式たちは、紙にまとめることは簡単に出来ても、使いこなすにはまだ難解。
説明を受けて多少は納得できたが、だからといってこの公式たちがどんな働きをして、どんな理由で成り立つのかを完璧理解できたかと言われたら断じてNoという他ない。
例えるなら、目の前で起こる凄い手品をただ呆然と眺めているかのような、そんな状態。
あれやこれやと飛び出してくる僕の理解しきれていない論理たちが複雑に絡み合った挙句、最終的にシンプルな形に纏まる……。
これを手品と言わずしてなんというか。
いや、手品じゃないか……だって必要な情報は全てゼラさんの口から説明済みなんだもの。
彼女は基礎から噛み砕いて説明してくれてはいるらしいものの、正直、僕の理解力が追いついていないのだ。
「さて、時間も良いところだ。今日のまとめをして講義を終わろう」
そう言って、彼女は黒板に今日説明した箇所のまとめを書き始めた。
まだ理解しきれていないのに終わる授業……。
くそっ何が一年だ、これじゃあ合格なんて夢のまた夢。
こんな講義が何回も続けば、ついて行くことすら出来なくなる。
復習が必須だな……と強い敗北感を覚えながら、僕は終わりの鐘の音を耳にした。
「お疲れ様、長丁場だったね」
待っていてくれた暁音さんに、僕は敗北宣言を口にする。
「ダメだったよ……全然分からなかった」
気落ちして、全身にあまり力が入らない。
項垂れるように机にへばりつき、僕の口からため息が漏れる。
「なんて言うか、勉強なんて、本気になればできるもんなんだと思い込んでたよ」
「どうしたのそんな弱気になって。さてはお疲れだなー? 」
ニマニマしながらからかってくる暁音さんに、面白い返事をする気力もなく「まあ、疲れはあるとは思うけどさ」と、マジレスしてしまう始末。
「全然、歯が立たなかったんだ。朝から勉強して、つい自分が賢くなったような気になってて、授業受けるくらいどうってことないって思ってたんだ。けど、一朝一夕で変わるはずなくて、全然言ってることが分からなくて……」
「そんなもんだよ。授業ってのは知らないことを知る場。だから、打ちのめされるのが当たり前。むしろそんなになるくらいしっかり聞いてきたのは、誇るべきところだよ」
暁音さんは褒めてくれるが、どうしてもそんな風に自分を認めてはあげられない。
「いやでも……」
「悠里くん、昨日教えた授業の聞き方、覚えてる? 」
「確か、"ノートは綺麗にとるな"、"質問は気負わずしろ"、あとは、"極端に悩み続けるな"、だっけ」
「実践、できた? 」
「ノートは、殴り書きに書いた。質問は出来なかった。悩み続けるなは……分かんない、かな」
「そっか。じゃあ反省会。ノートはマル、意識してかけたならいいことだよ。次、質問はできる機会あったら積極的に。分からないところを尋ねられるチャンスって中々ないから。まあ、恥ずかしかったら授業終わりとかに駆け込めば何とか対応してくれるんじゃないかな。で、最後」
暁音さんは、一息置いてから語り始める。
「極端に悩み続けるなってのは、要は授業を聴き逃しちゃうからなんだよ。勉強において悩むことは大いに結構。だけど、せっかくお金払って授業を聞いてるんだから、せめてその間はそっちに集中していた方が得られるものがあるかもでしょ? 」
「そう、だね……」
「それと、重要なことが一点。いい? 悠里くん。勉強の本質は悩むことにある、と私は思うんだ」
「悩むこと……? 」
「悩むっていうのは、言い換えれば情報の咀嚼かな。自分なりに飲み込めるように、うんと考え、どうにかこうにか噛み砕くこと。勉強する中で出てくるのなんて、すんなりとは受け入れられない物ばかりだよ。知らない分からない未知の物、ばっかり。そんなそれらを理解するためには、ただ一つ、悩むしかない。周りの助言や過去の知識を頼った上で、最後、自分が納得できるまで、思い切り悩む。悩んだ末に生まれる理解は、きっと何より強固なものになる。そしてその理解は、次の未知を打ち砕くための材料になる。だって、それは君の中ではもう既知のものだから。未知に悩み、既知へと変える。その行為の名が勉強なんだよ」
未知に悩み、既知に変える……か。
「だからね、悠里くん。分からなければ、うんと悩もう。授業以外は、そのための時間だよ」
「分かった、やってみるよ」
まずは何から悩もうか。
エーテルの基本式、エーテルの収束発散加速度、エーテルエネルギー、加えてエーテルと温度の関係式。
さてと、悩むことが満載だ。




