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第6話 鬼上司は簡単に人をときめかせてくる

 久世さんと前より話が出来るようになったのは仕事を振られるようになってからだ。仕事を通じて話す機会が増えたし、残業すると雑談だってたまにした。


 最初のころは確かに怖いこともあったし取っ付きにくいというか、話しかけにくいオーラがひしひしと伝わってきたけど、踏み込んでみたらそうでもない。くだけた話もしてくれるし言い方はそっけなくてもいつも気にかけた言葉をくれる。

 態度よりずっと優しい人、今ではもうそれがわかっている。



 思わず掴んでしまった服の裾。離れようとされて咄嗟に力が入った。


「ぁ……や……」



(行っちゃやだ)



 その思いは飲み込めた。

 頭では離さないととわかっているのに、掴む手は言うことを聞いてくれなくて久世さんを困らせた。



「……あー、ちょっとドア確認行く……けど、待てる?」



(待てます)



 頭の中ではちゃんと返事が出来ている。

 なのに、手の震えを止められない。それに焦った。



「ごめん。ちょっと、触る」



(え?)



 暖かい大きな手に手首を掴まれて、グイッと引っ張られて驚いた。なにに驚いたって、触れられて何も嫌な気にならなかったことだ。


 あたたかい手。あの、長い指が手首に触れて巻き付いている。それを見て胸が締め付けられた。


 ドアの前で頭を抱えた久世さんの気持ちとは裏腹に、私はただ掴まれた腕のことだけが気になってどうしようもなかった。


 決して強い力じゃない。

 でも、ギュッと掴むその手が熱くて、胸が苦しくなるばかり。


 体に力が入って思わず身じろぎすると、痛かった?と、熱が離された。



(そんなんじゃない)



 それも言葉にはならない、咄嗟に頭を振った。離されたら途端に不安になった。暗闇がどうとかそんなことじゃなく、自分の気持ちにだ。


 こんなに近寄ってしまってどうしたらいいんだ。手を伸ばせば触れられる距離に今さら気づいて焦り出す。


 私はなにを久世さんにしでかしてしまったんだろう、その思いにただ焦った。



「ごめんなさい」

 とにかく謝った。

 迷惑をかけた、なにより久世さんを困らせたことが嫌だった。でも、久世さんは私の恐怖心を笑ったりもしない。しかも、「一人にさせなくてよかった」そんなセリフまで吐いてくる。



(そんなの言ったらダメじゃないですか?)



 心の中でそうつぶやいた。


 久世さんが無意識に発した言葉に胸を高鳴らせた自分がいて、どこか勘違いをしてしまったのかもしれない。



「すみません…これ以上近づかないので…も、持たせてもらっていいですか?」

 言ってから後悔したけど、もう遅い。久世さんの了解も得ずに制服の裾をまた掴んでしまう。



(困らせたくないなんてどの口が言うの)



 離さなきゃ、わかってる。でも――離せなかった。


 掴んでいたかった。



 この距離から離れたくなかった。




 少し冷えてきて、雨のせいでだんだん室内も暗くなってきている。電気はすぐに回復しそうにない。雷は少し落ち着いてきた気がするけど、暗闇は苦手。小学生の時誤って体育倉庫に閉じ込められて一晩過ごしそうになったことがある。あの日のことはいつまでたっても忘れられなくて、その時感じた恐怖心と孤独をまた思い出した。



 でも今は違う。



(久世さんがいてくれる)



 心の底から思った。

 一人だったら、だけじゃない。ここにほかの誰がいるよりも安心できた。


 そう思ってハッとした。

 同時に、胸の奥に刺さったいつかの棘が疼いたのに気づいて困惑した。


 久世さんが何か考えているようにぶつぶつ言っていたがはっきり言ってほとんど耳には届いてこなくて。最後に自家発電に切り替わるだろうから回復するまでもう少し我慢して、と普段からは想像できないような優しい声で告げられてどこかホッとした。



(このままこうしていたら、おかしくなりそう)



