第514話 恐怖
――――翌日
コスプレ喫茶の開店準備を皆で急ぐ。なにしろエリーとのデートのために、しっかりと準備を済ませておかなければならない。聖水のストックを大量に作るため、クラリス、ミーシャ、アリスに次々とラブエールを唱え、大きな水瓶に聖水を注ぐ作業が進む。
すると突然、バックヤードに眼鏡っ子先輩がエリーを連れてやってきた。
「いい、エリー? お化け屋敷で少しでも怖いと思ったら上目遣いで抱き着くのよ。そのとき制服のボタンを外しておけばマルスもイチコロ。もう一度言うわね。ボタンを外してから上目遣いで迫って抱き着くの。簡単でしょ?」
おいおい……なんてことを教えてやがる。もっとたくさん教えてやってくれと心の中でつぶやく。エリーは真面目な表情で眼鏡っ子先輩の言葉を一語一句逃さないように頷いている。
「……うん……分かった……ボタン外す……上目遣い……抱き着く……」
その様子にクラリスが、俺に抱きしめられながら注意を促す。
「ちょ!? 義姉さん!? なんてことを教えているんですか!? エリー、そんなことしなくてもマルスはエリーのこと好きだから大丈夫よ?」
クラリスの必死な声にも関わらず、エリーは何度も同じフレーズを繰り返している。真剣そのものだ。
「……うん……分かった……抱き着く……ボタン外す……上目遣い……」
あれ? 順番がさっきと違う気がするが、まぁ大きな問題じゃないか。少し心配になりつつも、珍しく真面目に覚えようとする姿に微笑ましい気持ちが芽生えてくる。
「冗談よ、冗談」と、眼鏡っ子先輩は穏やかに微笑んでいるが、彼女の冗談にはエリーにしっかり影響が出ているようだ。クラリスはそのやり取りをじっと見守りながら、再度俺に向き直ってくる。
「もう……マルスもあまり変な気は起こさないでよね」
呆れながらため息を漏らすクラリス。しかし、そんな彼女も必死に覚えようとしているエリーの表情を見て微笑む。
クラリス、ミーシャ、アリス、それぞれの聖水が入った水瓶が満タンになると、コスプレ喫茶のオープンとなる。今日も昨日に続いて大盛況。店内の喧騒を抜け、エリーと2人で外に出る。
「エリー、どこに行きたい?」
周囲の視線を気にすることなく俺の腕を抱きかかえるように組むエリーに問うと、彼女が即答する。
「お化け屋敷!」
回りくどいことが嫌いなエリーであればそう答えるよな。エリーの願いを叶えるべくお化け屋敷に向かう。
昨日は待ち時間5分程度だったが、今日は30分以上待った。その間、エリーはずっと俺のことを見つめていた。まるでこの世界に俺しか存在しないかのような瞳で。
ようやく俺たちの出番が来ると、昨日と同じく生首が俺たちをお出迎え。クラリスは恐怖で硬直していたが、エリーは眉一つ動かさずずっとにこやか。彼女は生首を払いのけ俺の手を引っ張るようにお化け屋敷の中にスタスタと歩いていく。
昨日はクラリスの唇を塞ぐことに必死で周囲のことを気にする余裕なんてなかったが、今日は違った。お化け屋敷内から聞こえる女子たちの悲鳴が響く中、エリーは軽やかな足取りで散歩するようにお化け屋敷を進み、俺も彼女の後を追う。
すると、お化け屋敷に入って数分も経たず、前に入場していたカップルに追いつく。
女は恐怖で絶叫し、目には涙がたまっている。男もそんな彼女を守るかのように抱きしめていたが、彼の表情は引きつり、膝がガクガク震えていた。それに対しエリーは涼しい顔をして2人を追い越していく。
「え、エリー? 怖くないのか?」
情けないことに2回目の俺ですら怖い。しかし、エリーにはまったく効かないようで、
「……うん? 怖いところ……あった……?」
と、彼女は平然とした顔で俺に問いかける。声には少しも恐れがなく、ただ疑問を投げかけるだけだ。
すると突然、壁から血まみれの手が飛び出す。通常であれば誰もが悲鳴を上げて逃げ出す場面だ。知っていた俺でも飛び上がりそうだったが、エリーは全く動じず、軽くその手を払いのける。
「……気配……感じる……次……あそこ……」
そうか。エリーには類まれなる気配の察知能力がある。だからどんな仕掛けでも見抜いてしまうのか。
だとすると、よっぽどのことがない限りエリーがお化け屋敷で……いや、すべてにおいて怖がることがないような気がするのだが……するとエリーもその事実に気づく。
「……ん……? このままじゃ……抱き着けない……どうしよう……」
悩んだ結果、エリーが出した答えはシンプルだった。しばらく進むと突然、白々しく声を上げる。
「きゃ~こわ~い」
周囲の女性たちが泣き叫ぶ悲鳴をエリーなりに表現し、俺にしがみついてきた。
