第14話 番外編ーその後のふたり―
最近定時で帰れた試しがない。
遅くなっても19時までには終わるようにしているけれど、残業手当のおかげで(せいで)今月の給料が跳ね上がりそうだと出勤簿をつけながら思っていた。
「相当の対価だろ。15分出勤簿入力プラスしたって足りないくらいだからもっとつけろ。それに罪悪感ないくらい仕事させてる」
久世さんが言う。
「でも、時間は時間だしちゃんとつけないと……」
「クソ真面目」
相変わらず口が悪い。話すほどその口の悪さが目立つと思う。
「普通だと思います」
言い返すとじっと見つめてくる。
「木ノ下さんが先月残業どれだけつけたと思う?」
え……と、思いつつ最近は私の方が遅く帰っているかも……なんて空を仰いで考えていると……。
「23時間」
「ええ?!」
私より多かった。
「な?真面目にやってるのあほらしくなるだろ?馬鹿正直につけなくていいよ、こんなもん。あの仕事量で一日仕事してますみたいな顔して残業にまで引き延ばすんだから舐めてるよな。むしろあの人の手の抜き方を勉強しろ」
(毒舌が過ぎる)
「はい、これやり直し」
パシッと書類で頭をはたかれた。先日出した改善提案が何点か赤ペン先生されて返される。
「ええ?こんな大げさに言ったら変じゃないですか?私はテプラに表記して張り付けたってだけですよ?」
「それによって全員が周知出来て環境にもよくなった、なにも嘘は書いてない。だから査定評価を上げるためにもっと焦点を絞って書けって言ってるだろ?書き方が甘い」
「……はい」
残業が増えたおかげで実験室で二人になれることも多くて本音は嬉しかったりもする。他愛もない話ももちろんするけれど仕事の話や仕事に関連した話が出来るのが楽しくてうれしい。今みたいにぽろっと本音なんかもこぼしてくれるから、あぁ親しくなれたんだな、と実感していた。
しかし実際のところ、私たちの関係が上司と部下からどうなったのか未だに不明であるのは事実で。
(結局なんなんだろう、今の関係って。上司部下はそうだけど、仕事の話が基本。なに、これ)
パソコンを打ちながらフトそんなことを考えていた。
あの日気持ちを吐露して抱きしめられてから数日、久世さんの連絡先さえ知らず、この関係のハッキリしたことも何も聞けずにいる。
やっぱり夢だったのか、都合のいい妄想をしていた?考えるほど沼にハマってパンクしそうになる。
(だめだ、余計な事考えると仕事にならない!)
気持ちを切り替えようと、椅子の背に体を預けて身体を伸ばしたその時。
顎がクイッとさらに後ろに伸ばされていきなりキスされた。
「ん!」
軽く触れるだけのキスだったけど見下ろしてくる久世さんと目が合って余計に固まった。
「もう事務所戻るけど、ほどほどにして帰れよ」
そう言って立ち去ろうとする久世さんの制服を思わず引っ張った。
「あのぉ!」
「……なに?」
「……あ、の」
続かない言葉の代わりに制服の裾をさらにぐいっと引っ張る。勢いで呼び止めたけど言いたいことは何もまとめられていない。
「……その」
言いよどむ私の気持ちを察したのか行きかけた足を戻して目の前のキャスター付きの椅子に座ったらグイッと近づいてきた。
「なに?」
距離が近い。
近づかれると逃げたくなるのはイケメンに慣れていないせいか、腰を引くと笑われた。
「なんで逃げんの」
「――あんまり、定時後に近づかないでください」
「なんで?」
(いろいろ崩れてるからだよ!顔が!!)は、当然言えるわけもなく。
「そそ、それより!」
「はい」
「その、聞きたいことが、ありまして」
「なに?」
「聞きたいっていうか、確認っていうか……その」
黙って私の言葉を待つ久世さん。
(だめだ、顔面偏差値が高すぎる!!!)
自分の顔が赤くなっていくのが体温でわかるが、これ以上は発熱してしまうと思い、思い切って声に出した。
「私たちって今どういう状態なんですか?!」
一気に聞いた。言ってから息を吐き出して胸がバクバクしているのに、まだ久世さんは聞いてくる。
「状態?」
そこは聞き返さないでほしかったんだけど。なんなら察して欲しいんだけど。察してくれないかな?!頭いいんだから!