 そう思っているのに、「怖いならもっとちゃんと掴まって。俺はいいから」またそんな優しい言葉を言ってくるから、胸がじんっとして……キュンとなる。


 暗闇が怖い、そんな気持ちよりも先に縋りたいような気持ちが沸いた。

 そしてその気持ちは久世さん相手だから沸いたのだと。頭より先に体が、足が一歩近づいていた。


「ごめんなさい、もう少しだけ……我慢してもらっていいですか」

 制服の裾をきつく握り返した。


 近づいた距離に胸が勝手にドキドキしていく。

 制服からする香りは柔軟剤なのか、さわやかで柔らかい匂いがして余計に鼓動は速まった。人の体温をはらんで放たれる香りはどうしてこんなに甘く届くのだろう。


 この胸を叩くドキドキに名前を付けたら何になるのか。考えたくないのに考えてしまう。



「……もうすぐ17時かぁ」

 時計を見ながらつぶやいた久世さんの声にフイに視線が上がった。


「定時であがれないな、今日」

 そう言われてあいまいに微笑む。


「これって残業代つけれます?」

「めっちゃ残業じゃん、しっかりつけて」

「ええ?だって仕事してない」

 笑うと笑われた。



「仕事だよ、会社の都合に振り回されてたら全部仕事。割り切ってつけてください」

「……はい」

 そう言われたらもう頷くしかない。



「だいたいさ……効率よくやりすぎじゃない?」

 いきなりそんなことを言われてもどう返せばいいのか。



「仕事ってそういうものじゃないですか?」

「いや、そうなんだけどさ。もっと手を抜けって話だよ」

 手を抜く……言葉を反芻させながら考える。


「抜いてる……と思いますけど」

「そう?じゃあもっと」

「え?もっと?」

 笑ってしまった。



「自分が思っているその半分以上は抜いてみて。それくらいしてもいい」



(半分って……)



「そんなことしたら私、仕事さばけないと思います」

「大丈夫。また効率あがるから」

 仕事ができる人がそう言うならそうなのかもしれない。暗くなってきた室内だけど目だけがどんどん冴えてきて、なんとなく久世さんの顔を見たくなってしまった。静かになった部屋の中でお互いの息しか聴こえない。身体が触れあう瞬間だけ空気が動いた。


「もっとうまくやれよ」

 その声が優しくて。頭の上から降ってくるみたいに優しくて顔が自然と上に向いてしまった。そして感じる……視線を。



(久世さんも……私を見てる?)



 視線を逸らせれずにいるといきなり部屋の照明がついた。



「「あ」」

 お互いの声が重なったとき久世さんの背中越しから物々しい機械音が鳴り響く。



 ウィィィン……カチ、っという音に二人で顔を見合わす。久世さんがドアノブに手をかけると扉が開いた。


「開いたぁ!」

 思わず歓喜の声をあげるとすかさず外に出て自動ロックの解除ボタンを押す。扉を開けたまま私に指示を出してきた。


「とりあえず今使わないファイル一個持ってきて」

「え?ファイル?」

「どれでもいい、ごついやつ、それ」と、指さすのは下に重ねられた過去の依頼書ファイル。持っていくとドアの隙間に挟んでストッパー代わりにした。


「先に携帯取ってくる。また電気が落ちても困るし、あと依頼書。ついでに取ってくる」

「あ、はい」

 すぐにいろいろ考えられるんだなと感心していると17時の定時のチャイムが鳴った。


「あ……」

「どうする?もう帰る?」

 何かを含んだような笑みを浮かべて聞いてくる。



「……いえ、今日は残業します」

 その笑いに乗っかった。


「了解、依頼書取ってくるよ」

 長い足が駆けるように廊下を走っていくのを扉の中から覗いて感じてしまった。



(あぁ、どうしよう)



 私はもしかして、気づかないようになんて言い訳をしてきただけなんだろうか。

 胸に刺さった棘が取れようとしている。


 あんなにきつく刺していたはずなのに、いつからこんなに揺らぎだしていたのか。

 仕事をして、任されて、信頼されて自惚れ出していた。そこに変な勘違いまで持ち込んだらもう部下でなんかいられない。



 気づかれたくない、なんとか自分を誤魔化して部下の顔をし続けないと。

 そうじゃなきゃ、もう久世さんの傍で仕事ができない。



 私は自分にそう言い聞かせて、心の中で育ちだした気持ちに必死で蓋をしようとしていた。




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