佐伯院の実恵
奈良―平安京 延歴25年5月
佐伯院に一通の手紙が届いた。差出人は空海、とあった。
佐伯院は佐伯一族の公卿で、高名な佐伯今毛人が氏寺として建てた。その寺にひとりの女人が寄宿していて、手紙はそのものに宛てられたものだった。
「手紙?あたしに?」
娘はきょとんとしていた。名は佐伯実恵。齢は二十歳で世間ではすでに年増の域に入っていたが、容姿のせいか性格のせいか、まだ十五か六にしか見えなかった。宮中の見習い女官として作法、教養を学んでいたが、元来の闊達さからそれらはあまり熱心ではなく、むしろ佐伯院裏にこしらえた薬草畑の世話などを使役人に混じって働き、日々にぎやかに過ごしていた。
「空海さまからです」
若い僧が恭しくその手紙を渡した。清運という名のその若い僧侶は、実恵がとくに驚くさまをおかしいとも、少しさびしいとも思い、仏門に帰依した身でありながらそういう感情を女人に抱く自分の俗性根を恥じてしまった。だから始終目を伏せていたのだ。
そんな清運の機微に頓着しない実恵は、飛びあがらんばかりに喜び、そして胸に何度も抱いた。そのときどういうわけだか手紙から潮の香りがして、遅ればせながらその手紙は遠く海を渡ってきたのだと実恵は気がついて、所はばからず涙した。
「まお、から…」
空海…得度する前は、佐伯真魚と称し、実恵とは同じ讃岐の親戚、というよりは小さいころから仲よく一緒に遊んだ年上の兄、というほうが実恵にはおもいが強かった。郷の古い因習を嫌ってこの都に真魚を頼ってきたのも、ひとつにはそういう事情のほか、それとかすかに憧れる真魚への想いもあった。
「察するに、唐の長安に無事お着きになられたのかと…。ご心配をされておられましたが、これで先ずひと安心ですね」
清運はひとりはしゃぐ実恵に呆れながらも、その手紙の中身が知りたくて知りたくて仕方なかった。
空海…真魚の叔父にあたる阿刀大足(あとのおおたり・貴族で学者)に宛てた手紙は簡潔なもので、難波津(今の大阪)から九州博多を経て唐に渡ったこと。遣唐使船四隻のうち二隻が遭難し沈んでしまったこと。自分は命からがらも漂着し、無事長安にたどり着いたこと。同行した高名な僧・最澄も無事だったことなどが書かれていたが、長安という当時大帝国の首都がどんなところかとかという、そういった類の、若い清運などが知りたいようなことは書かれていなかったのだ。
「あら、当たり前よ。まおがそう簡単にくたばるもんですか。あたしぜんぜん心配してなかったもん」
嘘だ、と清運は思ったが、それは言わないでおこうと思った。それより手紙の中身の方が早く知りたかった。唐の都の話が書いているやも知れず、それに年頃の娘に宛てた手紙の中身がどういうものか、まあそれもちょっとは知りたい清運ではあった。
「で…お手紙にはなんと…」
清運にせかされて実恵はなんとなくばつが悪そうに、でも早く真魚がなんて書いてあるかが早く知りたくて、実恵は手紙の封を乱暴に開けた。
目に飛び込んできたのは、あのなつかしい真魚の文字だった。
――寒さも薄れ、ようやく温かい時期になりましたね。ちえは元気でやっていますか?俺もこの通り元気です
「この通りって、あたしには見えないのにね、あのばか…」
そう言って実恵は肩をすくめ、笑った。その顔が清運にはとても眩しく、声を失うほど美しく見えた。真魚は実恵をいつもちえ、と呼んでいた。それは小さいころからそう呼んでいると、清運は実恵から前に聞いた。
手紙は実恵がその鈴が転がるようなくすぐったくなるような声で、ひとつひとつの文字、言葉を丁寧に読み上げた。その心地よくも心に沁みとおる言葉の端々とは裏腹に、手紙の内容はとんでもないものだった――