武、暴に転ずるは易し
七蔵帝、丹翁に武を問うことあり。丹翁、語ること如是。
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儂のような槁木を呼びつけ、敢えて武を語らせようとは、陛下も人が悪うございます。ほれ、お側に控えております近衛たちが苦笑いを浮かべておりますぞ。しかしながら、御命令である以上、武について儂の知るところをお話しいたしましょう。
武とは力を用いる有り様を指す言葉です。家臣を用いる君子の態度と言えば分かりやすいかと思います。
臣を善く用いることができれば、君主が何を為さずとも、世は勝手に治まります。名君の誉を思うままにできるでしょう。
逆に、臣の用い方が拙ければ、君主がどんなに足掻こうと、世は悪くなる一方です。きっと陰で暗君と罵られることでしょう。
世の人は、武を力そのものと見る向きがありますが、それは誤りです。武は力の主人、力は武の従者です。武と力を等しく見ることは、君臣の区別がついておらぬ愚者です。
腕っ節だけの荒くれ者が戦争に赴き、力任せに暴れた結果、運良く戦功を上げたとしても、この者は武人と呼ばれることはありません。この者には力しかないからです。力を御する術を知らぬ者を武人とは呼べません。
逆に容姿はひ弱な文官であっても、己の進退よりも国家のことを一番に考え、処罰を恐れることなく堂々と上官に諫言できる者は、たとえ剣を佩かぬとも、これは立派な武人です。言葉の形をとった力の正しい使い方を、善く知り、能く用いているからです。
世に武力という言葉がありますが、儂に言わせれば、これは主従という言葉の仲間です。武力を行使するとは、すなわち、主たる武が従たる力に命じて事を為すことです。君主が権力を用いて人を動かし、万事を平らげることと同じです。
さて、陛下、ここでこの翁から忠告がございます。聖君がふとした拍子に暴君と化すように、武力は容易に暴力に転じます。
暴とは、武と力の主従関係が逆転した様を言います。力に使われることです。君主が臣下に指図されるのです。そして多くの場合、君主は臣下に良いように使われていることすら理解しておりません。これは暗君が特に暴君になりやすい理由です。
陛下がこのことを忘れなければ、我が国が暴力に呑まれ亡びることはないでしょう。
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七蔵帝曰く、「善哉」と。