「……上目遣い……抱き着く……ボタン外す……」
エリーが小さく呟きながら俺を見上げ、上目遣いで抱き着いてくる。彼女の表情は少しぎこちないが、真剣だ。しかし、抱き着いた瞬間に、エリーはハッとしたように目を見開いた。
「……あっ……ボタン……外してない……!」
エリーは焦って自分の胸元を確認するが、抱き着いたままボタンを外せるはずもなく、もがいている。思わず笑いそうになったが、彼女の真剣な様子を見て、そっと抱き寄せた。
「エリー、ありがとう。でも大丈夫だよ。クラリスの言ったようにそんなことをしなくてもエリーのこと好きだから」
「……うん……じゃあ……もう少しこのまま……」
いつものようにエリーは俺の左の首筋を吸いながら手を背中に回す。本来であれば速く歩けよと思うかもしれないが、俺たちはお化け屋敷に入ってから何組ものカップルを追い抜いてきたからな。10分くらいはこうやっていても平均よりかは早いはずだ。
その後はゆっくりした足取りでお化け屋敷を出る。入ったとき急いでいたのは、怖いスポットに早く辿り着きたいという気持ちだったらしい。
お化け屋敷の外に出ると、他のカップルは身を寄せ合いながらお互いの震えを収めていた。そんなカップルを通り過ぎ、今度は俺がエリーの手を引っ張る。
向かった先は昨日クラリスと一緒に来た教室。魔獣肉の串焼きをエリーと一緒に食べるためだ。しかし、昨日のクラリスの宣伝が効いたのか、教室の前には行列が。
「エリー? だいぶ時間がかかりそうだけど待てるか?」
「……うん……マルス一緒……問題ない……」
周囲の視線など気にすることなく、俺の腕に寄り添うように甘えながら答える。
ようやく目的の魔獣肉の串焼きを頬張ることができたのは、並んでから30分以上経ったころだった。
「……美味しい!」
エリーの顔に笑顔が広がる。予想通りの反応だった。俺とクラリスがエリーの好みを間違えるはずがない。串焼きを食べながら、俺たちはゆっくりと催し物を回っていたが、その途中、エリーが意外なことを提案してきた。
「……ちょっと……クラリス……見たい……」
どうやらクラリスのことが気になるらしく、コスプレ喫茶に戻ることに。
相変わらず最後尾が見えないくらいの大行列を作るコスプレ喫茶に戻る。すると俺とエリーの姿を確認したクラリスが聖水売り場からこちらに駆け寄ってくる。
「どうしたの!? 何かあった!?」
どうやらクラリスはエリーに何かあったと思ったらしい。エリーは何も言わずにクラリスに会えたことで目的を達成しニコニコしているだけ。だから俺が代わりに答える。
「何もないよ。ただエリーがクラリスのことが気になるって言うから戻ってきたんだ」
「本当!? ありがと」
周囲に客がいる中、クラリスが喜びを爆発させエリーを抱きしめると、エリーもそれに応えて魔女っ娘のコスプレをしたクラリスの背中に手を回す。
これには客も大喜び。俺とクラリスがこの場で抱き合ったら大ブーイングどころか暴動が起きかねないが、エリーとであれば話は別。
キャストも含めた全員の視線が抱き合う2人に集まる。
結局、俺とエリーはコスプレ喫茶周辺で過ごすことに。エリーもクラリスのことが気になるらしく遠くへは行こうとしなかった。
そして営業時間終了後、今日もデートの様子を皆に訊かれる。
「エリー? 私がお化け屋敷行っても平気そうかしら?」
「エリリン、お化け屋敷どうだった!? 怖い? ちびった?」
「エリー先輩も気絶しちゃったんじゃないですか!?」
やはり皆はお化け屋敷が気になるらしく、質問がそこに集中する。
「……ん……? 怖くない……」
エリーの無表情の答えに、みんながホッと胸をなでおろす。しかし、これはあくまでエリー基準の話だ。このままだと、昨日お化け屋敷で怯えていたクラリスが滑稽に映ってしまうので、俺は少し弁解することにした。
「エリーはキャストの気配とか分かっちゃうから怖くなかったのかもしれないけど、俺は怖かったよ。俺1人だったら逃げ出していたかもしれない」
これには皆が納得。エリーの気配察知能力は誰もが知るところだからな。
誰もが俺の言葉に納得していた。
しかし、それだけではなかった。
この中で……いや、この世界で唯一、エリーだけが知る本物の恐怖を何度も経験しているからこそ、このくらいの恐怖で物怖じしないということを俺たちは知らなかったのだ。
そして、その恐怖を俺たちが知ることになるのは、そう遠くないことだった――――
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