「すみません。ちょっと自分ではもう判断つけられなくて……その……私って……」
(久世さんのなんですか?)
って、一番大事なことを言いきれなかったぁ!!私のチキン!!
「えーっと。ん?どう思ってたの?」
逆に聞かれた。
「俺だけが勘違いしてるならただのセクハラになるんだけど」
「へ?」
「そうじゃん、職場で抱きしめてキスしてたらなんだろう。強制わいせつ罪?」
「それは……私が訴えないと罪にはなりません」
「なら良かった。じゃあ何を確認したいわけ?」
「勘違いってなんですか?」
聞かれてばかりも癪で聞き返したら予想外だったのか少し驚いたような表情を見せた後すぐににやっと笑ってくる。この久世さんのちょっと面白がってるような含み笑いが実はとても好きだなんて言えないけれど。
「そういうところがさ、好きなんだよね」
(――今さらっと好きとか言った、この人)
何を言われても言い返してやろうと思っていたのにあっさりとノックアウト。一瞬でKO、完敗、瞬殺。なんなの。
「す――っ、すき、とか、いきなり言うのなんなんですか!?」
「結局何が聞きたいのかよくわかんないんだけど、なに?」
若干めんどくさそうな態度でそんな風に聞かれるけれど、そんな感じもなんならかっこいいな!とか思うのもう重症、どうしよう。
「今なんでそんな、そのぉ……さらっと好き、とか……」
かあぁぁぁぁっと顔が赤くなるのがわかる。もう完全に発熱している、体温がやばい熱い無理。
「え?そこの確認をしたかったってこと?」
「だって、なんにも……」
「あれ?なんにも言ってない?俺」
(まさかの言った気になってたパターン?)
「私、久世さんの連絡先も……知らないんですよ?」
「そういえばそうだな。あまり必要性を感じてなかった」
(そりゃ毎日顔を合わせるけども)
「私も、その……部下でいたいって言っちゃったから。だから……」
「部下だけど、彼女だよね?そう思って接してた。携帯出して」
(彼女!!)
言われるまま携帯を取り出すと流れるようにラインを交換されて、私のラインに久世さんの名前が登録される。
「一切上司の立場で話してないぞ、あの時。めちゃくちゃ私情でぶつけてたけどな、俺」
「へ?」
「焦ったね。辞めたいって言われたときは。バカみたいにムキになって、どうやって引き留めようかって必死だったわ」
「そう、なんですか?」
コクリと頷く姿がなんだか可愛いとか思った気持ちは内緒。
「……忙しくてあんまりかまってやれないかもしれないけど、寂しくなったらちゃんと言って?」
きゅっと手を握られると椅子と椅子がぶつかって久世さんの足に挟まれたと思ったら、そのまま抱きしめられた。
「その時はいつでも抱きしめるから」
ボンっと顔から火が出たかと思った。固まる私の身体をゆっくり剥がして頭を優しく撫でながら見つめられると余計固まる。距離、距離が……近いんだ、どうしよう。
見つめられるから見つめ返す。視線を反らせなくてただ固まっているだけの私の頬を久世さんのゆびさきがそっと触れて親指の腹部分がくちびるをふにっと押さえてくる。
「……っ」
触れられたことに素直に反応してさらに真っ赤に違いない。頬が顔が熱すぎる。もはや微動だにしなくなった私をフッと笑って見つめながら久世さんが言った。
「そんな顔されるとキスで終われないからやめてくれる?」
「……」
「もう暗いから気をつけて帰れよ?家着いたらラインいれといて……聞いてる?」
「――あ、は、はい」
なんとか返事を返したら久世さんがフッと笑って……。
――ちゅっ。
「!」
「おつかれ」
真正面からキスされて、久世さんはそのまま実験室を出て扉が閉じられたら室内が静寂に包まれる。瞬間――止まっていた息を盛大に吐き出した。
(なにあれなにあれなにあれ!!!)
悩んでたのがバカみたいなくらいゲロ甘な久世さんに瞬殺された。
(ど――どえらい人を好きになってしまったかもしれない……)
恋愛下手な私にはかなりハードルの高そうな恋、それがまさにこれから始まろうとしていた。
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