俺は副署長 あいつとの再会
俺は杉下左京。G県M署の副署長だ。
「若いのに、凄いですね」
事情を知らない署の刑事連中は、俺を大出世だと勘違いしている。
違うんだよ。警視庁の刑事部長の嫌がらせで、出向という名の「左遷」だよ。
でもそれを言ってしまうと、M署の人間に非常に失礼な気がするので言わない事にしている。
そして、夢のようだった御徒町樹里との生活。
彼女は隣のT市にメイドの仕事を見つけて、去って行った。
正直言って、落ち込んだ。樹里は本当にいい子だ。
だから、彼女の母親と結婚して欲しいと言われると、そうしてもいいかな、と考えてしまう。
彼女の望みを叶えるのが、俺の幸せのような気さえした。
そんなある日。
強盗事件の主犯を逮捕したのをバカ署長に横取りされ、俺は腐っていた。
ふと周囲を見渡すと、何やら騒がしくなっている。
「どうしたんだ?」
俺は総務の女の子に尋ねた。
「強盗事件の容疑者の護送らしいですよ。警視庁から担当の人が来るそうです」
「え? いつ?」
「今日です」
うわあ。調べとけば良かった。あいつが来るに違いない。
まさか小学生ではないから、急に頭が痛くなって早退という訳にもいくまい。
「署長がお出かけなので、副署長が会って下さい」
「何ーッ!?」
あのバカ署長、今日に限って出かけてるのか。
どうせ出かけるのなら、主犯の男を逮捕した日にしてくれれば良かったのに。
くっそう。亀島と顔を合わせなければならないのか。
気が重いな。
かと言って、中学生ではないのだから、逃亡するなどという選択肢はない。
「副署長、警視庁の方がお見えです」
刑事課長が呼びに来た。
うへえ。とうとう来たか、あいつが。
俺は死刑台に向かう囚人の心境になって廊下を歩き、ロビーに行った。
「あれ?」
しかし、そこにはミスター年金ならぬ、ミスター無能はいなかった。
代わりに、険のある目つきの、俺と同年代くらいの女がいた。
分類すれば美人だろうが、どうにも目の力が強過ぎて俺にはお付き合いは無理だ。
「あらあ、左京。久しぶりね」
女は昔からの知り合いのように声をかけて来た。
誰だ? 自慢じゃないが、俺は人の顔を忘れる名人五段だ。
「忘れたの? あんたって、昔から人の顔を忘れる名人だったわよね」
女は俺の表情を読み取り、そう言った。
そこまで言われれば、こいつは間違いなく知っている女だ。
こんな目の力が強い女を忘れるなんて、俺ももうおしまいか?
「忘れるのも無理ないか。私が強烈な振り方したんだもんね」
ええ? 俺はこの目だけ女に振られた過去があるのか?
むむむ……。全く思い出せないとは、トラウマになりそうな経験だったのだろうか?
「警視庁捜査第一課の神戸蘭です」
女はそう言って敬礼した。
ああああああ!!! やっと思い出したぞ。
「思い出せたようね。良かった」
蘭はニコッとした。あれ、何か雰囲気が変わったな。
「ああ。久しぶりだな。十年くらい経ったか?」
「そうね」
積もる話はなかったが、取り敢えず俺は蘭に容疑者の引渡しをすませ、応接室に招いた。
「お前、特捜班だったのか?」
俺は出し抜けに尋ねた。蘭はフッと笑って、
「亀島君が退職しちゃったのよ。で、後釜って事でね」
「あいつ、辞めたのか?」
それは良かった。日本の治安のためにも、あいつは警察を去るべきだ。
「嬉しそうね。かつての相方が辞めたのに」
「いや、別に嬉しくはないさ」
そう言いながらも、俺は顔が綻ぶのを止められなかった。
「で、話を本題に移すわね」
蘭は居ずまいを正し、真剣な顔で俺を見た。
「特捜班に戻らない?」
「え?」
その言葉、ここへ来たばかりの俺だったら、天井に届くくらい飛び上がって喜んだだろう。
「刑事部長には、私から話を通したわ。承諾済み。あとは、貴方とここの署長の返事次第よ」
バカ署長は俺にいなくなって欲しいのだろうから、諸手を挙げて賛成だろう。
「いい話だと思うんだけど。それと、私も貴方とまた仕事がしたいの」
十年前だったら、感動のあまり、俺は蘭に抱きつき、大喜びで警視庁に戻っただろう。
しかし、今は事情が違う。
「悪いな、俺はもう齷齪働くの、嫌なんだ」
「そうなの」
心なしか、蘭は寂しそうな顔をした。あの射るような目も、鳴りをひそめていた。
「わかった。無理強いはしないわ」
蘭は立ち上がった。そして、右手を差し出した。
「頑張ってね」
「ああ。お前もな」
こいつの手、こんなに小さくて柔らかかったのか……。
俺は蘭を見送るため、署の車寄せまで行った。
「では、失礼します」
彼女は敬礼して、車に乗り込んだ。俺も敬礼を返した。
「好きな子ができたのね」
蘭の去り際のその一言に、俺はギョッとした。
そうさ。もうお前は俺にとっては過去の女さ。
今は樹里がいる。
グッバイ、俺の青春。
グッバイ、神戸蘭。
でも、今更ながら惜しい事をしたと考えてしまうスケベな俺がいた。