第529話 終わりの始まり
リスター祭最終日――
「いらっしゃいませ~!」
晴れやかな声が飛び交う中、俺はいつもの場所に腰を下ろし、変わらぬ光景を見つめていた。
目の前に並ぶのは、クラリス、ミーシャ、アリスの絶対領域――どれだけ見ても飽きない芸術的なライン。
気を抜けば、ずっとそこに視線が向かってしまう悪魔の領域。
だが今日はそこに、エリーの絶対領域が加わっている。
ここ、コスプレ喫茶には要人関係者が集まりすぎていると言っても過言ではない。
エリー、カレン、ミーシャはもちろん、姫に義姉、カストロ公爵、そしてリーナまでキャストとして働いている。
当然、警備も桁違いだ。
リーガン公爵の護衛陣すら上回る戦力が、コスプレ喫茶周辺を固めている。
だからこそ、エリーをその中心――
最も視線を集め、最も守りが厚いの中へと配置した。
客たちはエリーが追加されたことで大盛り上がり。
興奮した様子で、聖水を我先にと買い求めている。
――その賑わいを切り裂くように、息を荒くしたアイクが駆け込んできた。
「マルスッ! リーガン公爵がお呼びだ!」
その声に、場の空気が一瞬で張り詰める。
「……ミリオルド公爵の件でしたら、私も同行を――」
クラリスが答える。
しかし、アイクは力強く首を横に振った。
「いや、違う。彼らの件じゃない! 別件だ――緊急だ!」
ミリオルド公爵の件ではなく、この慌てよう。
何が起きている……?
「分かりました……クラリス、少し行ってくる。エリー、絶対にクラリスから離れるなよ」
そう言い残し、俺は足早にリーガン公爵の待つ校長室へと向かう。
「失礼します」
扉を開けると、部屋の空気は重苦しい緊張に包まれていた。
そこにはフレスバルド公爵、セレアンス公爵。そして、つい先ほどまでコスプレ喫茶にいたはずのカストロ公爵の姿。
全員が険しい表情を浮かべ、沈黙の中に何かを噛み締めている。
「……何があったのですか?」
リーガン公爵は眉間に深い皺を刻み、重く口を開いた。
「――迷宮飽和が起きました」
「迷宮飽和!? ……どこで、ですか?」
息を呑む俺に、リーガン公爵は目を逸らさず告げる。
「リスター連合国の北西……ビハルツ迷宮で確認されました」
ビハルツ迷宮?
聞いたことのない名前だ。
だが、報告が来ているということは、事態は想像以上に深刻なのだろう。
とはいえ、今すぐ出発するわけにはいかない。
ラースの存在がある以上、奴がこの街を離れるのを見届けてからでないと、こちらが動いた瞬間に何を仕掛けてくるか分からない。
……そう思っていた俺の考えは、あまりにも甘かった。
リーガン公爵が続ける……さらに深刻そうな声で。
「普通の迷宮飽和であればいいのです。しかし、今回のは過去の例とは比べ物になりません。あふれた魔物が問題なのです」
「……何が、あふれ出たのですか?」
俺の問いに、公爵は静かに、だがその声には重みがあった。
「アークデーモンが、他のデーモンたちを率いて、迷宮の外へ進軍を開始したという報告が入っています。たまたま、迷宮内に居合わせたA級冒険者ガメツが、一時的に押さえ込んではいたのですが――魔物の数が多すぎて、ついに突破されてしまったそうです」
アークデーモン!?
それにガメツ!?
「本来ビハルツ迷宮にアークデーモンは出現するのですか?」
「いえ、難易度はそれなりに高い迷宮ですが、脅威度Sが出現するようなところではなく……」
迷宮内であれば、アークデーモンを討つことも、まだ可能だった。
だが、ひとたび外界に解き放たれてしまえば話は別だ。
空飛ぶアークデーモンに対し、地上から届く手段はあまりにも限られている。
動きたい。今すぐ動かなければ、周辺地域は――壊滅する。
下手すれば、国まで危ない状況だ。
けれど、ラースがいる限り、こちらからの先手は命取りになりかねない。
動けばリーガンが危険にさらされ、動かなければリスター連合国が飲み込まれる。
まさに地獄の二択。
――これは、まずい。
そう感じた、その瞬間だった。
コンコン――
静かなノック音が空気を切り裂いた。
「リーガン公爵! ビートル辺境伯より、至急の謁見要請です! いかがなさいますか!?」
刹那の逡巡の後、公爵は迷いなく頷く。
「入りなさい」
そして現れたビートル辺境伯の顔色――
それは絶望に塗り潰されていた。
「リーガン公爵……! お願いがあります……! 【黎明】……いえ、【暁】を――どうか今一度、私にお貸しいただけませんか……!」
「何が起きたのです!? 一体――」
辺境伯は肩で息をしながら、凄絶な報告を口にする。
「ギルバーン迷宮が……迷宮飽和を起こしました……! ミリオルド公爵領――領都ギルバーンは壊滅。アークデーモンの群れは、我が領グランザムへ向かっているとのこと……! 早馬が……先ほど届いたばかりで……!」
その場にいた全員の思考が、一瞬、凍りつく。
「「「……っ!?」」」
衝撃の報せ。
ビハルツに続き、今度はギルバーンまでもが――。
連鎖的な迷宮飽和……?
それとも、誰かが意図的に仕掛けている……?
脳裏をよぎる一人の男の言葉。
闘技場で対峙した時、ヨハンは確かにこう言った。
『明日にはもうこの世界は大混乱に陥っていると思うけど』
これか!
つまりこれは……間違いない。
ミリオルド公爵――ラースが仕組んだことだ!
さらに、ヨハンは続けてこうも言っていた。
『舞台はもう用意されてる。ラースが、これまで虐げてきた者たちの怨念が集まる場所――そこが、奴の死に場所だよ』
これまで虐げきた者たちの怨念が集まる場所というのはもしかして……。
「リーガン公爵!」
その声に、その場の空気がまた一段張り詰めた。
全員の視線が、俺に向く。
「僕に提案があります!」
静まり返った室内。
言葉の続きを待つように、皆が黙する中、俺は口を開いた。
「僕たち【暁】で、グランザムとギルバーンに向かいます。そして――」
俺の言葉に、リーガン公爵はそっと目を閉じた。
そして、わずか数秒の沈黙ののち――そのまま、深くうなずいた。










