「あ、ちゃんと無双をしたいんですね」
トータルでいうと、私はこの仕事を辞めたい。確かにお客さんの中でも真面目で誠実で真剣な人もいて、そんな人の願いが叶うと達成感や充実感があるしやり甲斐もある。しかしそれと同じように、不真面目で文句ばかりでいつも他人のせいにしているお客さんもいる。どちらの方が数が多いのか数えたことは無いけれども、後者の方が圧倒的に印象に残りやすいから、後者の方が多いと思う。だからイヤな思いをする回数も多い。それに、彼氏もいない私が人生の伴侶を探す手伝いをするのも何だか笑えてくる。
私にとって結婚相談所というこの仕事は、そんなもんである。
この仕事についた唯一のメリットは、変なお客さんが来る度にその時のエピソードをネット上で呟き(当然身バレや相談者のプライバシーを守れる程度には内容をぼかす)、世界中の人々から「大変だったね〜」と言ってもらえるという点。
なので、今日も今日とて、変なお客さんを待っていた。
いつものように、待合室にいる予約のお客さんを呼びに行った。
「お待たせしました、ではこちらへどうぞ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
奥の打ち合わせ用デスクに案内する。そんなにまじまじ顔を見た訳ではないが、かなり美人(というか可愛い系)だと思った。目もぱっちりしていて髪もキレイだし、スタイルも良い方だ。こんな人が結婚相談所に来ているのだから、世の男は何をしているのか。呆れてしょうがない。
しかしそれにしても…この人、どこかで見たような雰囲気で、どこかで聞いたような声。知り合いにこんな人いたっけ? 今日のこの時間帯の予約は一件しか無かったから、予約名義もしっかり確認していなかった。まぁいいや、プロフィールを聞いていく内に思い出すだろう。
彼女を、打ち合わせブースに案内した。彼女が椅子に腰掛ける。
私はノートパソコンを開いて、自己紹介した。
「本日担当致します、小林と申します。よろしくお願いします」
「橋下神奈です。よろしくお願いします」
!?
!!???
!?!?!!?!!
は、橋…モ…ト、かっ…ん、奈………だと???
この瞬間、この現実を受け止めるだけなのに、私の脳内血管の血糖値は急上昇し、頭の中のギアが高回転を開始させる、そんな衝撃を受けた。それと同時に私の脳内の橋下神奈の情報と目の前の橋下神奈を一致させる作業を開始した。メイクの違いからかほんの少しだけ雰囲気が違うように思うけど、それはもはや『気のせい』の領域。髪質も全女性が羨むような『艶めき』を放っている。スタイルも絶妙に『親近感』と『スター性』を感じさせるような体型だ。目の前の女性は、どうやら本当に橋下神奈らしい。
橋下神奈も結婚相談所にくるんだ…。
(ちなみに名前を聞いてからここまで、現実では0.2秒しか経っていない)
私は脳の血糖値を元に戻し、平静を取り戻してから案内を開始した。
「あの、失礼ですけども、橋下神奈さんって、あの橋下神奈さんですか?」
おそらく大人の女性ならこんな感じの質問が第一声となるだろう。あの橋下神奈であるという確信を持ちつつ、社交辞令として聞いておいた。
「そうです。知っていてくれてるんですね〜。ありがとうございます〜」
そら知ってるわ。多分今の日本で一番有名な女性じゃないか? 知らないやつは日本国民でない可能性まである。
「えっと、まず本日はどのような経緯でお越しになられたかだけ伺ってもよろしいですか?」
「はい、えっと電車の広告で見たんです」
橋下神奈も電車乗るんだ。てっきりタクシーとか誰か運転手がいるとかマイカーとかそんな感じだと思ってた。
「電車の吊革に書いてあったんです」
橋下神奈も吊革見るんだ。ウチの広告は確かにそこに載ってるけど、そのおかげでこんな来客があるとは。
「駅で電車待ってたら、通過した電車の吊革に電話番号が見えたんです」
…あ、電車は乗ってなかったの? 駅のホームで待ってただけなのね。ていうか、通過電車の吊革の電話番号見えるってどういうこと? 動体視力おかしくない? 目が大きいと動体視力も良くなるの?
「へー、あ、そうなんですね〜。ありがとうございます、広告出していてよかったです」
私は当たり障りのない回答しかできなかった。
「えっと、じゃあ早速、橋下神奈さんのプロフィールから作って行きますね」
「わかりました!」
「まず年齢は」
「22です」
「趣味は」
「ゴルフ・麻雀・日本酒です」
「離婚歴は」
「ありません」
「ですよね」
……なんでこの人ここに来たんだろう。年齢もまだ慌てるような歳じゃないし、趣味も奇抜なモノでもない。なんなら男ウケのいい内容だ。しかも当然がら多数の離婚歴アリとか子持ちとかそういうのも無い。本当に、なんでこの人ここに来たんだろう。
「職業は、えっと、どう記入されます?」
「はい、アイドル兼タレント兼女優で!」
「あー…、括りが広すぎるので、自営業って事にしますか?」
「いえ、アイドル兼タレント兼女優で大丈夫ですよ!」
「…顔写真とかって、表示する設定にしますか? 色々設定あって、橋下神奈さんが相手のプロフィールを見て、その上合意をもらってからこちらの顔写真を公開するなんてのも出来るんです」
「あ、公開しちゃって大丈夫ですよ!」
「……そういえば名前なんですけど、イニシャル登録にしますか? これも色々設定あって、」
「あ、公開しちゃって大丈夫ですよ!」
少しは隠して欲しい! もう少しプロフィールを隠して欲しい! そうしないと、誰かが悪ふざけでこの登録を行なったとまで思われてしまう可能性がある! あと世の男が貴方に集中するでしょうが!
「……じゃあ次に、お相手に求める条件を伺ってもよろしいでしょうか」
「わかりました。えーっと、まず年収が二四〇万以上で、身長は165センチ以上で、体型は痩せてても太ってても筋肉質でもあんまり気にしないですね。で、まぁ最低限の社交性のある人であれば十分です」
ハードルが低いなぁ〜〜。ハードルが低すぎるよ〜〜。貴方ならもっと上を目指していい筈なのよ。橋下神奈の伴侶決定トーナメント本選出場者が多すぎるよ。予選でもっと落としていかないと。勘弁してくれよ〜〜。
「まぁ、そうですね、そのぐらいです」
すごい真っ直ぐな目で見てるよ〜〜。勘弁してくれよ〜〜。そんなにハードル下げられると、貴方へのデート申し込みの行列だけで地球一周しちゃうよ〜〜〜。
…さすがにこれはマズい。さすがに注意しないとマズいことになる。
「あの、橋下神奈さん、申し訳無いのですが、貴方ほどのステータスの人がこんなにもハードルを下げてしまうと…。その、なんというか、世の女性が全て跳ね除けられて、完全なる無双状態になってしまうのでもう少し、こう…」
「あ、大丈夫ですよ。むしろ、その無双をしに来てるんで」
「あ、ちゃんと無双をしたいんですね」
こうしてウチの成婚率は異常なほど下がっていった。橋下神奈は、他の結婚相談所でも同じようなことをしているらしい。
日本の少子高齢化は、さらに加速していくばかりであった。