表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

武、暴に転ずるは易し

作者: 槁木 しかい

 七蔵帝、丹翁に武を問うことあり。丹翁、語ること如是(かくのごとし)

 ***

 儂のような槁木(かれき)を呼びつけ、敢えて武を語らせようとは、陛下も人が悪うございます。ほれ、お側に控えております近衛(へい)たちが苦笑いを浮かべておりますぞ。しかしながら、御命令(おげち)である以上、武について儂の知るところをお話しいたしましょう。

 武とは力を用いる有り様を指す言葉です。家臣を用いる君子の態度と言えば分かりやすいかと思います。

 臣を(うま)く用いることができれば、君主が何を為さずとも、世は勝手に治まります。名君の(ほまれ)を思うままにできるでしょう。

 (さかしま)に、臣の用い方が(まず)ければ、君主がどんなに足掻こうと、世は悪くなる一方です。きっと陰で暗君(あほう)と罵られることでしょう。

 世の人は、武を力そのものと見る向きがありますが、それは誤りです。武は力の主人(あるじ)、力は武の従者(しもべ)です。武と力を等しく見ることは、君臣(じょうげ)の区別がついておらぬ愚者(ばか)です。

 腕っ節だけの荒くれ者が戦争(いくさ)に赴き、力任せに暴れた結果、運良く戦功(てがら)を上げたとしても、この者は武人(もののふ)と呼ばれることはありません。この者には力しかないからです。力を御する術を知らぬ者を武人とは呼べません。

 逆に容姿(すがたかたち)はひ弱な文官(やくにん)であっても、己の進退よりも国家(くに)のことを一番に考え、処罰を恐れることなく堂々と上官(うわやく)諫言できる(ものもうせる)者は、たとえ剣を佩かぬとも、これは立派な武人です。言葉の形をとった力の正しい使い方を、善く知り、能く用いているからです。

 世に武力という言葉がありますが、儂に言わせれば、これは主従という言葉の仲間です。武力を行使するとは、すなわち、主たる武が従たる力に命じて事を為すことです。君主が権力を用いて人を動かし、万事を平らげることと同じです。

 さて、陛下、ここでこの(じじい)から忠告がございます。聖君(よきおう)がふとした拍子に暴君(あしきおう)と化すように、武力は容易に暴力に転じます。

 暴とは、武と力の主従関係が逆転した様を言います。力に使われることです。君主が臣下に指図されるのです。そして多くの場合、君主は臣下に良いように使われていることすら理解しておりません。これは暗君が特に暴君になりやすい理由です。

 陛下がこのことを忘れなければ、我が国が暴力に呑まれ亡びることはないでしょう。

 ***

 七蔵帝曰く、「善哉(よきかな)」と。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